疑惑一、その男は女好きです
鈍足更新になりますが、連載を開始しました。よろしくお願いいたします。
「結構大きな街じゃない」
ジーンは目を見開いた。
ここは東の端の都市リトナ。海を臨む美しい観光地として有名だが、大都市エレナから来た彼女は、さほど期待していなかったのだ。
「予想外だけど、これは良いことよね。領民にとっても、神にとっても」
ジーンはそう頷くと、手元の皮の手帳に小さな字でメモを録った。
この巨大な大陸は、ひとつの宗教のもとにまとまっている。
とはいえ『ひとつの』といっても、これが土地によって様々だった。なにしろこの宗教、土地ごとに数多の神がいて、それらの神々がその土地の人間を守っているというのだ。
もちろん、神々にも序列があって、その最高峰たる太陽神を祀っているのが、大陸の中心、エレナの丘の太陽神殿だ。
ジーンは、この太陽神殿に仕えていた。神の妻たる巫女ではない。神殿に仕え、各地の神殿の運営管理を行う文官の一人だった。
そんな彼女がはるばるこのリトナの街に来たのは、リトナの神殿に異変ありとの情報が入ったからだ。
──由緒あるリトナの海神殿が、神官の私利私欲で食い荒らされている。
最初は神殿も出どころのしれない情報として静観したが、その後も色々な情報が寄せられた。いずれも、神殿の権威を保つに好ましくない内容だった。
そこで、今回、ジーンに白羽の矢が立ったのだ。
『海神殿の神官と接触して、情報の真偽を探れ』
上司である文官長に命じられたとき、なんで私が、とジーンは言ったのだ。
何しろリトナへはエレナから馬車で一月近い。普通に考えて、女性に一人旅をさせる距離ではない。
しかし、上司の返答はジーンの抗議のさらに上をいくものだった。
『例の神官が密告通りの女好きかどうかを調べるには、お前が行くのが一番だろう』
思い出して、ジーンは口を尖らせた。
上司の言葉通りなら、旅の危険に加えて乙女としても危険という訳で、ますます他の人間を当てるべきじゃないかと思った。しかし、駄々をこねても、どうにもならない。神殿に仕えるジーンは、就職時に神の手足となる誓約書にサインをしているから、基本的に上司の命令は絶対だ。上司の方が、神の意思に近いとされるから。
それに、由緒ある神殿の査察だ、きちんとこなせばそれなりに実績として評価も得られる。ジーンの今後にも、プラスに働くだろう。
さっさと出世して、あの狸に命令してやる、と夢想して、ジーンはようやく口をもとに戻した。
馬車はちょうど最後の停留所に到着した。
「おじさん、どうもありがとう」
「あいよ。嬢ちゃんも気をつけてな」
世話になった御者に挨拶すると、すぐに歩きだす。さっさと出世、そのためにもさっさと報告を完成させるのだ、と。
そう思い続けてはや一月近く、毎日十時間以上の馬車移動をしてきた。お陰でここまで、予定よりも二日ほど早くたどり着いている。
通りに出ると、ここでもジーンは速やかに行動した。
ためらいなく的を絞ると、一人の女性に声をかけた。
「あの、海神殿にいく道を教えていただけませんか?」
女性は、突然声をかけたジーンに驚いたようだったが、すぐに彼女の着ている神に仕える人間のローブに気づいて、にこにこ笑って教えてくれた。
「海神様にご用かい?それなら、右の坂を上っていくと、海側に見えるよ」
ありがとうと礼を言って、ジーンは歩きだす。
そして、不自然でない程度に離れると、また別の女性に尋ねた。
「海神殿を探しているのですが、教えていただけませんか?」
「あんた、海神様ってんだから、海沿いにいけば見えるに決まってるだろ」
ここでもすぐに返事をもらえた彼女は、礼を言って別れた。
その後、ジーンは同じようにして、また三人ほどに同じことを尋ねた。
ジーンの名誉にかけて言うが、迷子になった訳ではない。大体が、そこそこ有能な文官のジーンにとって、目的地の神殿を調べないなんて不手際はあり得ない。
この質問の目的は、道を聞くためではなかった。質問に答えた女性の反応を見るためだ。
裏路地に立ち止まって、手帳を開く。
「海神殿に対する嫌悪感は見られず。むしろ、親しまれている様子、と」
ジーンは素早く書き込む。
そこに、ふいに影が差した。
ジーンはさっと向き直って構えた。
スリか強盗かと警戒したものの、そこにいたのは、たった今声をかけようとして片手をあげて固まった、という風情の青年だった。服装も着古したシャツと茶色っぽいズボンだが、汚ならしくはない。
「あ、ごめん。今、声をかけようとしてたんだけど」
「いえ、こちらこそごめんなさい」
今をかいた青年から目を離さないまま、謝る。
柔らかそうなアマ色の髪だ。年は、二十そこそこか。
「あの、なにか?」
「あ、えっとさ、海神殿を探してる女の子がいたって聞いて来たんだけど、君のこと?」
しまった、とジーンは思った。
噂になってしまったらしい。しかし、それで何なのか。
「そうですけど…」
ぱっと青年の顔が明るくなった。
「良かった、そうだと思ったんだ。姿絵にそっくりだから」
「姿絵?」
ジーンは首を傾げて聞いた。
「君の姿絵。太陽神殿から送られてきた」
太陽神殿と聞いて、ああと納得する。上司は神官に近づきやすいよう、適当なポジションを用意しておくと言っていた。その書類かなにかだろう。
「それじゃあ、貴方は海神殿の関係者なのですか?」
「うん」
にこにこと、何が楽しいのか、青年は笑う。
海風が吹き抜けるような、清々しい笑いだ─そう思いつつジーンは、これは書くのを止めておこう、とも考えていた。
「まあ。では、よろしくお願いいたします」
こちらは営業スマイルで、返す。営業用だということがはっきりしているところに定評のある笑顔だが、青年の笑顔に変化はなかった。
「うん。よろしく、婚約者どの」
「こんやくしゃ?」
「うん。だって、ジーン·エレナンでしょ?婚約者になった」
ぴしりと固まったジーンを、青年はふわりと抱き締め、そして腰を撫で上げた。
「これからよろしくね」