絶壁少女は運命に抗う
―エリシャは壁魔法に目覚めた!―
「……え」
祈りを捧げていた少女エリシャから出たのは、そんな間の抜けた言葉だった。
「おお、授かったようだね。どれ、この水晶で君の授かった魔法を見てみようか」
言いながら白い服の男が示すのは、一つの水晶玉だ。
そう、この場は祭壇。
この国……ソーサリウム王国に数ある神殿のうちの一つであり、エリシャが居るのはその祭壇だ。
今祭壇に登っているのは神官たる男とエリシャの二人だけだが、周囲には様々な格好の人々がいる。
それは「儀式」を終えた子供達であったり、まだ終えていない子供達であったり。
あるいはその両親や親戚、珍しいところでは中央の役人なんてのもいる。
その年に15歳になる子供達を集めて行う「魔授の儀」。
神から最初の魔法を授かる一生に一度のこの儀式は、将来を決めると言ってもいい。
故に、神から素晴らしいものを授かった者に関しては早々に色んな所から引き合いが来る。
貧民だろうが孤児だろうが、その時点で素晴らしい人生が確約される。
例えば火の系統だけでも「暖」「火」「炎」といった基本魔法とされるものから「爆炎」「焦熱」といった希少魔法とよばれるものまである。
仮に基本魔法を授かった場合は育てる事が出来るし、場合によっては「6つ」授かる事があるとも言われている。
過去に火・水・風・土・光・闇の6つを授かった少年は大魔法使いとして名を残したという。
そして希少魔法を授かった者は、あとは運が良ければ基本魔法を3つまで……あるいは希少魔法をもう1つ授かる事があるという。
エリシャの「壁魔法」とやらが基本魔法でないのは間違いない。
そして、他の魔法を授かっていないのも間違いない。
つまり、それは。
「壁魔法……? これは、固有魔法……しかし……」
固有魔法。その言葉に場がざわめき、エリシャの顔も明るくなる。
固有魔法。それは基本魔法でも希少魔法でもない、一番授かる可能性の低い魔法。
世界に一つしか同時に存在しない、誰にも真似できない魔法だ。
「聖光魔法」、「時空魔法」……伝説に残る固有魔法は色々あるが、授かった者は高い確率で歴史に名を残す。
つまり、エリシャの人生もまたバラ色確定。
そう確信したエリシャを突き落としたのは……神官の、気遣うような言葉だった。
「……その、なんだ。気にする事はない。魔法だけが人生ではないからね」
その言葉に場が再度ざわめき、一人の男が群集の中から進み出てくる……中央の役人の男だ。
「神官殿、今のは如何なる意味か。その壁魔法というのは……固有魔法なのだろう?」
「確かに。しかし壁魔法は……本人の前ではあまり言いにくいが、数ある固有魔法の中でも一番の「外れ」と伝え聞きます」
壁魔法。過去に一度だけ出たという固有魔法。
その当時に授かったのは男であったらしいが、精々足を引っかける程度の「壁」が精々で、それでも諦めずに鍛えて自分の身体よりも大きい「壁」を出すことに成功したが……冒険者になった直後、モンスターにアッサリと壁ごと粉砕されて死んだという。
「勿論、固有魔法は基本魔法同様に成長し進化する事もあると伝え聞きます。もしかすると、その先があるかもしれませんが……」
「……なるほど」
一切の興味を無くした顔で、役人は頭を下げ群集の中へと戻っていく。
他の群集も、皆エリシャを色々な感情を込めた瞳で見ていた。
嘲笑、哀れみ、同情。
エリシャの両親ですら失望した顔をしていた。
当然だろう、期待していなかったとはいえ自分の娘の将来が暗い……どころか、嫁の貰い手すらないかもしれないのだ。
ただでさえ発育が悪く「男女」とからかわれているのに、役に立つ魔法すらないのでは。
そう、エリシャは両親譲りの真っ赤な髪を肩ほどで切り揃え、身長は女子としては少し低い方。
見目は決して悪くないのだが、ギンと相手を睨むような強気さの垣間見える目と、実際にその通りの性格。
更には男と間違われる程には発育の悪い諸々が同年代の少年達を敬遠させていた。
何しろ平気で取っ組み合いをしてくるのだ。そういう目で見る相手など皆無だ。
おまけに固有魔法は血筋に組み込まれ子孫が再度授かる可能性もあるという。
「外れ」の固有魔法を組み込みたい者がいるとは思えなかった。
「壁女ー!」
どこぞの悪ガキからそんな声が飛んできて、「壁女」という単語が静かに広がり始めていく。
ああ、これで自分の仇名は壁女になるのだろうと。
そんな事を考えながらエリシャは立ち上がり、神官に一礼する。
「ありがとうございます。私は、この壁魔法で世界一幸せになってみせます」
「……頑張りたまえ。君の努力を、神も見てくださるだろう」
