1. ずぶ濡れ
私の名前は紫雪子。近所の高校に通う女子である。髪の色は明るい紫で陽に照らされると青白く光る。日本人であるが、なぜか私の髪の毛は紫色なのだ。
別に気にしたことはないが、時々友人にどうしてそんな色なのか、と聞かれることがある。そういう時、私は紫陽花の生まれ変わりだから、と答える。そういうと、友人は不思議と納得するのだ。
今日は学校の帰り道である。今日はカラリと晴れた日であるが、明日から七日間つまりは一週間、ずっと雨だそうだ。テレビの天気予報でやっていた、そのための準備というものをしておくようにとテレビからも学校からも言われていた。
私はちょっと面倒くさかった。雨の日なんて、傘さえさしてればへっちゃらだ。レインコートも長靴もいらない。
凝縮された梅雨が近づいていた。
私はテクテクとローファーの靴で街通りを歩き、自分の家へとゆっくり進む。「ああ、いい天気だ」
私がそう言ったとき、ふと路地裏でドラムの音がした。シンバルのパシーンっていう音。なんだろうか?
それに興味を持ち、いつもは訪れない路地裏へと私は歩を進める。赤レンガで囲まれた薄暗い路地には地下へと続く階段があって、そこから音が漏れていた。
私はその地下へと続く階段を下りていく、おそるおそる。地下に近づくにつれ音が大きくなる。一体そこには何があるのだろう?
階段を下りてしまうと白い分厚い扉があった。私はそのノブを握りしめて扉を開ける。吸い込まれるように奥へと入ってしまうと、音楽が大音量で響いていた。
しかし、誰もいない。私は薄ら寒く感じ始めた。
「あのー、誰かいますか?」私の声も大きな音に阻まれて誰にも届かない気がした。
無人の室内でどこからともなく演奏がずっとしている。私の背筋に汗が流れた。
私はここにいるのが怖くなったので外に出ようと扉に戻り外に出る。
急に雨が降り始めた。それもこれまで見たことのない大雨だ。空が暗い灰色で私は一瞬でずぶ濡れになる。
「さっきまで晴れてたのに・・・」私は階段を上がり、家に帰ることにした。
靴の中まで濡れてしまっている。空中を描く雨の線で視界が遮られる。まだ四時前なのに、辺りはもう真っ暗で車がライトをつけて走っている。
「母さんに迎えにきてもらおうかな」携帯電話を出し、ボタンを押すが反応がない。「どうしよう、雨に濡れて壊れちゃったのかな」私はそれをまたポケットに戻した。
ここから家まで結構かかる、このままだと風邪を引いてしまいそうだ。くしゅんと小さくくしゃみをする。
「あー、寒い・・・」私はゾンビのような姿勢で徒歩で家へと進んでいく。
人通りが全くない。私はここで死ぬんだろうか、なんて考える。頭がカッカッと熱かった。それでも歩を進める。
ようやく家の近くまで来たかと思うと、紫陽花が近所の家の人の庭で咲いていた。紫、水色、黄色、の紫陽花。
そこを通り抜け、歩き、歩き、そして私の家に到着した。
玄関を開けると床に私から落ちた水滴が水たまりを作った。母さんがやってくる。
「あら、雪子びしょ濡れじゃない、直ぐにお風呂に入ってきてらっしゃい」
「わかった、もう死ぬかと思った」私はお風呂場へと向かう。
お風呂から出てきて夕飯を食べてる最中であった。テレビはどこの地域も雨が降っているとやっている。
「あのね、今日不思議な場所に行ったの。誰もいないのにどこからともなく音楽が鳴ってるの。地下にあるところなんだけど、母さんなんか知ってる?」
「知らないわね、あまり危ないところには行っちゃダメよ。あなたまだ高校生なんだし」
「わかった、なんか風邪っぽいからご飯食べたら風邪薬飲むよ。母さん薬出しといて」
「風邪薬は出しとくけど、ちゃんと体温計でお熱計りなさいね」
「うん」今日の夕飯はローストビーフと大盛りご飯だった。
私はそれを食べてしまうと、風邪薬を飲んでから体温計を腋に突っ込む。
しばらくするとピピッと音が鳴る。腋から体温計を取り出すとディスプレイには37度5分と書かれていた。
「37度5分だって、母さん」
「今日は早めに寝ちゃいなさい。スマホゲームとかやらないでぐっすり寝るのよ、わかった?」
「あ、そういえばスマホ壊れちゃったみたい・・・。雨に濡れて動かなくなっちゃった」
「あんた、あれ高かったのよ。当分はなしで我慢しなさい」
「仕方ないかあ・・・。我慢する。じゃあね、ご飯ごちそうさま、おやすみ母さん」
「はい、おやすみなさい」
私は自室に入ると冷房のスイッチを入れた。ベッドの上で横になり、読みかけの小説を読む。
小説の題はスティーヴン・キングの『ミザリー』。
微熱の頭でもスラスラと入ってくる文章だった。くしゅん、とくしゃみをする。
そろそろ寝るか、そう思って部屋の電気を消すと冷房をタイマーに設定してベッドの布団を自分に敷いて目を閉じる。
なぜだか、あの時地下で聞いた音楽が私の頭の中で鳴り響いていた。
なんという題名の曲なのだろうか?それがわかれば少しだけ謎が解けるかもしれない。
そんなことを考えているうちに私は眠ってしまった。
デカイ雷の音で目が覚める。枕もとの時計は深夜三時を指していた。どうやら近くに雷が落ちたようだ。
暗闇の中窓辺に行き、カーテンを開けてみる。外は街灯に照らされた無数の雨がずっと降っていた。これから七日間続くのだろう。
私は冷蔵庫へ麦茶を飲みに行った。私の自室の二階から一階へと降りていく。階段がギシギシと音を立てる。
キッチンに着いて、食器棚からコップを取り出し、冷蔵庫の麦茶をそこの注ぐ。
それをコクリと喉に流し込む。ひんやりと冷えていて美味しかった。
気まぐれに居間のテレビの電源をつける。テレビのチャンネルはどこもやっていないようであった。麦茶を飲みながらテレビはやっていないようなので、ビデオを見ることにした。
ビデオ棚を物色しているとタルコフスキーのノスタルジアがあったのでそれを再生する。
段々と鑑賞していると眠くなってきたので、麦茶を流し棚に置いて、ビデオを止めて、自分の部屋に帰る。
ベッドにもぐると雷はまだ遠くのほうでしているようであった。枕もとの時計は四時になっていた。
翌朝起きると遠くのほうでウグイスの鳴き声が聞こえていた。雨は止まないで更に勢いを増しているように思えた。
二階の洗面所まで行くと顔を洗って目やにを落としてしまう。それから一階へと下りて行った。
「雪子、今日学校ないってさ、連絡網でまわってきたの」
「そうなんだ、こんな雨だもんね。それに私、風邪っ引きだし」
「ちゃんと安静にしときなさい」
「わかった、母さん今日の朝ごはんは何?」
「今日はアジの開きと納豆ご飯だよ」
「やっぱり朝は焼き魚と納豆ね!」
食事を済ましてしまうと、また自室に戻る。小説を読んで時間を潰すことにした。