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『赦されざるメリーバッド』

 善い魔物とは、死んだ魔物のことを言うのだよ。ヤーラ神父は、幼い僕にそう教えてくれた。だからぼくは、たっぷり殺してきたんだ。みんなが天国に近付けるように。


 十四の頃、ぼくは既に教会でも指折りの殺し屋だった。教会が異端と判断した者は即ち「魔」に違いないから、老若男女貴賤雅俗の一切を問わず始末してきたし、場合によっては本当の魔物だって退治してきた。

 ある時は、半獣半人の類――たとえば狼男や、猫憑きを。またある時は、グールを、ゾンビを。出来損なった生命を神さまの下へ返すべく、ぼくたちは精力的に殺して、殺して、殺し回った。ヤーラ神父はそれを大いに喜び、褒めてくださった。それだけで、ぼくの殺意は完全に肯定された。


 ぼくらの虐殺は、ヨーロッパから殆どの「魔物」が一掃されるまで続いた。

 街から邪悪の気配が取り払われると、今度はぼくたち人殺しが街から掃除される番になった。同業者たちがあからさまに姿を消し、中には変死体で見つかる者もいた。それが教会による口封じであったことは疑うべくもないが、当時の無知なぼくは、なんら危機感を抱くことはなかった。


 そんなある日、ぼくは教会に誘い出されて、あらゆる殺傷行為を封じる呪い――〈不殺呪戒〉の焼き印を胸に刻まれることになった。ヤーラ神父はぼくが取り押さえられる様を、眉一つ動かさずに見詰めていた。


「神父さま。何故、このような……」


 肺の空気までもが焼けつくような激痛の中で、ぼくは必死に声を絞り出した。

 すると神父は礼拝でお説教する時のように、聖書の一節を用いながら語ったのだ。


「『人の血を流す者は人に血を流される』。お前の身体は、血に塗れ過ぎたのだ。遠からず、お前も死なねばならない。精々、牢の中で己が罪を数えるが良い。生まれ落ちた罪から一つ一つ、順々にな」


 冷ややかな口調だった。ヤーラ神父は、まるで害獣を見るような目で、石床に転がされたぼくを見下ろしている。彼にとっては、ぼくもまた出来損なった生命の一つなのだと、この時ようやく思い知った。

 錯乱したぼくは衛兵たちの攻撃を掻い潜り、命からがら教会を逃げ出した。市場から街道へ抜け、三日三晩逃げ通したが、追手は一向にやってこなかった。殺しを禁じられたぼくに、生き抜く能が無いことを、彼らはよく知っていたからだ。


      ※     ※     ※


 あれから四年が経って、ぼくは無事に成人を迎えた。

 神父たちに誤算があったとすれば、それはぼくが大人に気に入られる愛嬌を持っていたことにある。運良く田舎町の鍛冶屋に拾われたぼくは、一年で店番を任されることになり、今では独立して小さな便利屋を営んでいる。昔から、良くも悪くも働き者だったことが、役に立ったのかもしれない。


 まんまと生き永らえたぼくは、分不相応にも人並みの幸福を謳歌していた。

 それが良くなかったのだろう。不気味なくらい続いていたマトモな生活は、ある霧の深い夜に終わりを告げた。一人の少女が、ぼくの店を訪れたことで。


「どうぞお入りください。鍵など掛かってはおりませんよ」


 なかなか店内に入ろうとしない少女に痺れを切らし、ぼくは自ら戸口を開いて見せた。すると彼女は妙に嬉しそうな様子で入店し、物騒な注文を付け始めた。


「ここは何でも屋でしょう。殺して欲しい相手が居るのだけど」

「はい?」

「ですから、仇討ちの依頼です。神父を五人、仕留めて欲しいのです」


 外套を目深に被ったその少女は、至極落ち着いた調子で依頼を繰り返した。表情は見えなかったが、冗談や冷やかしの類ではないとすぐに理解できた。そして、ぼくは結論した。この娘は関わってはいけない人間だ、と。

 ――この結論が、半分正解で半分ハズレと判ったのは、もう少し後のことである。


「お客様、申し訳ございません。当方、殺しと夜逃げだけは承っていないのですよ。腕の良い殺し屋をお求めでしたら、どうぞ他を当たってください」

「あらあら、それは可笑しな話ですね。殺しなら貴方の専門ではありませんか」

「……今、なんと?」

「腕の良い殺し屋なら、目の前に居ると申したのです。ねぇ、隼のクリムさん」


 そう告げられた瞬間、ぼくは危うく目の前の少女に躍り掛かる所だった。

 彼女が口にしたその名は、紛れもなくぼくの通り名だった。処刑人クリム、隼のクリム。ぼくが、せっせと虐殺を繰り返している内に付けられた、呪わしい異名。

 これを知られた以上、ぼくが採るべき行動はたった一つに限定される。


「お願いです。どうか、どうかその名だけは」


 ぼくは恥もなく、少女の足元に縋りついた。

 マトモな暮らしを送る内、ぼくは感性までもマトモってヤツに毒されてしまったのだ。人並みの幸福を味わって、それを失う恐ろしさを理解してしまったのだ。散々殺し回って虫の良い話だが、ぼくは静かに平和に暮らしたい。


