疑惑ニ、その男、隠し子がいます
「太陽神殿から、昨日封書が届いたんだ」
そう話す青年の頬には、赤い手形がついている。先程のセクハラ行為に対するジーンの回答の跡だが、青年の顔はそんなことなかったかのように爽やかだ。
夢でも見ていたのか、ひょっとして勘違いで殴ってしまったのか、とむしろジーンの方が気にやんでいる。
それにしても、あと一日早ければ、ジーンは速達の手紙すら追い抜いていたらしい。そうならなかったことは幸運と考えればいいのだろうか。
「神官長ユーリオ·リトナの婚約者を推薦し、そちらへ送りますって」
ほら、と見せられたのは、確かにその旨の書かれた文書で、ご丁寧にジーンの姿絵までついていた。
「それで、こっちとしては、太陽神殿は血筋が次代に繋がらないのを心配して、婚約者っていいだしたんだろうなって思ってたんだよね」
コンヤクシャ。こんやくしゃ。婚約者。
上司がジーンにこだわった理由は、これかと気づく。
女好きで遊び人と噂の神官長には、妻も…そして正式な子どもも、いない。太陽神殿から送り込まれた婚約者ならば、いかに遊び人といえども一応は尊重しないわけにはいかないので、きちんと妻子として扱うことになる。
基本的に神殿の役職は世襲制ではないが、一部の例外があって、ここリトナの海神殿は、神官長を血筋で決定しているのだ。つまり、ジーンは神殿に、子を生むための駒として送り込まれたことになる。
少しは、ほんの少しは、ジーン自身の能力を見込んでくれたのかと思っていたのに。
けれど、どこか納得してしまう自分も居て、ジーンは泣きたくなった。
「あれ、大丈夫?」
「大丈夫です…」
ちょっと、泣きたくなっただけだ。
どうせジーンの価値なんて、女という性別だったことくらい。お前が行くしかない、と送り出した上司の評価なんて、その程度だったことくらい。そんなこと薄々察していたのだ。だから、改めて実感して落ちこんだだけだ。
青年はダメージをくらってよろよろのジーンの先に立って歩き出した。
「あ」
荷物を取り上げられたことに気付いて声を上げようとしたものの、前を行く青年のしなやかな動きに何故か抗議を呑み込む。
「おいでよ。皆歓迎するよ」
振り返った青年が、片手で招く。
取り繕う余裕もないから、ジーンの様子に気付いているだろうに、根掘り葉掘り掘り下げない優しさが、少しありがたかった。
どの道ここまで来て、神殿に行かない訳にはいかないのだ。
ジーンは気合いを入れ直して、ずんずん距離を詰めた。
神殿の職員に挨拶をするのだ、と思えば、落ち込んでなどいられない。誰が噂の根源か、見極めるのもジーンの仕事なのだから。それに、神官長のユーリオ·リトナに直接会わないことには、この馬鹿げた婚約話もなくならない。
ユーリオ·リトナに面会して、さっさと仕事と婚約破談を進めよう。そうして華麗に舞い戻って、上司に泡をふかせてやるのだ。
「だ、大丈夫?」
むん、と鼻息荒く気合いを込めたジーンに、青年はちょっと引いたかもしれない。
神殿に近づくと、美しい浜辺と松林が現れた。
ジーンはほんの少し立ち止まった。
美しい街だ。
昔から海神に守られて漁業、海運で栄えてきたリトナ。その歴史ある白っぽい石造りの街並みを抜ければ、そこには真っ青な海、遠くの方まで白い砂浜の底が透けて見えるようなグラデーション。
初めて見るジーンには、目の前の光景が絵でないことが不思議だった。
「海、初めて?」
「ええ。…とても、綺麗ですね」
「でしょう?」
「空とはまた違う青なんですね。私、海と空とをいっぺんに見たら、どこまでが空でどこまでが海か区別がつかないんじゃないかって思ってました」
思ったままを口にすると、青年はくすくす笑いだした。
「面白いね、君。でも、気に入ってもらえたみたいでよかった」
まるで、自分を誉められたように嬉しげに、彼は言った。
ジーンは不思議な気持ちになった。
しかしすぐに、疑念を抱いた。この人当たりと先程のセクハラ、神殿にあるまじき軽薄な輩ともいえるのではないかと。神官の平均年齢は四十代、神官長となると、大抵は五十歳以上だ。この男のような下っ端を厳しく律することが出来ないとなると、もしかすると、密告にあった風紀の乱れに関する情報は、本当なのかもしれない。
そんなことを考えながらついていけば、白い石造りの神殿の入り口についていた。
そこでドン、と足下に衝撃が走る。
「おんなのひとだー!」
「おんなー?」
「ユーリオあたらしいオンナ?」
四人の幼い子どもが神殿からまろびでてきたのだ。そのうち一人は無言でジーンの足に抱きついている。
突然の出現に混乱していると、青年が叫んだ。
「お前ら隠れてろっていってるだろ!」
隠し子がいたのか…!
ジーンは思った。
しかも思い返してみれば、彼らは『ユーリオの新しい女』と言わなかったか、とジーンは苦笑いした。
どうやらユーリオ·リトナは密告通りの女好きらしい。
さすがに神殿関係者の目の前でメモをとるわけにはいかないので、頭のなかで復唱しながら指を折った。ジーンの記憶術だ。
「ユーリオ!この人誰?」
「だから、紹介するから、まずちゃんと挨拶しろって。ほら、離れろ」
「ユーリオのけちー」
ぶうぶう文句を垂れながらも皆整列するからには、子どもたちは『ユーリオ』になついているらしい。
そう二本目の指を折ろうとしたところで、ジーンの頭からざぁっと血の気が引いた。それこそ音をたてるほど。
「…ユーリオ?」
「何?」
先ほどから隣を歩いてきた青年が、ぱっと振り向く。
そう多い名前ではないのに。
「…ユーリオ·リトナって、こちらの神官長の名前ですよね?」
神官長というのは、神官を長年務めて信頼の篤い者から選ばれる。よって、若くとも40歳以上の者がほとんどで、特にここのような大きな神殿の長となると、普通は老人の域なのだ。
「そうだよ」
「じゃあ、神官長は?!」
「俺だよー」
ひらひらと手を振られ、ジーンは今度こそ卒倒しそうになった。しかしぐぐっと足を踏ん張って堪えて叫んだ。
「嘘でしょう!?」
「えっ、なんで嘘だなんて思うの?」
「だって貴方、貴方まだ二十才くらいじゃないですか!」
「ユーリオは二十二才だよー!」
側にいた子どもが元気に教えてくれる。
「その年で神官長なんて聞いたことがありません!」
「ああ。ほら、うちは世襲だからさ」
「それに神官長の服も着ていないし!」
「町に君を迎えに行ったんだ、あんな動きにくい格好で行かないよ」
「ユーリオは普段も面倒くさがって滅多に着ないじゃん」
「こら黙ってろ」
ダメ出しした子どもの髪を青年がぐしゃぐしゃにかき回したので、子ども達はきゃあきゃあと喜んだ。
ちょっと放っておかれた感じになったジーンは、勢いをそがれかけたが、両手の拳を握りなおして叫んだ。
「それに、それに貴方、こんなに隠し子がいる聖職者なんていないわよ!」
子ども達の声がびっくりしたように止む。
その真ん中で、二人の少年を羽交い締めにしていた青年は、目を真ん丸くしていた。
それから、すっとんきょうな大声で叫んだ。
「か、隠し子ぉ?!」