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転んだ先の異世界(階段はNG)

「くれぐれも、階段には気をつけろよ」


 自転車で十三時間かけて辿り着いた初めての都会。心配性の親友は有名な限定シュークリームを買いに、デパ地下へと降りていった。

 一人取り残されたノボルは、寒空を覆うようにそびえ立つ、全面ガラス張りの建物の群れを見上げる。


「ダンジョンよりすげえ……」


 口調こそ大人しいが、その瞳は子供のように輝いていた。

 なにせノボルは今、とある事情で滅多に来ることの出来なかった都会にいるのだ。

 さながら気分は輝く財宝の山を目にした冒険者。

 未知の環境に胸を踊らせ、ノボルは意気揚々とショッピングに躍り出た。



「ぎもぢわる」


 三十分でへばった。ついでに迷った。

 疲れでぐらぐら揺れる頭を抱えて、花壇の縁に座り込む。

 やたら豪華なソフトクリームを舐めながら、ノボルは反省会を始めた。


 想像以上に、都会には段差が多い。

 なぜ無駄に一段高くしたり低くしたりするのだ。回り道をしたり来た道を引き返したりしているうちに、残っていた体力(HP)は見事に底をついてしまった。

 まあ、往路の十三時間サイクリングも尾を引いているのだが。

 計画性の無さが招いた、当然の結果である。


 ため息をついて目線を落とすと、溶けて垂れたクリームが石畳に染みを作っていた。

 慌てて口に含み、ベタベタになった指も舐めとる。寒い。冬にソフトクリームなんて買うんじゃなかった。

 ため息を飲み込んで、ハンカチを手にソフトクリームと格闘する。そんなノボルの前を、暗い顔の女の子が横切った。

 なんだあれ。足取りが重すぎる。普通にしていればミディアムボブの似合うかわいい女の子だろうに、表情の暗さで台無しだ。転んで全財産を無くしてしまったような絶望的な顔をしている。


 彼女の肩掛けバッグから、ぽとりと何かが落ちた。

 残り一欠片になったソフトクリームを口に放り込み、駆け寄って拾ってみる。

 落ちたのは、デフォルメされた魚のキーホルダーだった。虚ろで濁った目をした魚が口から虹色の泡を吐いている。まるで持ち主を呪い殺しそうな形相だ。ノボルにはこれっぽっちも理解できないが、キモ可愛いという奴だろうか。

 顔を上げると、とぼとぼ歩く少女はまだ視界から消えていない。

 小走りで近寄って声をかけようとして、気づいた。


 少女は階段に向かっていた。




 碓井幸子には運がない。

 と言っても大それた不幸はない。五体は満足で両親ともに健在だし、家庭内に不和もなく、今日も元気に送り出してもらえた。

 ただなんとなく、そことなく、幸が薄い。

 席替えでは必ず教卓の目の前の席に当たり、遠足の日には雨が降り、道を歩けば犬の糞を踏む。流石にバナナの皮で滑ったり落とし穴に落ちたりは滅多にしないが。


 この日も幸子の不運は絶好調であった。

 朝起きたら二つの目覚ましが壊れていた。常に五つの目覚ましをセットしているため、ことなきを得たが。

 卵を割ると黄身が入っていなかった。白身だけの卵かけご飯は淡白な味がした。

 乗ったバスが渋滞で一時間遅れた。余裕を持って二時間前に着くよう家を出たので問題は無かった。

 一緒に行くはずの友人からは待ち合わせ時間にドタキャンされた。……人の都合はままならない。


 ここまでは良かった。いや、良くはないが、都会で限定シュークリームを買うという今日の目的に差し障りは無かった。多少の不運は準備と心持ちでどうにかなる、というのが幸子の経験則だ。

 しかし、どうだ。人波に揉まれ脇に押し出された拍子に鞄の中身を道路にぶちまけ、五個に分けてあった財布を全て紛失。這いつくばって探せば犬が通りかかる度に吠えられる。交番に紛失届を出して意気消沈しながら道を歩けば、矢鱈とキャッチセールスに声をかけられ、金も無いのに脅されかける──。


「都会って、怖い」


 ボロボロになった幸子は、さすがにやさぐれた。


 どうしていつもこうなのか。


 公園のベンチでため息をつき、デパ地下で買ったシュークリームをひとつ取り出す。

 落ち込んだときは美味しいものを食べるに限る。ちなみにお金は靴底に仕込んだ紙幣(最終手段)を使った。


 上から振りかけられた粉砂糖を落とさないように、慎重に包み紙をめくると、黄金色の生地があらわになった。

 手のひらに乗せるとズッシリと重く、中にたっぷりとクリームが入っていることが予感される。これが幸せの重みか。瞬く間に、暗い気持ちが頭から消えていくのがわかった。


「いただきまーす」


 まずはひとくち。パリッと硬めに焼かれた表面の下に、柔らかな二層目の生地。そこからあふれ出るカスタードの濃厚な甘さが舌に絡みつく。バニラと卵の風味が口いっぱいに広がって、じぃんと体の芯に染み渡った。


 そう、そうだ。このために艱難辛苦を経て都会に来たのだっ「カー!」


 かー?


