15:降格
大佐が女性軍人に暴行を働いた…。
その言葉で一気に部屋の空気は凍り付いた。
私はポール伍長にどういうことか問い詰めると、ポール伍長は別班から合流してきたからこのことを知らなかったと語った。
だが、本当にマルガレーテ少佐が大佐から暴行されたのかどうかは分からない。今のように体液のDNAで分かる検査技術なんてこの時代には存在しない。
ましてや、大佐クラスになればそのぐらいの証拠は幾らでも隠滅可能だからだ。
「マルガレーテ少佐………お辛い事と存じますが、大佐が貴方に対して乱暴を働いた証拠のなるようなものはあるのでしょうか………それが無ければ大佐を訴えたとしても大佐の行為を証明することはできませんよ………」
ポール伍長が恐る恐る聞くと、マルガレーテ少佐は絞り切った声で答えた。
「私は恐怖で必死になって手錠を嵌められた手を強く握りました………気が付いたら右手は握った爪が深く刺さって血が出ておりました………血で赤くなった人差し指の先端で大佐の手を握りました………大佐は気が付かなったのでしょう………私が彼の着ている軍服の左の内側のシャツにドイツ語でHilfmir!と書いたのを………彼の着ている軍服に私の血で書いた文字がある筈です………それで私の事が真実であるとお分かりになるでしょう………」
その事を聞いたポール伍長が一旦席を外して憲兵総本部に問合せを行い、錯乱状態で軍病院に運ばれた大佐の着ている軍服を別の憲兵隊が調べると、マルガレーテ少佐の言っていた通り…彼のシャツには血で「Hilfmir」と書かれていた。
また、大佐が持病の慢性気管支炎での治療でヘロインを多量に摂取していたことも判った。
この時代はまだヘロインは違法薬物ではなく新薬として治療薬という形で処方されていた為、薬物依存による異常行動をこの時に引き起こしていたと判断された。
結果から言おう。
大佐は女性に対する暴行容疑で身柄を拘束され、軍の任務を続けることが出来ないと上層部で判断された結果、五等級降格された上にヘロイン中毒のため軍病院に拘束具を付けられたまま強制入院されることとなった。
また、マルガレーテ少佐が暴行を受けているにも拘らずその行為を報告しなかった現場にいた憲兵も一等級の降格処分と三か月間の謹慎処分となった。
一通りの処分内容が下されたものの、マルガレーテ少佐の身体と心に負った傷は大きい。
フランス軍による彼女への尋問は延期され、尋問が行われるまでは女性軍医による健康診断と他の部屋と比べて待遇の良い窓際で清潔感のある個室を用意された。
私が…彼女の乗っていたゴータ重爆撃機を撃墜しなかったら悲劇に見舞われることは無かっただろう。
だが、彼女のゴータ重爆撃機を撃墜しなければ基地にいる友軍が全滅していたかもしれない。
私を呼び出したのも、貴方に撃墜さえなければこんなことにはならなかったと暗に言っているのか…。
これが戦争なのだ…。
勝利する裏側で起こる悲劇…古今東西…どこにでも起こることだと割り切れればどれだけ心が楽になることか…。
だが、私自身がその当事者となった時、その責任は何処にいくのだろうか?
爆撃機を撃ち落とした私か?
爆撃機で基地を爆撃しようとしていたマルガレーテ少佐か?
少佐に暴行を行った大佐か?
第一次世界大戦を引き起こしたセルビアの青年か?
いずれにせよ、その答えが出ることは無かった。