疑惑四、その男は幼女を誑かしましたか
「こう?」
「そうそう、お姉ちゃん上手だよ」
女の子たちが、菓子の作り方を教えてくれる。
リトナの庶民のおやつらしく、小麦粉と少量の塩で作った生地をくるくると巻いて、揚げるのだという。
ユーリオの養子達は合計十二人もおり、彼らの世話を焼くのは昨日ジーンを世話してくれた女性ポリーと通いのブレンダ、ユーリオ、そして神官が三人だ。神官と思えないほど日に焼けた中年から壮年の男たちは、現在六人の少年を引き連れて釣りに出ている。豊かな海の恵みが、彼らの日々の糧であるらしい。
昨夜ジーンは、与えられた部屋で、密告の内容を再確認していた。
『ユーリオ・リトナは無類の女好きであり、一月に三人の子女を誑かした』
『年端もいかない娘さえ毒牙にかける』
この辺りは、根も葉もないというよりも、あまりに多くの養子を迎える彼を悪意をもって噂したとも推測できる。しかし、養子という形態を隠れみのにした悪人も世の中後を絶たないのだからと、ジーンは思い直す。ほんの一面しか見ずに善悪の判断を下すのは、危険だ。
「ここで一番お姉さんなのは、誰なの?」
作業を続けつつ尋ねると、元気に答えが返ってくる。
「キャロル姉だよ」
「十五才だもんね」
その溌剌とした様子に知らず頬を緩めつつ、確かめる。
「そうなの。ええと、昨日案内してくれた貴方が、キャロルなのね」
にっこり微笑んだ少女は、ジーンの数倍の早さで生地を形作っていく。
「でも、女の子で一番長いのはマリエだよ」
ジーンから一番遠い隅の方で、赤毛のお下げ髪がぴくんと揺れた。
彼女は、ぷいっとそのまま外へ出て行ってしまう。
「マリエー?」
小さなミンミが、不思議そうに声をかける。
「あーあ、行っちゃった」
「ジーンさん、ごめんなさい。マリエはね、そのぅ、ユーリオが大好きなものだから」
「やきもちなの」
「ユーリオをとられると思って心配なんだよ、マリエは。だから嫌わないであげて」
口々にかばう。その言葉と一生懸命な顔に、ジーンは目を丸く開いて感心した。
「本当に仲が良いのね」
「だって、兄弟だもん。ね、マリエのこと、嫌わないで」
「嫌うわけないわ。みんなの大事な兄弟でしょ?きっといい子だもの」
「いいこ!」
ミンミが、満足げに繰り返すと、ジーンに抱きついた。その頬と鼻の頭には、白い粉がついている。
「あっこら!ジーンさんの服が汚れちゃうでしょ!ごめんなさい!」
キャロルがあんまり慌てるので、おかしくなってしまった。
「大丈夫よ。ほらミンミ、きれいにしましょ」
ジーンは声をあげて笑いながら、濡れ布巾で自分の手の粉をふき取ると、ミンミの顔もぬぐってやった。
男性陣が漁から戻ると、しばらく神殿は慌ただしくなった。釣った魚をさばいたり、網やら桶やらを洗ったり、水浴びしたり、大人も子どももてきぱきと動く。
ジーンにはやれることはなかったので、邪魔にならない場所でその様子を見ていた。
魚の鱗がとられて頭を落とされていく。内陸出のジーンにとって、魚といえば、頭のない塩漬けか干物か油漬けだった。飛んできた鱗が日光に当たってぴかぴか光るのを拾って、物珍しく眺めていた。
「生臭くなるよ?」
声をかけられて振り向くと、ユーリオがいた。水を被ってきたのだろう、亜麻色の髪が濡れて緩く波打っているし、上半身は薄いシャツを一枚はおっただけだった。神官として、また女性客を前にしてはどうかという格好だが、漁の後ならこんなものだろう。
「お疲れ様です」
軽く会釈をすると、彼はちょっと黙って、それから微笑んだ。
「こっち。手を洗った方が良いよ」
厨房の水場は魚の処理で混雑している。昨日のことは忘れていないが、厨房の皆の邪魔をしたくない。そう考えて、ジーンは恐る恐るユーリオについていくことにした。
厨房の勝手口をくぐると、なだらかに傾斜した裏庭に出た。岸沿いに白い砂浜と松林が遠くまで続いている。それを右手に見ながら少し進むと、もう海だ。一瞬海水で洗うのかと思ったが、ユーリオはまだ歩き続ける。神殿の裏手を建物に沿って進むうち、ほんの少し上り坂になっていることに気付く。
「こっち側が丘になっててさ、真水が湧くんだ」
