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ヌシの庵の無頼客

「邪魔するよ」


 “お山”の中程にある洞穴。壁面に差し込まれた申し訳程度の松明を伝った、その奥に結ばれる庵に男が訪れたのは、秋深い夕暮れ時である。

 大きな男であった。並の大人なら、彼の胸ほどしかあるまい。その彼の背と同じ位ありそうな、巨大な棒状の布包みを担いでいる。


「……おや珍しい。ヒトのお客人かい」


 庵の中から声がした。女にしてはやや低い、落ち着いてはいるが、艶のある声であった。


「麓の村から頼まれてね、すまねえが、村から攫った『獣人(ケモノビト)』を返しちゃもらえねえか」

「先に攫ったのはヒトだろう?」


 からかうような女の声に、男はほんの少し眉を寄せた。


 このあたりには、ヒトがケモノビトを年に数人程攫い、使役する習わしがある。代わりにヒトは、幾ばくかの供物を供えることになっている。

 古くから伝わる習わしで、その謂れを知る物は既に、誰もいない。


「それについちゃ、話が付いてるって聞いてるぜ?」

「……付いちゃいないねぇ。だから返してもらった。悪いかい?」

「知ったことじゃねえな。こっちも貰うものを貰ってんでな、筋は通させてもらう」

「それこそ知ったことではない。こちらの道理は通っておらぬ」


 洞穴の冷え込んだ空気が、さらに凍りついた感覚があった。


(ほぅ)


 男は表情にこそ出さないが、その実、こころは躍っていた。


「……強いな、あんた」

「物騒なことを。私はただの、“お山”のヌシだよ」

「戯言を。ただのヌシにこの気は出せんさ」


 かすかに烏の啼く逢魔が刻、庵の扉がゆっくりと、音もなく開いていく。

 扉からぬるりと出てきたそれ(・・)は、輝くような長い銀髪を後ろで束ねた、背の高い女であった。肌もまた透き通るかのように白い。男物の作務衣を着込んでいるため見間違いそうになるが、胸元を大きく盛り上げる二つのふくらみが、女であることを明かしていた。


「狼のケモノビトだと聞いていたが」


 男がゆっくりと、担いでいた布包みを下ろす。とん、と包みを地面に軽く置くと、包みが上から解けた。


「……へぇ」


 ヌシが興味深そうな声を漏らした。

 包みの中にあったものは果たして、男の背ほどもある、巨大な斧である。


「中々どうして、いい女っぷりだな、ヌシ殿」

「お互い様だよ。私が見上げるヒトには初めて会う」

「そうかい」

「そうさ」


 二人が発する殺気に、間の空気が震え出す。その震えは波紋の様に拡がり、やがてぶつかり合い、拮抗する。

 男とヌシとの間は未だ離れ、互いの間合いには程遠い。加えて男は斧を地面に立て、ヌシに至っては素手のままである。


「よいのか」

「よいさ」

「……死ぬ気か」

「毛ほどもないねぇ」


 拮抗した殺気は凝縮され、いつ弾け飛んでもおかしくはない。

 そして、それが弾け飛んだ時、静寂は消され、ここは戦場と化すことになるのだ。


「ひとつ聞きてえ」

「……なんだい?」

「村から攫ったケモノビトはどこだ?」

「この庵の奥にいるよ。まだろくに動けないんでね、寝かしているところさ」

「……動けない?」

「おとぼけでないよ」


 ヌシの殺気が膨れ上がる。

 男の額には汗が滲み、知らずうちに斧を担ぎ上げていた。


――これほどか。


 男は内心、舌を巻いた。

 これまで数多くの人、獣、獣人を、請われるままに屠ってきた。が、そのいずれも、男の肝を冷やすものではなかった。


(怖えな)


 そう思いつつも、男は薄く笑っていた。


――この男。


 一方、ヌシもまた、男に驚嘆していた。

 これまで、ヌシを狙って山を漁るヒトは数多く見てきた。が、いずれもヌシが姿を見せると同時に腰を抜かして逃げ去った。


(怖いねぇ)


 ヌシもまた、静かに心を躍らせていた。


 二人の間を冷たい風がひょう、と抜ける。釣られて舞った落ち葉が数片、空気の壁にぶつかり、霧散するその刹那。


「ふんんっ!」

「ひゅっ!」


 男が上段に構えた斧を振り下ろし、ヌシが半歩下がり、避ける。


 それだけのやり取りである。が、周りでかすかに聞こえていた烏の啼く声が消えた。それどころか、今や彼らの周辺にあった、動物の気配がすっかりなくなっている。


 凛とした静寂。

 硬く乾いた地面には深く亀裂が入り、ヌシの髪がはらりと舞い落ちた。

 数呼吸の後、いくらか離れたところで、動物たちは呼吸を取り戻したのだろう、小さく気配を取り戻していた。


「……深めに振ったんだがな」

「避け切れぬか……」


 そのまま再び対峙する。さっきとは違い、男は斧を担いではいない。ヌシにとっては好機なのだが、彼女はおいそれと動けずにいた。


(さて、どう動くか)

