絶対集金 vs異世界マンション
「どうしよう……借金50億できちゃった……」
千帆は人生の崖っぷちだった。
放課後の活気が流れ込む空き教室の中。
千帆は自己主張の激しい胸で校章を押し上げ、膝を内股気味に擦りながら、気弱なため息をつく。
「そう」
大型の棚を前に、友人の結子は本の整理に勤しんでいた。
「結子ちゃん、助けて」
「イヤ」
結子は千帆を冷たくあしらった。
最近はこの空き教室に籠もってティーセットや漫画の用意ばかりしている。
「私は部活作りで忙しいの。他を当たりなさい」
「結子ちゃんしか頼れる人がいないの」
千帆の家族は蒸発した。
先生も警察もまともに取り合ってはくれず。
残されたのは奇妙なマンションの所有権と、多額の負債だけだった。
「大家なんて実入りがあっていいじゃない」
「それが……みんな家賃を払ってくれなくて……」
この時代にあって、支払い方法は現金受け渡しである。
しかもその住人たちには、とある条件で集金を拒否する権利があった。
なぜなら。
「私のマンション、異世界の人が住んでるの」
国家ぐるみでフランチャイズされる特別賃貸。
異世界と地球が交わした条約により、そこは暴力が法となる魔境と化していた。
千帆は虫も殺せぬ純情乙女。
170センチの長身など虚仮おどしである。
「そういうこと。わかったわ」
結子は背伸びをして、指先で背表紙を押して漫画を差し込むと、ようやく千帆と目を合わせた。
「手伝ってくれるの?」
「見返りはいただくけどね」
「あぅ。私は、借金が」
千帆は税金より強制力の高い支払い義務により、取り立てと差し押さえの嵐の中にいる。
「もちろん体で払ってもらう」
肩下まで伸ばしたおさげを揺らし、結子が差し出したのは一枚の紙。
それは『美少女部』と名付けられた謎の部活動への入部届だった。
「この備考欄に『私は当部活に胸部使用権の一切を譲渡し、おっぱいマスコットになることを誓います』と書くのよ」
「嫌だよ!?」
全力で拒否する千帆に、結子はじりじりと歩み寄って、そのたわわを鷲掴みにした。
「この贅肉を50億で買うと言っているの。いいから承諾しなさい」
それでも涙目で抵抗を続けた千帆だったが、グラム2億円の胸肉になる運命は変えられなかった。
異世界マンションは37階建ての高層住宅だった。
「スライムマスターさん、集金に伺いました」
千帆が101号室のインターホンを押すと、体中にスライムをくっつけた男が出てきた。
「千帆殿ぉ、前も言ったであろう? スライムマスターとして、その弾力を確かめるまで金は払えな──」
ニヤケ顔で空気を揉んでいた男の視界が、突如として上下に反転する。
「ぬぶぇし!?」
鈍い音と共に床が割れ、遅れてやってきた尋常ではない痛みに、男はようやく自らの頭が床に叩きつけられたのだと理解した。
「金を出さないと、そのふざけた飾りを一つずつ毟って握り潰すわよ」
結子がその体躯からは想像もできない膂力で男の頭を鷲掴みにしていた。
「ひぎィィ痛い痛い払いますゴメンナサイ!!」
わずか数秒で戦意喪失した男は、家賃の入った封筒を渡して居室の奥へと消えていった。
「あ、ありがとう、結子ちゃん……うぅ……床が……」
「家賃に修繕費も上乗せしておいたから」
結子は制服のスカートを翻して次の部屋に向かった。
全ての住人とバトルになるわけではない。
下の階ほど家賃が低いため支払いに応じる住人も多く、二人は早くも5階までたどり着いた。
「リリムさん。集金に伺いました」
次に部屋から出てきたはサキュバスの女だった。
黒いランジェリーだけを身に着けてドアを開けるそのサマは、さながら痴女である。
「あらぁ、千帆ちゃん。ようやくお相手してくれる気になったのかしら?」
リリムは好戦的な住人ではない。
しかし、支払いの条件として意味ありげなマッサージを要求された千帆は、身の危険を感じて集金を諦めていたのである。
「そちらの小さなお連れさんは? ええ、まあ、そういう子も好みではあるけれど」
リリムがぷっくりと紅い唇を指でなぞって結子に視線を移すと、結子は不快そうに目を細めた。
「千帆、あなたはそこで待っていなさい。教育に悪いから」
「へ? ああ、うん」
パタンと閉まったドア。
しばらく室内が騒がしくなってから、聞こえてきたのは激しくビンタする音と、女の艶やかな嬌声だった。
「終わったわ」
部屋から出てきた結子の手には、明らかに家賃を上回る厚みの札束が握られていた。
「そのお金、どうしたの?」
「叩いたら出てきた」
「それはまた」
