三人称視点9:休戦間際
正直な話、阿南豊一郎のお話を本格的に書くのもいいかなと思いました。
「オスマン帝国が単独和平か…なら、勝敗は決したな」
東京銀座に本店を構えている変則株式会社の社長室で届いたばかりの新聞を広げて読み上げているのは阿南豊一郎だった。
成功者として名高い彼は、自身の歴史改変による行為によって未来が大幅に違いを見せていることに驚きつつも、これで戦争が早く終わるだろうと予測した。
転生者である彼は、元大手食品会社の商品開発部門で働いていた人物で、新商品の「80年代リミックスガム」という80年代に出された商品の味に可能な限り近づけたガムを試作中に脳梗塞で倒れて、そのまま意識が戻らないまま搬送先の病院で亡くなってしまった。
阿南豊一郎にとって、意識を失っていた時間の感覚はほぼ一日ぐらいだったように感じただろう。
暫くして目が覚めると、かなり古い民家の居間で目が覚める。
1882年4月10日のことであった。
そこで彼はいまいる場所が現代ではないことを悟り、名前だけは同じ同姓同名の別人の身体に憑依したことも判ったが、それからどうするか悩んだ結果、二年間横浜の実家兼商家である「阿南商店」手伝いをしながら食品会社の商品開発部門で働いていた頃の記憶を頼りに、休みの時間に台所で低価格で食べれる菓子の開発を一人で行った。
長男と次男からは安価の菓子づくりは薄利多売故に儲けが少ないと反対したが、父親である阿南半蔵は豊一郎の好きにやらせておけと止めなかった。
後に父親の判断は正しかった。
1884年5月10日、記憶を頼りに筒状に出来た安価で作れて安価で買える味付き菓子「1銭菓子」を店頭で販売するようになる。
1銭菓子は瞬く間に横浜中でブームとなり、子供からお年寄りまで幅広く顧客ユーザーを獲得することに成功し、その年の8月には「1銭菓子」とミネラル豊富な地下の湧水を汲み上げて作った「9銭冷水麦茶」をセットで販売する「10銭おやつ」は大好評となり、阿南商店の名前は横浜だけでなく周辺の土地にも噂が広がっていった。
だが、すべてが順調に進んでいたというわけではなかった。
長男と次男である兄たちが自分たちが反対した事業を成功させている豊一郎を恨むようになり、長男である阿南市蔵は横浜の大学で司法を学んでいた友人に書類を偽装させて、さらに次男の友人に取引があったように見せかけて豊一郎に偽装文章と詐欺の罪を擦り付けたのだ。
警察は豊一郎を逮捕するも、まだ彼が未成年であったことと父親が弁護したことで罰金刑のみで済んだが、家にはいられなくなってしまい、僅か15歳で独立し世田谷に拠点を移した。
そしてまだ長男たちには教えていなかったもう一つの食べ物を考案した。
その食べ物が大ヒットすると同時に日露戦争の結果まで変えてしまう大幅な歴史改変を生み出した。
それがインスタントラーメンである。
インスタントラーメンは史実では1958年に日本のとある会社の社長自らが考案し、日本のみならず世界の食文化を変えた伝説の商品であるが、ここでは阿南豊一郎が覚えている限りの知識を使って、似たような味を作った上で真っ先に軍部に現物を持って行って試食をお願いしたのだ。
最初は湯を注いで3分で出来上がるなんて思いもせずに笑っていたが、いざ出来上がると味や品質ともに良好だったので翌年の1897年に軍への入荷が決まり、「3分袋めん」は関東圏を中心に販売事業を開始し、瞬く間にヒットを飛ばした。
同年にかつて阿南豊一郎を追い出した長男と次男が相次いで結核に侵されて急死すると、阿南豊一郎は実家に戻ることが許されて、商品名を「阿南商店袋めん」に改名して再び製菓菓子の商品開発にも取り組むよりになる。
さらに食品だけではなく通信事業やまだ開発研究中であった航空機への投資なども行い、急成長を遂げることとなる。
参考文献:コミック版 プロジェクトX挑戦者たち―82億食の奇跡(出版元 宙出版 2002)