(……動かんか)


 有利なのはヌシである。そもそも素手で機動力が高いのに加え、男の斧は地面に打ち込まれている。そのまま踏み込めば、勝負は恐らく一瞬で終わる。

 だが、それでもヌシは警戒していた。

 身の丈程もある大斧を軽々と振り抜く膂力。自分と相対しても一つの揺らぎも見せぬ胆力。それなりにヒトを見てきたヌシではあるが、それでも、これほどの男に出会ったのは初めてであった。


 この男は、どう動くのか。

 考えてみたところで、答えなど出るわけもなかった。


「ふむ」


 埒が明かぬ。

 そう感じたヌシは、なんの気配も見せぬままに、ふわりと斧の上に立った。


「ぬっ」

「……さて」


 殺気も気配も何もないまま、男に向かって蹴りを放つ。鮮烈な、それでいてどこか優雅な蹴りだが、そのキレは、軌跡にある空気を焦がし、残像を残した。


「ちぃっ」


 男は斧を捨て、後ろに飛ぶ。つい数瞬前までは頭のあった場所で、今はヌシの足裏が男を指していた。


「ほぅ……」

「流石にヌシと呼ばれることはある……」

「……これで仕留められぬヒトがいるとはの」


 言い捨てると、ヌシはまた、ふわりと後ろに避け、敢えて間合いを外した。

 そして、


「拾わぬのか」

「優しいな」

「……きまぐれさ」


 間合いを外すことで、ヌシは男に斧を拾わせようとする。だが、男はそうしなかった。

 ヌシがそのまま攻め込めば、男に返すすべはない。それを敢えてしないところを、男は「優しい」と評したのだった。


「……名を聞いておらなんだな」

「名乗る程のことでもあるまいよ」

「そう言いなさんな。ちょいと興が乗っただけさ」


 ヌシはそういうと、構えを解いた。

 全身からくる緊張感はそのままだが、目は笑っている。

 男はその目を見ると、拍子抜けしたように肩をすくめ、言った。


「……ヤトハレ(・・・・)黒曜(こくよう)だ」

「この山のヌシ、りん」

「山のヌシに収まるようなタマじゃあなさそうだがな」

「ヤトハレ……傭兵に収まるタマではなさそうだがね」


 ヌシは少し思案げな様子を見せたあと、真剣な面持ちで黒曜に言った。


「黒曜殿、ひとつ頼みたいことがある」

「……ほう?」

「もし私が負けたなら、我が娘の代わりに私を連れて行ってもらえぬか」

「……なんだと?」


 それはつまり、村から取り返してきたケモノビトは、山のヌシ、りんの娘ということである。

 それを連れ戻す代わりに、自分を連れて行けと、彼女は今確かにそう言った。

 りんが、庵の扉を顎で指す。黒曜はそれを眼だけで追った。


 すると、庵の入口には、真っ白な毛を血に染めた、まだ年端もゆかぬケモノビトの娘が、怯えた様子で立っていた。


「……!」

「村でやられた。さすがに見かねて連れ帰った。……だから、頼む」

「……糞が」


 そう吐き捨て、奥歯をぎりっと鳴らす。

 黒曜は懐から、一片の紙と金袋を取り出し、りんの目の前に放り投げた。


「それは今、俺が落としたものだ。それを拾って俺に返してくれ。その礼として、あんたに雇われてやる」

「? 何を……」

「あの村は俺を騙した。いきなりヌシが攫っていった、自分達には落ち度がないってな。この紙はその証文だ。それがこの有様じゃあ、筋の通る道がねえ」


 りんは紙と袋を拾い、黒曜に手渡した。

 それを受け取った黒曜は元のように懐に入れると、斧に布を被せ肩に担ぎ、麓への道に足を向けた。


「行くか」

「何をする気だい?」

「知れたことだ」


 黒曜はりんを見て、太い笑いを浮かべた。


「報酬分の仕事はする。交渉の末、もっと役に立つ大人のケモノビトを連れ帰ったって筋書きだ。あの村で頼まれた仕事はそこまでだ。……そうしたら、次はお前さんからの仕事をする」

「……あの村を丸ごと潰す、でもかい?」

「もちろんだ。俺は気に入らねえ仕事は断るが、その仕事なら歓迎するぜ」


 りんは、一瞬ぽかんと呆気に取られた顔をしたが、ふいに呆れたような笑みを浮かべた。


「変な男だね、あんた」

「そうでもないさ」


 黒曜は振り返り、笑った。


「あんた程の女に、ありがとうと言われたくなった。それだけのことだ」


 無邪気とも言えるその笑顔に、りんの頰が朱に染まった。


「いい顔で笑うじゃないか」

「そうか? 熊のケモノビトとよく間違えられるがな」

「ふふ、違いない。……少し時間をおくれ、身支度をしてこよう」


 庵の入り口では、ふうが心配そうにこちらを眺めている。


「お母ちゃん……」

「ふう、ちょっと出かけてくるよ。必ず帰るから、いい子でお休み」


 その様子を見ていた黒曜の目は、ただ優しく、穏やかであった。

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