Star Child
前文
神がおわしますならば、 私には必ずや天罰が下るでしょう。
しかし。故ユーリ・ガガーリンの言葉の通り、此の世に神は存在しません。よってここに私の罪を告白します。
プロジェクト名:Star Child.
実験目的:無重力空間で人間が出産・成長できるかどうかのデータを取り、今後の宇宙開発に活用する。
実験内容:宇宙(無重力)空間での出産、育児。
実験方法:妊婦を打ち上げロケットに乗せ打ち上げ、ISSに搭乗させ、出産・育児させる。
協力者 :NASA職員・ISSクルー・アメリカ合衆国空軍パイロット、ジェーン・ドゥ大尉(元・少尉)
実験体 :ジェーン・ドゥ/ホープ・ドゥ
選考条件:肉体的・精神的に健康かつ頑強で、機密保持の概念が強い女性。
サンプル:予算の関係上、一体のみ。
実験開始予定日:7月24日2020年 金曜 グリニッジ標準時12:00開始(打ち上げ)
実験開始日:同上
実験終了予定日:9月12日2020年
実験終了日:4月1日2021年
実験計画
1,胎児は胎内環境で2.8G以上の負荷がかかると羊水圧力で窒息死する危険があるため、2.5Gまで抑えて打ち上げする。(大気圏離脱のために第二宇宙速度へ到達させる、加速度を2.5G以下に抑えるには、加速時間が7.6分、加速距離が2558km必要になる。従来のロケットとシャトルでこの条件を達成するのは難しく、新開発された燃料とエンジンを使用する。シミュレーション上ではこの問題は解決された)
2,新開発したロケットで、資材と妊娠済みマウスを打ち上げる。宇宙空間でマウスの出産を確認、死産率50%以下で計画を続行。
3,予算の関係上、二度目で実験体を打ち上げる。
4,ISS内で出産させ、育児を行う。
5,一年間の育児の後、実験体とサンプルを地球へ降下させる。
6,両名の各種身体データを検査し、実験終了。
実験開始日については、東京オリンピックと合わせることで世間の注目を逸らすため。
実験経過
1,マウスでの実験は成功例5割。新型エンジンは良好に稼働。
2,実験体を夫の協力を得て妊娠させる。妊娠を確認。
3,体力維持のためのトレーニングを行いつつ、打ち上げ準備を進める。つわりの症状は軽度。状態は順調に進行中。
4,打ち上げ成功。ISSへのドッキング、成功。
5,ISS内での生活に戸惑い、実験体が発熱。一か月で順応。
6,臨月。予定日より7日早く出産。子をホープ(希望)と名付ける。
7,出産後、母体の容体が急激に悪化。治療のため、地球へ降下させる。以降、サンプルの世話はISSのクルーたちが行う。地球へ降下した母体の容体は戻らず、悪化の後、死亡。また彼女は殉職扱いとし、二階級特進とする。
8,出産から三か月。無重力下と有重力下で子供の行動の成長に大きな差異が発生している。脚部が細く、頭部の肥大がみられる。
9,5ヵ月経過。行動範囲が広まり危険と判断。自立行動がとれるようになってきたため、データを取るために地球へ下すことに。
10,6ヵ月。地球へ降下。重力圏に降下後、自発呼吸停止。外部から酸素を供給。経管栄養法を使用し延命を図る。20日経過後死亡。
11,死体を解剖すると、筋肉量・骨密度が健常な幼児に比べ著しく低いことが判明。仮説、無重力下で成長したため、肉体に負荷がかからず骨も筋肉も成長しなかった。結果、重力に負け自発呼吸が行えず、窒息したものと考える。
12,11の結果をもって本プロジェクトは凍結。
結論:宇宙空間での出産・育児は可能だが、子が地球に戻ることは不可能。1G環境の再現が必要である。
本書は機密として保管し、15年後に公開する。
以上の文書の通り、私たちは国家の命令に従い、一人の子供の命を奪いました。彼の命を奪うことになるとわかっていながら、命令に従ったのです。
あの日大統領命令で下されたのは、結果の分かりきっていた人体実験だった。妊婦をロケットに乗せてISSに送り込み、子供を宇宙で産み育てさせるという。
しかし命令されたならば協議・検討せねばならないのが我々の責務であり、検討した結果不可能であると返信すべきだろうと、まずはシミュレーションを行った。
まず第一段階として、妊婦を宇宙に上げることが可能かどうか。ロケット打ち上げの際に、人体は激しい振動と、最大3Gもの重力加速度がかかる。我々は専門家である産婦人科医に、「妊婦をジェットコースターに乗せても大丈夫か」と尋ねた。「やめておくのが賢い選択でしょう」と、全く予想通りの答えが返ってきた。
