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わたしが木になる、その時に  作者: 神酒屋
第一章 始まるなら、それは種
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第1話 生まれる前の虚無

 男には、先の希望や目指していたものがあった。

 日々働き、将来のための勉強をし、家に帰れば食事や生活の雑事を済ませて眠る。そんな生活を送っていた。

 大きな不満や、生活を圧迫する凶事に見舞われていたわけでもない。


 しかし、そんな事とは関係なく、男自身の性質というか生活を送っている中で強く感じていることがあった。

 この管理され尽くしている世界は、自分にとって余りに生き辛すぎる。

 常日頃感じるその圧迫感はどんなに娯楽で誤魔化しても、或いは妥協したつもりになっても薄れることはなく、むしろ肥大化していっているように感じていた。


――あぁ、何処か遠くで、植物の様に生きたい……


 いつからか男がそんな風に思ったのは、或いは必然だったのかもしれない。

 子供の頃から静かに過ごすことが好きだった。取り分け読書して過ごす時間は幸福だった。様々な視点や様々な意見に感想。見たことのない世界や想像だけで胸躍る情景。

 そうしたことでも考えながら、ただ静かに自分の時間を自分のために費やす生活に、ずっと心の奥底で思い焦がれていた。

 だから……




「(だからこんなことになってるのかなぁ……)」


 わたしは気が付くと、何か狭いものの中にいたのだった。

 昨日はいつも通り職場から帰宅したあと、ご飯を食べてからお風呂に入り床についたはずだ。間違っても人助けのためにトラックの前に飛び出したり、空き巣や通り魔なんかに刺されたりした覚えはない。

 思っても見ない事件に巻き込まれた可能性も考えたが、それにしては手足どころか体のどこの感覚もないし、なんなら呼吸をしている気もしない。

 現実的に考えるなら、これは夢だろう。だって体の感覚もないし、呼吸もしていないなんて状態はありえない。


 だからそのうち覚めるかと思ってぼんやりする事暫く。

 今日は起きたらゴミ出ししなきゃなとか、そういえば今日は仕事じゃなくて演技の勉強の日だなとか、醤油漬けにしているニンニクはそろそろ食べ頃になっているはずだったとか、本当にとりとめのない事ばかりを考えながら過ごしていたのだが、一向に目が覚める気配がない。


 時間の感覚は曖昧だが、それでも数時間は経っていてもおかしくない位は考え事をしていた。なのに全く変化がない。

 これは何か妙だというか、せめて多少は変化があって然るべきなのでは。わたしはどこぞの怪盗の三代目と違って割と夢とか見る質だし、夢も結構取り留めなく場面が変わっていたはずだ。まぁ、夢の中だからそこまで意識もハッキリしてないのできちんと覚えてはいないけど。


 そこまで考えて、自分の思考に引っ掛かりを覚えた。

 あれ、意識? そういえば今って結構意識ハッキリしてない? 少なくとも、これだけ考えられるなら自分の意思で割と起きられるようになってなかったっけ?

 なのにどれだけ考えても起きることが出来ない。


「(いや、まさか、でも、これって、つまり……夢じゃ、ないのか?)」


 口の感覚も、空気を吐く感覚もないけれど、なんとかパニックにならないために声に出したようなつもりで考えを言葉にした。


 ひとまず考えよう。考えないと衝撃でパニックになってしまいそうだ。すごく今更な気がするけれど、自分の今の状況を考えてみよう。

 昨晩は普通に家に帰って眠りについて、気がついたら手足や頭、他にも普段動かしている箇所の感覚が全て無い状況で気がついた。


 じゃあ、今のわたしにはなにがあるのだろうか? まずは最低限ありそうなものを確かめてみよう。

 呼吸をしている感じは無いけど、少なくとも現状でわたしは生きているわけだし、心臓は動いているはずだ。手の感覚が無いから胸に手を当ててとは行かないけど、集中してみると意外と鼓動というのは感じられるものだ。


 と、いうわけで、はい集中。んー……。うーーー…………ぅん。

 うぅん、うー……、んー、うーん? 鼓動なくない? まったく感じなくない? あれ、心臓動いてないの?


 つ、次だ。もしかしたら鼓動は感じないだけかもしれないしな。次は五感を確かめてみよう。

 ただ、触覚が駄目なのは既にわかっている。口の感覚がないから味覚も無理だ。


 よって、残っているのは視覚・聴覚・嗅覚の三つ。それぞれを順番に行ってみよう。

 まずは視覚から。経験は無いけど、目の手術の時には感覚は無くても物は見えるって話を聞いたことがある。というわけで、瞼よ今こそ開くときだ!

 ……まぁ、最初に気がついたときに普通開こうとするよね、瞼って。つまり現状で開いてないなら開かないよね。というか見えているなら暗いとかあるよね。そういうのもないし、つまり見えないよね。


 えぇい次だ! 聴覚! 耳は塞げないし、視覚ほどはっきりしてない部分もあるから、意外と気にして集中してみたら何か聞こえるかもしれないからな!!

 はいじゃあ、集中集中。


…………………………。

……………………………………………………。

……………………………………………………………………………。


 ……やばい、気が狂いそう。何も聞こえないし、聞き逃したくないからって特に考えたり唸っているっぽくするのも止めていたら何の刺激がなくなった。なんか、本当に何の刺激もなくなるとこんな気分になるのか。駄目だ。何の成果も得られなかったし、心の安寧の為にも次だ。


 最後は嗅覚か。息吸っている気はしないけど、逆に言えば息がまったく出来ないのかも確かめてないわけで。これは意外と可能性あるんじゃないのかな?

 鼻も口もわからないから、とりあえずどこかから吸えることを祈って。


 はい吸ってーーー。吐いてーーー。吸ってーーー。吐いてーーー。


 呼吸するようなイメージで繰り返し。ついでに鼻で匂うみたいにスンスンと鼻を鳴らすイメージでも何度か。

 するとどうだ。うまく掴めないけど何か変化が起こったことを感じた。なんというか全身がむわっと言うか、ふわっと言うか、うずっと言うか。なにか自分がここにいるんだぞ、と主張しているような感覚だ。


 狙っていたものは違うとはいえ、それはこの状態になってから、こんな何が起こっているのかもよくわからず右も左もそれらを認識するすべすらない状態になってから、初めて訪れた変化だった。

 この変化を感じたことで、わたしは心底安心した。あぁ、やっぱりわたしは生きているんだと。

 少なくとも、どこかはわからないけど、それでもわたしはここにいるんだという実感が得られて、どこか必死に考えないようにしていた「死んでしまったのではないか」「このまま何も無く消えていくのではないか」という考えを否定されたようで、ここまで自覚は無かったけどようやく人心地つけた気がした。


 ということで、変化のきっかけになったと思われる呼吸をわたしはただ只管繰り返しつつ、改めてここからのことを考えることにしたのだった。

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