 次の瞬間、手のひらのシューは横から来たカラスにかっさらわれていた。


 呆然とすること数瞬。カラスを見た幸子の体は、反射的に鞄から新聞紙を取り出し頭の上にかざす。

 間髪を容れず、ぼたぼたと落ちてくる糞。うん、鳥を見たらまず糞を警戒しないとね。


 カラスが飛び去ったのを見送って、新聞紙を間近のゴミ箱に捨てる。

 まあ、あれだ。たくさん入ってる箱の方を持っていかれなくて良かった。あのカラス、私の分まで味わってくれるといいなあ。


「そう、思えるわけが、なかった……」


 がっくりと肩を落として落ち込んだ。


 自分が何をしたというのだ。特に良いことはしてはいないが、こんな仕打ちを受けるような悪事にも覚えがない。

 何がいけないのか、わからない。


 どうして、こんな少しの幸せも許されないのだろうか。


 じわじわと目頭が熱くなる。


 落ち込んでいても不幸は変わらず容赦なく、幸子のもとにやってくる。

 それは、わかっている。わかっているのだ──。


 タイルの模様を見ながら惰性に従い歩いていると、遠くで歓声が上がった。


 キラキラと輝くリングと色とりどりのボールが宙を舞う。


 階段を降りた先の広場でジャグリングが披露されていた。丁度ゲリラショーの時間に遭遇したらしい。芸人の周りに集まる人達は、楽しそうにそれを眺めている。


 そうだ。折角都会に来たのだから、タイルばかり見ていては勿体ない。偶然ショーの時間に近くにいるなんて幸運だ。下を見てないで、前を向いて生きなければ、やってられない。

 芸を近くで見るために階段の一段目に足をかけようとして、誰かに肩を叩かれた。


「キーホルダー、落としましたよ」


 キーホルダーなんて持ってたっけ?

 疑問に思いつつ振り返る。と、勢い余って目の前に青空が広がった。


 つまり、こけた。


 視界の端に捕らえたバナナの皮に、幸子は唸る。


 時には、足下を見ることも大事だ。



 階段を転げ落ちる。

 幸子は受け身をとって砂っぽい地面に着地した。無傷である。慣れたものであった。シュークリームの箱を開け、残り五個すべての無事を確認する。

 あんなところにバナナの皮があるなど、誰が想像しようか。いや、誰でなくとも幸子だけは想像しておかなければならなかったのだ。

 反省し、呆れと憐憫の目線に怯えながら周りを見渡す。しかし、いるはずの観衆は見当たらなかった。


 崩れた石壁。その奥には真っ白で広大な砂漠。砂の上を揺らめく陽炎。遠く天から垂れる糸のような、白く細長い塔。青い空の向こうを飛ぶ赤い……ドラゴン? そして、太陽がふたつ。


 転げ落ちてきた階段は今にも崩れ落ちそうで──いや、今崩れ落ちて無くなった。跡形もない。頭上を見上げても、天井ばかりで高層ビルの姿は確認できなかった。


 薄暗い周囲は、どうやら古ぼけた遺跡のようである。石壁に描かれた模様がどこかエジプト風だ。


 総括。都会の景色ではない。


「どこ、ここ」


「こ、壊れた……? うそだろ、やっちまった……」


 幸子の横では見知らぬ少年が頭を抱えていた。先ほど話しかけてきた声の主である。


「頭打ったの? 大丈夫? ごめんなさい、巻き込んじゃったみたいで」

「いや、巻き込んだのはこっちだ」

「え?」


 意味が分からず首をかしげる幸子に向かい、同い年くらいの少年は居住まいを正した。


「誤って君を異世界に連れてきてしまいました! 本当に、本当に申し訳ない!」

「……頭、そんなに強く打ったの?」


 土下座と共に放たれた言葉。その珍妙さに、幸子はそう返すことしかできない。


「その、すぐには信じてもらえないと思うけど、ここは異世界で、俺は階段を通るたびふたつの世界を移動してしまう体質なんだ。それで、」

「どうしよう、病院……そうだ、シュークリーム食べる?」

「あ、いえ結構です」


 丁重に断られた。甘いものは鎮静にも効くのに。


 少年の意識はしっかりしていそうである。頭の方はわからないが、受け答えもできている。

 今混乱しているのは、幸子の方のようだ。


 異世界、か。異なる世界。未知の世界。

 信じたくない。しかし、異様な景色にぴたりとはまる。

 一応、突然外国に行くシミュレーションはしていたけども。


「その想定は、してなかったかなぁ」


 呟いて肩を落とすと、頭に乗っていたバナナの皮がずり落ちる。

 ちょっと、今日の不運は絶好調すぎると思う。


「そうだ、キーホルダーを……」


 何事かを言いかけて、少年は動きを止めた。

 視線の先、階下へ続く階段の先。


 巨大な八つの瞳と、目があった。


 崩れる瓦礫と轟音の中。

 苦難の旅の始まりを、虚ろな目をした魚が砂の上で嗤っていた。

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