6 橋山(1)
翌日からふたたび平穏な日々が始まった。朝、患者の数値をチェックして、午後は外観に異状がないか確認を行う。すべて異状はないので、レポートの作成を始めた。
「松木、また今日もご帰宅か」
パソコンの画面から視線を上げると塩見がいた。
「今週は戻らない予定だ」
「じゃあちょうどいいや。ススキノへ行こうぜ」
「そうだな……。たまには行くか」
「よし、決まりだ。今日は残業厳禁、六時半にマンションエントランス集合だからな」
「了解」
約束通り定時で仕事を終えて、マンションに戻り、着替えてエントランスに行った。すでに塩見と村山、島本が待っている。
程なくタクシーが到着して四人は出発し、一時間ほどで到着した。まだ秋だが、夜の北海道はすでにコートが必要なほど寒い。
週末で人通りの多い町並みの中を、まずはセンター御用達と言っていいほど定番となっている店に行く。予約しておいたテーブルに着き、乾杯の後、新物のイクラ漬けを食べる。
プチプチと弾力のある食感の次に、とろけるようなうまみが口の中へ広がる。
続いて鮭のルイベ、じゃがバターといった料理が次々と出てくる。愚痴を言ったり、くだらない話で盛り上がりながら夢中になって食べ続けた。
いつの間にか時刻は九時過ぎになっていた。たらふく飲んで食ったので、そろそろお開きという雰囲気になった。
「さて、そろそろ次行こうか」
塩見の発言に、私は訝しげな顔になる。
「ああ。松木は最近参加してないから知らなかったんだよな。前はそのままタクシー呼んで帰ってたんだけど、このところもう少し夜を楽しむことにしているんだ。島本も彼女と別れちゃったし」
いつもなら、島本は札幌にいる彼女のアパートに泊まって、三人がタクシーで帰るのがパターンだった。
「風俗寄って帰るんだよ」
塩見がニタリと笑う。
「そろそろ行かないと間に合わなくなるぜ」
すでに島本は腰が浮いていた。私は東京にいる妻を思い出す。
困惑気味の感情が顔に出ていたのだろう、村山がニタニタ笑って囃す。
「なんだよ、たかが風俗だぜ。浮気なんてレベルじゃないだろ」
「そうそう、たまには羽を伸ばさなきゃストレスでつぶれちまうよ」
「そうだな……」
「決まりだ。ソープなんだけどさ、いい娘が揃ってる店があるんだよ」
塩見がゆるい笑顔を見せながら店員にお愛想を頼んだ。
店から出て、急ぎ足で歩き出す。突き刺すように冷たい風が吹き付けてくるが、日本有数の歓楽街だけあって、人の流れは絶えない。
「あれ、先生じゃないですか」
不意に声をかけられて振り向く。そこには見慣れない男が立っていた。人違いかと思ったが、確かに私を見ている。
「あの――」
言いかけたとき、男が昨日面会に来ていた男なのに気づいた。四角い顔に一重の目、セキュリティの話を聞いてきた橋山だ。
「こいつは奇遇ですねえ。今日はお仲間で飲み会ですか」
「そうですよ、センターの同僚です」
「私は今日北海道で仕事の用がありまして、明日帰る予定でススキノへ寄っていたんですよ。まさかこんなところで会えるとは思ってもみなかった。今日はもうお帰りですか」
「いえ……この後二次会へ行こうかと相談していたところなんですけど」
まさか風俗に行くとは言えなかった。
「もしよろしければ、ご同席させていただけるとありがたいのですか……」
「いやあ……あくまでもプライベートな集まりなんで、申し訳ないですが遠慮してください」
ぶしつけな奴だな、なんであんたなんかと飲まなきゃいけないんだ。思わずむっとしたが、顔に出せるほど気が強い性格ではない。殊更に困った顔をしてみせる。
「そこを何とかお願いできませんかねえ。飲み代とか僕が全部払いますんで」
そういう問題じゃないんだよ。ちらりと他の仲間を見た。明らかにじれた顔をしている。「実はですね、ちょっとご相談したい事もありまして。意見を聞かせていただけるとありがたいんですが」
「だったらさあ、お前が相談に乗ってやればいいだろ」
「そうそう。さっきはあんまり乗り気じゃなかったし」
「ぜひお願いしますよ」
橋山の顔に笑顔が広がる。
焦りと橋山に対する怒り、そして再び妻の顔を再び思い出し、急速に気持ちが萎えていく。私はあからさまに嫌な顔をしたが、橋山は怯むそぶりも見せない。
「じゃ、俺たちは行ってるぞ。終わったら電話を入れるから、一緒にタクシーで帰ろう」
すでに自分の意志とは関係なく、方向性が決まっていた。塩見たちはどんどん歩き去って行く。橋山を振り切ってでも彼らを追いかけていく気にもなれないが、橋山の相談に乗るつもりもない。
ただ、このまま二時間近くも寒い中、突っ立ってなんかいられない。橋山を見る。
「さ、僕の知っている店へ行きましょう」
私は大きくため息をつきながら頷いた。




