誰か、異世界の勇者な友達のお兄ちゃんの彼女になりませんか?
「一生のお願い――お兄ちゃんの彼女になってくれない⁉」
「嫌だよ、そんなの」
それは、教室で普通にお昼ご飯を食べていた時のことだった。
友達の深雪が拝むようなポーズで頭を下げている。だけどあたしは、タコさんウインナーの頭に齧りつきながら、容赦なく断った。
すると、深雪は「どうして⁉」と無駄に悲痛な顔をあげる。
「わたしたち、友達じゃなかったの⁉」
深雪は、友達の贔屓目を無視しても可愛い女の子である。
名前の通り透き通るような肌に、パッチリ二重。少し小柄で華奢で、艷やかな黒髪が綺麗な彼女の頭は、男女問わず、隙あればみんなが撫でている。
そんな美少女たってのお願いに、一瞬心が揺るがないわけでもないのだが。
「友達だから嫌なんじゃん。どーして、わざわざ友達のお兄ちゃんと付き合わなきゃならないの?」
御手洗あげは、十六歳。絶賛彼氏募集中であっても、そんな面倒な相手はゴメンである。しかも、あたしの記憶が確かならば、
「深雪のお兄ちゃん。結構年上じゃなかったって?」
「うん。今年で二十六」
「十個……たとえあたしが良しとしても、お兄ちゃん側からしたら犯罪じゃん!」
「そんなのはお金で揉み消すから大丈夫!」
「親泣かせな相手は嫌だってば!」
あたしが食べかけのタコさんを落としてまで反論すると、深雪はぶーっと唇を尖らせた。
「だって、切羽詰まってるんだもん……」
「何で? 二十六歳なら結婚してなくても、おかしくないでしょ」
「でも、いい加減スライムと生活するの嫌だし……」
「え?」
何だか女子高校生に相応しくない単語が出てきた気がしたが、深雪はすぐに表情を切り替え、両手を叩く。
「ほら、ウチけっこうお金持ちだからさ! あげは、将来の夢は玉の輿って言ってたじゃん? なかなか優良物件だと思うよ!」
「……深雪のウチ、老舗の和菓子屋さんだっけ?」
「うん! 来年で創業三百周年!」
あたしのお弁当は、自分で作っている。さらに言えば、大黒柱のお母さんの分も、三人の弟や妹たちの分も作っている。シングルマザーで頑張るお母さんのため、そしてまだ幼い弟たちの教育資金のため、お金はいくらあっても困らない。
「まぁ、とりあえず……会ってみるだけなら?」
それに正直、深雪のお兄ちゃんなら、かなりイケメンかもしれない。
あたしの打算ありまくりの返答に、深雪は満面の笑みで「ありがとう!」とハグをしてきた。
そして、週末。
「ねぇ、あげは。どうして休日でも制服なの?」
「あたしの一張羅に、文句付けないでもらえる?」
駅前でいきなり馬鹿にされた気もするが、深雪の顔にはハテナしか浮かんでいない。素直にわからないのだろう。学校の制服ですら、伝手を辿ってお下がりで入手している貧乏の気持ちなんて。だからスカートの丈も一昔前みたいにやたら短いし、その制服を着てカットモデルにも行っているから、髪型や髪色もちょっと奇抜だったりする事情なんて……老舗和菓子屋の娘には無縁なのだろう。
現に、深雪は夏らしく涼し気な白いワンピースを着こなしている。あたしにとっては、夏の日差しよりも眩しいくらいだ。
そうして、深雪の案内で彼女に家へと向かうのだが、
「それで、深雪のお兄ちゃんってどんな人なの?」
歩きながら尋ねると、深雪は「えへへ」と誤魔化すように笑う。
「正直申し訳ないんだけど……ニートの引きこもりなんだ」
「あー、やっぱりねぇ」
正直、そのくらいのことは予想の範疇。だって、わざわざ妹が切実の兄の恋人を探すくらいだ。何かしら問題がないはずがない。
あっさりと納得するあたしに、深雪は首を傾げる。
「あれ、嫌がらないの?」
「そりゃあ嫌悪感はあるけど。でも『跡取り息子!』て修行させられたりしないの?」
「あ、お兄ちゃんお菓子作るのはすごく上手だよ。『俺より上手い!』て、お父さんがべた褒めするくらい。昔はよく賞も獲ってたし」
「じゃあ、なんでまた?」
あたしのハテナに、深雪は視線を逸らす。
「お兄ちゃん……のまま、二十五歳になっちゃって」
「えっ⁉」
強めに聞き返すと、少し顔を赤らめた深雪が耳打ちしてきた。
「お兄ちゃん、童貞のまま二十五歳になっちゃったの!」
「…………は?」
あたしは思わず立ち止まる。深雪が言いたくなかった単語がわかったのはいいものの、だからどうした感は拭えない。
「まぁ……うん。それは可哀想なんだろうけど……それで引きこもり?」
「正直、引きこもり自体はどうでもいいんだ。昔から家で和菓子作ってるのが好きだったみたいだし、だから彼女作れずじまいだったらしいんだけど……」
「じゃあ、深雪は何が困ってるのさ?」
