8 橋山(3)
「顔が強ばってますよ」
確かに自分でもわかった。この男、どこまで知っているんだ。
「言葉が出ませんか。情報なんて物はいくら遮断しても、どこからか漏れてくるものなんですよ。
病気の発生源を抱える日本としては、どこよりも増して病気の治療法を確立するのが責務となっています。それであんなにでかい施設を作って研究しているんですよね。ただ、具体的な成果は上がっていない。表面上は」
「表面上じゃない。本当に成果は上がっていないんだ」
「そうですか。私が掴んでいる情報は違いますけどねえ。現在センターの細胞解析グループが、ある患者の病気の進行を改善させていると聞いています。その患者の名前が久保山正勝だ。
非常に喜ばしい成果なのに、なんで事実を公表しないのか。それは抗体を他の患者の骨髄から採取、濃縮させた物を投与しているからですね。
患者一人の病気の進行を遅らせるには他の患者三人分の骨髄が必要だ。改善させるためには七人以上の骨髄が必要となってくる。
つまり、七人分の〈蛹〉殺せば一人が生き延びられる。今は極秘で百人の患者から少量ずつ骨髄を採取しているからどうにかなっている。しかし公表されたらどうです。当然誰を助け、誰を犠牲にするのかという議論が出てくる。政府はそんな事態が出てくるのを恐れて公表していないんでしょ。違いますか」
「……私の口からは何も言えない」
橋山が言った情報はすべて事実だった。中途半端に公表すれば、どんな手段を講じてでも〈蛹〉を入手しようとする輩が出てくるのは間違いない。橋山がいい例だ。脊髄の中にある抗体を、人工的に作る技術が確立されるまで、研究は極秘に進めなければならない。
「わかりますよ。立場上、全面的に肯定するわけにはいきませんからね。ただ、松木さんには、私がどのようなスタンスでお願いしているか知っていただきたかったんです。
私の顧客が〈蛹〉をどのようにするかわかりません。でも、彼らをいくらかかってもいいから購入したいと考える人がいるのは理解できるはずです。松木さんも体の弱いお子さんがいることですし」
「お前……。なんで俺の個人情報まで知っているんだ」
「だから言ったでしょ。情報なんてものは、調べようと思えば、いくら遮断しても漏れてくるんですよ」
薄ら笑いを浮かべる男を睨み付け、店員を呼んだ。
「僕が誘ったんですから、お代の心配はしないでくださいよ」
「そういう問題じゃない」
こんな奴に一円でも借りを作ったら大変なことになる。私は店員が持ってきた伝票を奪い取るように掴み、金を払った。
「松木さん、待ってくださいよ」
橋山が駆け寄り、メモを渡した。番号が書いてある。
「それ、僕の携帯の電話番号ですから、何かあったら電話してください」
「あんたバカか。俺が犯罪に荷担するわけないだろ。むしろ逆だ。この経緯は上司に連絡して情報の出所を追及してやるからな」
「ご自由にしてください。でも、もし気が変わるようでしたら電話してください。いつでもウエルカムですから」
「あり得ない」
「まあいいでしょう。では、これで失礼させていただきます」
橋山は歯を見せて笑うが、目だけは変わらず冷静な視線を投げかけていた。そのアンバランスさに禍々しさを感じ、背筋が震えた。視線を振り払うように、早足で歩き去った。
翌週私は上司である管理部長に事実を報告した。時間や経緯を詳しく聞かれた上、報告書を作った。
更に翌日は出張してきた厚労省の幹部へ同じ話をしなければならなかった。これだけでトータル一日分を費やしてしまった。通常の業務が滞り、残業で対応しなければならないのは必至だった。
後で聞いた話だと、いつでもウエルカムと言っていた割に、橋山の渡した携帯番号は、ススキノで別れた直後、解約されていたそうだった。契約関係を調べたが、身分証明書も含めて、すべて架空だった。
しかしあの男、どうやって久保山正勝の情報を知ったんだろうか。しかも、息子の病気まで把握していた。不安が鍋の焦げ付きのように、心の襞へこびりついていた。