海の側なのに真水というのが不思議だと思った。水は樋を通って神殿に運ばれていくという。その途中の調整用の桶から、ユーリオは手桶で水を汲んでくれた。
ジーンはありがたくその水で手と、大きな魚の鱗を洗った。
洗い終えると、今度は反対側から神殿の正面を目指す。
「ジーンて、弟とか妹いるんだって?」
「残念ながら居ないです」
「あ、敬語禁止っていったでしょ」
「…居ない、けど、それが何か」
面倒かつ抵抗があるが、眉をしかめたこの男の圧が意外と強い。
ぎこちなくも言い直した彼女に、ユーリオはすぐに顔を緩めた。途端にがらりと雰囲気が変わる。
「キャロルたちが、いるみたいって言ってたんだけど、違うの?」
「そんな話はしてませんよ」
「あ、また敬語。これは、罰則決めないとかなぁ」
「え?!何でですか!」
「だって、こっちばっかり約束破られてるの、おかしいじゃん。敬語使ったら、何させてもらおう」
ジーンの脳裏に昨夜の接触が蘇る。
「その発想はおかしい!」
「お、いい突っ込みだね。その調子で頑張って」
にやにやと唇の端をあげるユーリオに、ジーンはむっとした。
もともとジーンは短気なのだ。そしてよく言われてきたのだが、育ちのわりにプライドが高い。相手が年上だろうと経験値が高かろうと、一方的にからかわれるのは性に合わない。
「馬鹿にされるのは大嫌いよ。絶対敬語なんて使わない。これでいいわけ?」
睨みあげると、身長差を感じる。小柄なジーンがまっすぐ見ても、目線はユーリオの顎にすら届かない。だから、あごをそらして言い放った。
相当不遜な態度だ。嫌われても怒られても上等だというくらいの勢いだったが、予想に反してユーリオの青い目は、にっと細められた。
「うん。そっちで」
「敬意を表して罰則なんて馬鹿らしすぎる」
ぶつぶつ言いながらジーンは膨れた。
ユーリオはといえば、どうどうなどと全く宥めにならないことを言っている。
「だって絶対そっちのほうが素でしょ?それなのに慇懃な態度とられると、むず痒くってさぁ」
「な、なんでどっちが素だなんて貴方に分かるのよ」
完璧な社会人、優秀な文官を自負していたジーンは動揺した。
しかし、問われたユーリオも動揺を見せた。
「「え?」」
「や、まさか隠せてたつもりとか言う?婚約適当に破談出来ずに査察をばらす短気さに、孤児のために真剣になりすぎて話の流れを変え損ねるドジさに、営業用を隠しもしない作り笑顔なのに?」
お互い驚きの目で見つめ合う。
二人ともしょっぱい顔になったのは、きっと潮風のせいだ。
「…まあ、とにかく素の方がいいよ」
「…はぁ。私、普段はあんまり言葉遣いが良い方じゃないけど、それでいいなら」
「うん。こっちも神官長らしくないわけだから、ちょうどいいよ」
「自覚あるのね」
「そりゃあね。太陽神殿に行ったことはなくても、近隣での集まりはあるしさ」
神官長は神官長同士で会合を開くらしい。
「だから、よその神殿の人間が、魚採りする俺たちをよく思わないのも知ってるよ」
ジーンは驚いた。
「え?でも、子どもたちのご飯でしょ、あれ。別にお金儲けをしているわけでもないのに?」
うん、とユーリオは微笑んだ。藍色の目の色が、深い。
「それでも眉をひそめるんだって。神聖な神殿に仕える者が魚臭いとは何事だ、って」
「ほとんどの神殿は魚食を禁じていないはずです。食べている以上、得る方法に文句をつけることはおかしいです!それに、職業に貴賎はないのだと言うのが、全ての神典の共通事項ではないですか」
ジーンは早口に反論した。まだ言い足りない気分だったが、ユーリオに言っても仕方ないので、堪える。眉間にしわが寄っているだろうジーンに対して、ユーリオの方はさも可笑しげに口もとを抑えている。
「…なんで笑うんですか」
「いや。怒ってるの?」
「怒ってますよ。筋が通らないじゃないですか」
とうとうユーリオが噴き出した。
「直情型だな。でも、いんだよ、うちは海神殿だからーって大義名分があるから、いろいろ言われても実害はないし。ありがとう、分かってくれて。…ところでジーンちゃん」
「はい」
「敬語になってるよ。お仕置きだね!」