「頭を上げてくださいな、クリムさん」

「……はい」

「言いふらす気はありません。私はただ依頼に来ただけなのです」

「だが、それは――」

「殺しの依頼です」

「莫迦な」


 訳が分からなかった。この少女は、過去の殺しを言いふらさない代わりに、ぼくに更なる殺人を要求している。これじゃあ、この娘を口封じに殺すのと大差ないじゃないか。

 そんなことを考えていた折、胸の辺りが急にじくじくと痛み始めた。それでぼくは、ようやく思い出したのだ、胸に焼き付いている〈不殺呪戒〉の存在を。


「そうだ、そうだった。ぼくはもう、殺しは出来ないんだ。そういう身体になったんだ」

「あら、それは一体どういう……」


 今度は少女が戸惑う番だった。


「残念ながらアンタがお探しの隼のクリムは、殺し屋としては既に死んでるってことさ。これを見ると良い」


 ぼくは襟を少しはだけて、胸に焼き付いた呪いを晒した。


「これは〈不殺呪戒〉と言いましてね。生き物に対していかなる危害も加えられなくなる、有り難い呪いなんだ。お陰でぼくは、鶏一匹絞めることもできない」

「殺しが、できない……」

「そう、だから諦めてください。ぼくは望んだって、殺し屋には戻れないんだから」


 話は仕舞いとばかりに、ぼくは帳簿をぱたりと閉じて、店仕舞いに掛かった。修理途中の品物を机から下げ、売上を金庫に入れ、最後に蝋燭の明かりを消して回る。


「もし、呪いを無効にする手段があるとしたら、どうですか?」


 闇が深まる店の内で、少女の声が響いた。

 ぼくは内心、早く諦めてくれと毒づきながらも会話を続ける。


「無効にする? そんな莫迦な。有る訳がない」

「いいえ、有るのです。たった一つだけ」

「それは?」

「死んでみることです」


 一瞬、脳が言葉の理解を拒んだ。彼女の発音は間違いなく、ネイティヴの独語で、それはぼくにとっても母国語だったけど、だけどもやっぱり訳が分からなかった。


「聞き違いかな。今、死ねと言ったのかな」

「ええ。正確に言えば、一度死んで蘇えれば良いということです。私なら、そのお手伝いができます」


 いつの間にか、少女は外套を脱ぎ捨てて、ぼくの前に立っていた。妖しい笑みが浮かぶ彼女の口元には小さく牙が覗いていて、その後ろ姿は夜闇を湛えた窓硝子に、深紅のドレスだけを残して映っていた。


「あっ。アンタ、吸血鬼か!」

「ええ、そうです。幾つかヒントを差し上げたつもりでしたけど。お気付きになりませんでしたか?」

「……会ったことがないからね」


 ぼくは応えながら後退りした。しかし少女は、後退した分だけ距離を詰めてくる。やがて背中が壁にぶつかった。彼女の青白い肌が、赤い瞳が目の前に迫る。


「殺し屋に戻りたくても戻れないと言った貴方の顔、とても悲しそうでした。きっと未練があるのね」

「ない、そんなものはない」

「隠さなくても良いのですよ。貴方の望みは果たされますから」


 少女はぼくの肩を掴み、壁に押さえつけてくる。齢十五、六くらいの娘とは思えない、凄まじい腕力だ。肩が悲鳴を上げている。


「ねっ、やっぱり死ぬのはナシって訳にはいきませんか。ぼくが神父どもを誘い出して、アンタが殺せば良い。そうでしょう、ね?」

「そうはいきません。貴方の力が必要です」

「買い被りすぎだ。それに、死んだら呪いがチャラになるなんて、聞いたことがない」

「アンデッド業界では常識です」

「そんな業界は御免だ。頼む、止めてくれ」


 今やぼくは、彼女の手の中でブルブル震えていた。何者をも傷付けられない身体になって、ぼくは心根までも無力になっていた。抵抗することもできず、脅威に曝されるのは死ぬよりも恐ろしい。

 そうだ。やはり、狩るか狩られるかなら、狩る方がずっと良い。狩ろう。

 その思想は、まるで神託のようにぼくの中に降りてきた。


「生まれ変わってまた会いましょう、隼のクリム。同胞を殺戮した咎は、これで帳消しにしてあげます。だから安心して、仲間になってくださいね」

「……アンタ、名は何て言うんだ」

「えらく唐突ね。何故そんなことを?」

「本当に呪いが解けて、蘇ったなら、その時はぼくがアンタを狩る。ぼくを殺そうっていうんだ。殺し返して墓標の下にぶち込まなくっちゃね」


 精一杯の強がりだった。眼前の女怪はそれを見透かしたように笑っている。そして、ぼくの首に牙を潜り込ませる直前に、彼女は小さく囁いた。


「私の名前は、シエラ・ルゴーム・ローゼンベルク。貴方が、私を上回る吸血鬼になることを祈っているわ」


 身体から血の気が抜けて、瞬く間に意識が闇に引き摺り込まれていく。その最中に、ぼくは誓ったのだ。もう誰にも、祈ったりなんかしないって。

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