加速度が問題であるなら、加速を緩やかにするため低い放射線を描く軌道で打ち上げればいいが、従来の打ち上げ方式と異なるため燃料を計算し、ロケットの設計も行わねばならない。大幅な予算追加が必要だが、政府はそれを嫌うだろう。そう思いながら返事をすると、案の定計画の変更が通達された。
今度は「ISS内で妊娠させ、出産するまで滞在させることは可能か」と。あまりにバカげた質問だが、これも我々は真剣に検討して返信した。
まず第一の問題として。宇宙でのセックスは極めて困難かつ危険であり、体外受精したものを胎内に移植するのも、現状では技術がないため不可能である。
また受精したとしても、最新のデータでは日本の大学がラットの胚を使用した結果、胚が正常に成長する確率は低く、さらに出産が正常に成功する確率は一段と低くなる結果を出している。
結論として、成功する確率は極めて低い。
仮に胚が奇跡的に正常に成長し、分化したとして。胎児が十か月間流産することなく、正常に成長し、出産できたとして。その子供がある程度宇宙で成長したとして。地球に降りて生きていけるだろうか? 少し考えれば答えはわかる。無理だ。地球内で生きる動物は、重力という負荷を受けながら成長することで、それに耐える筋肉と骨を手に入れる。
無重力で育った子供を地球に下すのは、トレーニングをしてない人間にいきなり100kgベンチプレスをやらせるのと同じだ。潰れてしまう。
次に。母体の健康の問題だ。宇宙環境に人間が滞在するのは極めて大きなストレスがかかる。それによる早産の危険も考えられる。また、長期間滞在すればするほど骨と筋肉はやせ細る。健常な宇宙飛行士が毎日二時間のトレーニングをしていても筋力低下は避けられないのだから、安静が絶対の妊婦ではどれだけ筋肉量が減るだろうか。
妊娠してから出産までの平均日数は280日。安定期、16週から27週にかけて打ち上げるとして、最長112日、最短91日間を宇宙で過ごす。出産に必要な筋肉が劣化し、正常な出産が行えないリスクがある。帝王切開ならどうか。ISSには高度な外科手術を行う設備はなく、無重力化で侵襲性の高い手術を行うノウハウもないため、母体の死亡リスクが高まる。
成功する確率は極めて低く、予算と人権と生命倫理の観点から凍結すべき。これが我々が出した答えだった。
……とはいえ、この実験によって得られるデータに、興味をそそられることは否定できない。無重力がヒトの胎児に及ぼす影響は未知数だ。それを知るために、我々は研究する必要があるのだが……マウスと違ってヒトの命は重い。失敗を実証するために実験をするわけにはいかない。
今後人類が宇宙へ進出するうえで、宇宙での出産・育児というのは避けられないテーマである。しかしまだ早すぎるのだ。せめて宇宙に1G環境を作り出す技術を作ってからでなければ、この実験は成功する要素が欠片もない。
一匹のマウスを実験で殺しておいて、ヒトを一人実験で殺すのは悪というのは傲慢だ。傲慢だが、それを踏み越えれば科学者は犯罪者と変わらない。かつてナチスがやったことは悪であり、それと同じことをする人間も悪とされるのだ。
だが、信じがたいことに。上は我々に悪党になれと言ってよこした。アメリカ空軍の女性パイロットを連れてきて、やれと命令してきたのだ。
もちろん彼女にはできる限りの説明と、辞退するよう説得を試みた。しかし感動的なことに国のために殉職する意志は固いようで、洗脳か人質でも取られているのかと疑ったほど。健康診断の名目で調べた結果は、妊娠していること以外は心身共に完全に白だったのが驚きだ。
あとは我々が書類にサインすれば計画はスタートする。我々の知らないところで、そんなところまで来ていた。
上は冗談ではなく、本気で命令を出しているのだ。気付いたときには遅すぎた。しかし、我々は人道に背く命令には従い難い。なぜなら我々は軍人ではないからだ。こう言っては悪いが人殺しが仕事の軍隊と我々は違う。人が死ぬとわかっていて、実験に手は貸せない。世界に知られれば、我々はナチスの同類としてさんざんに罵られることだろう。
だが。だが……それでも、悪魔が囁くのだ。「知りたい」と。この実験の末に、どんなデータが得られるのかを。
免罪符はある。我々は命令された。我々の意志ではない。この書類を破り捨てれば、私はきっと立場を追われることになる。だから、仕方なくこの悪魔の実験に手を貸すのだ、と。
咎める良心はもちろんあった。しかし、それでも子供のように純粋な、悪魔のような好奇心が勝ってしまったのだ。
『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である』
―ニール・アームストロング―
私も、この実験が月面着陸と同じように。人類の飛躍につながることを願っている。