すると、深雪が途端に涙ぐむ。それにあたしも驚いて、なんて声を掛けようか迷っていると、深雪は言った。
「二十五歳の童貞」
「いや、それはわかったから」
「冒険者じゃん」
あたしは目をパチクリさせる。すると、深雪は続けた。
「二十歳でオタク、二十五歳で冒険者、三十歳で魔法使い、四十歳で賢者、五十歳で魔王、還暦で神」
「ねぇ、ごめん。何かの呪文かな?」
「童貞の進化論――知らないの⁉」
「知らないよ!」
そんなダーウィンさんもビックリの進化論なんて聞いたこともないが、深雪はそっとあたしの肩を叩く。
「わたし、あげはのそういう見た目に似合わないピュアな所が好きだよ」
「いや、見た目ピュアな子に言われても怖いだけだから!」
そんなことを話していると、深雪は「あ、ウチここだよ」と一軒の家屋を指差す。
それは見事な門構えだった。昔ながらの立派な日本家屋。中に入らなくてもわかる――あの桜の木の下には、鯉が優雅に泳ぐ池があるに違いない。そしてチャポーンと揺れる竹筒っぽいあれが広い庭にその音を響かせているのだ。
そして、いざその重厚な扉を開こうとして、深雪は振り返った。
「あ、でもお兄ちゃん。冒険者からランクアップして勇者になったみたいだから。やったね!」
「何が『やったね』なのか全然わからないんだけど⁉」
だけどそんなこと、あっという間にどうでも良くなってしまった。
だって、門が開かれた一番に、巨大な謎の青いゼリーがあたしたちを出迎えてくれたのだから。その大きさ、三メートルくらい。よく見れば、門からおもちゃのような王冠が飛び出ている。
「み……みゆき……ちゃん……?」
あたしがフルフルそれを指差すものの、深雪はその青いぶよぶよに向けて溜息を吐くのみ。
「もうっ、奥で隠れているように言ったじゃない!」
王冠を被ったぶよぶよは、深雪に言い訳するように、ぶにょぶにょと震える。
「また掃除してたの?」
深雪の質問に、今度はぶよぶよはぶよんぶよんと縦に弾んだ。それに「仕方ないなぁ」と再び嘆息した深雪が振り返る。
「ごめんね、ビックリさせて」
「ご、ごめんねって……これ、一体……」
「あー、スライム。正確に言えば、スライムキング」
「キングって、王冠被っているから……?」
「そうそう、スライムの王様らしいよ」
慄くあたしに対して、深雪があっさり応えてくれている時だった。
「その子があげはちゃんかい?」
スライムの王様の後ろから走ってくるのは、如何にも和菓子職人っぽい紺色の作業着のオジサン。オジサンはすぐさまあたしの両手を掴むや、
「お願いします! どうかお兄ちゃんを現実に引き戻してやって下さい!」
オジサン――おそらく深雪のお父さんの手はひんやりと冷たい。だけど、その顔は必死そのもので、反射的に頷きたくなったしまう。だけど、オジサンの背後の光景に、あたしは尋ねずにはいられない。
「庭いっぱいのスライム? あれ、何ですか……?」
そこは、歴史の教科書にでも載っていそうなほど立派な日本庭園。だけど、あっちにぶにょぶにょ。こっちにぶみょぶみょ。ピンクや緑や黄色。あげくにスライムに乗ってる兵隊が陽気に「うひょひょーい」と飛び跳ねている光景は、とても現代日本だとは思えない。
深雪のお父さんは言う。
「お兄ちゃんが異世界から連れてきたスライムです」
「いせか――」
そして、横から深雪が口を挟む。
「お兄ちゃん、仲間になりたそうな目で見られたら、ついつい連れてきちゃうらしくって……」
「仲間……?」
あたしはお父さんに手を握られたまま、目の前のスライムの王様とやらを見上げてみた。ゼリーみたいなぶにぶにの中では半透明の何かが流動しており、細かな水泡も見受けられる――が、目らしい部分はさっぱりわからない。
「どうか、異世界に夢中のお兄ちゃんに、現実の女の良さを教えてやって下さい!」
「で、でも親を泣かせるようなことは――」
お金は欲しい。こんな立派な家の彼氏がいたら、きっと美味しい思いは出来るだろう。でも、スライムを飼うような男と付き合うなんてお母さんに知られようもんなら、泣かれるのは間違いない。そんな親不孝は言語道断なんだけど――――
「だっ、だったら、誰かあげはさんのお友達を紹介してくれたら、謝礼金を――――」
若干心が揺れる申し出が聞こえた時、突如、それを現れた。
立派は瓦屋根をバキバキと割り、這い出てこようとするのは巨大な怪獣の頭。その咆哮があたしの鼓膜も、あたしが立っている地面さえも揺るがした――まさにその時、思わず息を呑むほど凛々しい声が響く。
「らいでぃいいいいんそおおおおおおおおおどっ!」
そして、夏の青い晴天に一つの稲光が走り、屋根の上に立つ男の手に降り立ったのだ。