千帆は苦笑いをしつつ、こっそりと部屋の奥を覗こうとするも、結子はすぐにドアを閉めて次に移動してしまった。
9階までは結子が強気に出るだけで家賃を回収できた。
だが問題は10階から上。
ここから家賃が一気に跳ね上がる。
「気をつけて、結子ちゃん。次の人、お父さんの代から一度も家賃を払ってない」
「中ボスってところね」
千帆の父親は表向きはしがないサラリーマンだった。
それでも、15階までのほとんどの住人から集金をしてきた記録がある。
そんな武闘派の男が、一度も家賃を払わせることができなかった相手。
「サドラさん。集金に伺いました」
千帆はインターホン越しに話しかけた。
「断る。帰れ」
サドラの返事はそれだけだった。
鍵もかかったまま。
明確な集金の拒否である。
結子はドアを蹴破って土足のまま室内に入り込む。
その先では、銀色のくせっ毛を伸ばした黒衣の男がティータイムに浸っていた。
フロアの半分をぶち抜きにした黒タイルの一室。
天井にはシャンデリア、壁には魔物の剥製と宝飾剣が幾つも飾られている。
「集金の時間よ」
結子は歩きながらサドラを睨みつける。
サドラは足を組んだまま、紅茶を一口飲んでカップを置いた。
「人間風情が魔族の領地を侵すとは」
サドラはギョロっと目だけを結子に向けた。
「死にたいらしいな」
サドラの周囲に黒いオーラが吹き出す。
異世界の住人が特有に備えている""魔力""──空間を歪めるほどのエネルギーの塊が、サドラの体を包み込んだ。
「先々代はまだ骨のあるジジイだったが……やはりこちらの世界も知らぬキサマらでは話に──」
サドラのお喋りは、結子の強襲によって遮られた。
皮肉な笑みを浮かべるサドラの顔面を、結子の拳が捉える。
ビュッ──と空を切る音と共に、サドラだったものの影は消え、結子の背後でサドラの本体が手のひらを突き出す。
「残像だ」
右手に集中したエネルギーが弾け、雷撃と爆風が空間を焼いた。
およそ生身の人間が耐えうる熱量を遥かに超えた一撃。
破裂した風船のように四散した結子の肉体。
数瞬だけ訪れた静寂。
口から一筋の血を流すサドラは瞠目した。
「残像よ」
サドラの背後に、死んだはずの結子がストッと着地する。
追撃の手がサドラを襲うことはなかった。
勝負はすでに、サドラの腹部に無数の剣が刺さるという形で決着していたのだ。
「ゴホァ……キサマ、いつの間に……ッ!」
サドラは力なく膝をついた。
結子が強襲したと見せかけた、あの初撃から全てが陽動だったのだ。
「この程度じゃ死なないでしょ。私が欲しいのは命ではなく金。まずは今月分の家賃を払いなさい」
埃を払う結子の背中に、爆発音を聞いた千帆が駆け寄って、ピッタリとくっついた。
肩に乗る肉の重量にイラッとした結子が千帆の乳を邪険にしている横で、サドラは腹に刺さった剣を一本一本抜いていく。
「長年のこちらでの生活が祟ったか」
サドラの腹に空いた穴は、剣を抜いた側から埋まっていった。
その肉体を回復するごとに、纏う魔力が顕著に減っていく。
サドラはよろめきながら暖炉に近づくと、その上に置いてあった封筒を千帆に差し出した。
「すごいよ結子ちゃん。ありがとう」
家賃を受け取った千帆が、涙ぐみながら結子の手を引く。
そして、その足が軽やかに玄関に向かおうとした、そのとき。
「これで終わりなわけがないでしょ」
結子は毅然と言い放った。
「住人が拒否できるのは集金のみ。滞納した家賃を無効にするには次の支払いまでに退居していなければならない」
そう、結子の目的は家賃の集金ではなく、50億円という千帆の借金の完済。
「23年と9ヶ月の滞納家賃、そして私に手間をかけてくれた分を我が部活への寄付として、計3億2千万。1円も負からず払ってもらう」
「ま、待て! そんな金、すぐに用意できるはずが──!」
抵抗するサドラの首を、結子が掴んだ。
戦闘でボタンが飛んだ結子の胸元。
そこに小さな花形の紋様を視認した瞬間、サドラは悪魔でも見たかのように怯え出した。
「できるわよ。あなたの持つ会社の株全て、もしくは異世界パスポートの譲渡、あるいは……」
結子は暖炉脇に置かれたランドセルに視線をやった。
「それだけは勘弁してくれ! 娘はまだ小学校編入が認可されたばかりなんだ!」
「120歳はこっちじゃ合法なのよ」
「うっ、わ、わかった! 金なら作る!」
「期限は一週間。あなたがどこに逃げようと、絶対に回収する」
結子はサドラを床に突き放した。
「娘の成長をビデオレターで見守りたくなければ、死ぬ気で集めることね」
困惑する千帆をよそに、サドラは瞳を揺らして震え続けていた。