可哀想なものを見る目の神官に背を向け、エリシャは身を翻す。
悪ガキどもが手を組んだのか、聞こえてくる壁女コールは大きくなってくる。
それを完全に無視しながら、エリシャは神殿を出る。
そのまま家へ戻り準備していた荷物を背負うと、そのまま近くの森へ。
狩人すら魔授の儀式を見に行っている今、エリシャを止める大人など存在しない。
「壁魔法、ね」
授かった時点で、その魔法の使い方はエリシャの中に刻まれている。
ズンズンと森の中へと進んでいくと、エリシャは切り株だらけの広場へと辿り着く。
「壁!」
手を伸ばし叫ぶと、その手を向けた先にエリシャの身長程の壁が地面を突き破るように出現する。
立派な壁だ。家の壁と比べてもずっと立派だろうとエリシャは自賛する。
その「壁」はエリシャが意識すると、出てきた時と同じ勢いで地面の下へと消えていく。
「……なんだ、使えるじゃない」
使えない魔法みたいに言うからどんな魔法かと思えば、立派な魔法だとエリシャは思う。
たぶん前に授かった男とやらは壁魔法を使いこなすだけの魔力が無かったのだろう。
だがエリシャは違う。
双子の兄ばかりに期待して残りカスみたいな目で見る両親の元から飛び出す為に、冒険者になる訓練をずっとしてきたのだ。
「壁! 壁! 壁ェ!」
ズン、ズン、ズン、と。
エリシャの声と手の動きに合わせて壁が出現していく。
そしてその全ては、エリシャの意思一つで地面へと戻っていく。
「魔力の消費も少ない、か。やっぱり基本魔法同様なのね、これ」
基本的に、「基本魔法」は階位が低い程消費魔力が少ない。
火の系統であれば「暖」「火」「炎」の順に消費魔力は上がっていくし、希少魔法の「爆炎」や「焦熱」は「炎」よりも魔力消費が激しいと言われている。
そして、基本魔法にも希少魔法にも属さない固有魔法が成長し進化するというのであれば。
壁魔法は、間違いなくその「進化する」固有魔法だ。
如何なる先があるのかは分からないが、その確信だけはエリシャの中にあった。
「……エリシャ!」
そんなエリシャの背中にかけられたのは、聞きたくもない……しかし、聞き慣れた声。
「兄さんじゃない。どうしたの?」
「どうしたの、じゃない。あまり母さんたちに心配をかけるな」
「心配してるわけないじゃない、あの二人が。知ってる? あの二人、私が今日の儀式が終わったら家出てくって聞いて、あからさまにホッとしてたから」
あの二人にとって心配があるとすれば、「やっぱり出て行かない」とエリシャが言い出す事だっただろう。
出来の良い兄……ジークと比べて、出来の悪いエリシャは両親にあまり愛されていないのだ。
それはパリッとした服を着たジークと、よれよれの服を着たエリシャの対比によく表れている。
そして、ジークもそれを理解しているのだろう……一瞬目を逸らし、それでも何とかエリシャへと向き直る。
「……俺は王都に行くことになった。母さんたちも一緒だ」
「あー、あの中央のお役人様? 一体何授かったの?」
「電撃魔法と治癒魔法だ。希少魔法の中でも特に素晴らしいものであるそうだ」
なるほど、確かにそれは素晴らしいだろう。
ソーサリウムの建国伝説に謳われる「電光の騎士」と同じ組み合わせだ。
本当にこの双子の兄は、色々と「持って」いるらしいとエリシャは溜息をつく。
「おめでと。将来は貴族になって順風な幸せ人生ってとこかな?」
「……お前も行くんだ。母さん達は俺が説得する」
「お断り」
ジークの提案を、エリシャは一瞬で却下する。
ありえない。そんな未来は、ありえない。
「私は、私の魔法で幸せになる。兄さんのオマケで生きるなんて真っ平なの」
「だが、お前の魔法は」
「壁」
ズン、と。エリシャとジークの間に壁が現れる。
聞いていたよりもずっと大きいその壁にジークは目を見開くが、その表情はもうエリシャからは見えない。
「さよなら、兄さん。貴方に庇われるのは嬉しかったけど、苦痛だったわ」
誰よりも優しいけど、誰よりもエリシャをジークは否定した。
何もかもを持っている兄と……ジークと一緒では、エリシャは自ら輝くなんて一生できない。
輝くジーク自身が、それを優しく否定するからだ。
「……エリシャ、俺は」
「幸せになってね。私も、幸せになるから」
荷物を背負い遠ざかっていく妹の……エリシャの足音を、壁の向こう側でジークは聞いていた。
何を言っても、エリシャは戻ってこないだろう。そう確信していた。
そしてエリシャも、二度とこの村へ戻るつもりはなかった。
振り返らずに、歩き出す。
そして、始めるのだ。
ジークのおまけではない……エリシャ自身の、物語を。