29 ミナミゴキブリモドキ(2)
フルタの首筋に、焦げ茶色で平べったい物が張り付いていた。ゴキブリの形をした虫だ。体長は三十センチ程度ある。
ガードレールを乗り越えたフルタへ、サコタが銃の銃身を掴み、振り回した。台尻が大型のゴキブリに当たり、茂みへ落ちていった。
「お前……」
全員が絶句した。ゴキブリがたかっていた場所から、血がだらだらと防寒着を伝っている。よく見れば、足も食い破られた後があり、血の染みができていた。
「こいつが僕を突き落としたんだ」フルタがミヤギを指差し、怒りで顔をゆがませた。「ひどい奴だよ。僕は殺されかけたんだ」
「ミナミゴキブリモドキか」
ミヤギが薄笑いを浮かべ、ショットガンの銃口をフルタに向けた。
「な、なんなんだよ。よせったら」
一転してフルタがうろたえた。銃は持っていない。落ちた時に手放してしまったったらしい。
「ちょっと待ってよ。僕がミ、ミヤギさんのせいにしたから怒っているの?」
「そうじゃねえ。問題はその血だ。もうすぐセッコウオオアリが血の臭いをかぎつけて来るぞ」
「そんなの……止血すれば大丈夫だよ。ほら、血がついた服は脱いでいけばいいし、ズボンだってちょっと寒いけど、腿から切って半ズボンにすればいいじゃないか」
「俺も多少虫については調べてあるんだぜ。ミナミゴキブリモドキは口から酵素を出して、硬い食べ物も溶かすそうじゃねえか。その酵素が傷口につくと、塞がらないで、だらだら血が流れ続けるんだ。
お前が食われた場所にも酵素がついているはずだ。いくら包帯で留めても、酵素を除去しない限り、止血しない。
つまり、お前がいる限り、俺たちはセッコウオオアリに襲われる危険性があるって訳だ」
「だ、だから僕を殺すのか」
「そうだ」
「こんなバカな話があるか。道路から僕を突き落としたのはこいつだぞ。それなのに血を流したからって殺すなんて……。こんな理不尽な話があるか」
「ふん、仮に俺が突き落としたとしてもな、隙を見せたこいつが悪いのさ。それにな、現実問題として、こいつを連れて行くにはリスクが大きすぎるぜ」
「何かいい方法はないのか」
サコタが深刻な表情で全員を見回した。
「なんだよ。さっきこいつを殺すって言ってたじゃねえか。ずいぶんお利口になったもんだな」
「あれは勢いで出ただけだ。本気じゃない」
「仲間は見捨てたくないってわけか。自衛隊らしいよな」
「頼むよお。僕はちょっと離れて歩くからさあ。そうすればみんなに迷惑掛けないだろ。僕がアリに襲われたら逃げればいいじゃん」
「あんたたちはどうだ」
サコタが私たちに振ってきた。
「私は殺すまでしなくてもいいかと思うけど……」
「そうでしょ。頼みますよ」
「しょうがねえなあ」橋山がため息交じりに言った。「多数決っていうのはどうだ。フルタ以外の五人で挙手をする。いいか」
胃がぎゅっと締め付けられ、吐き気がしてくる。自分がフルタの殺生与奪の判断をするなんて……。
しかし、このまま黙っていれば、ミヤギが撃ち殺すだろう。それなら多数決で反対票を投じた方がいい。
私は頷いた。
「スポンサー代行のあんたが言うんならしょうがねえ。受け入れる」
ミヤギはそう言いながらも、渋い顔をしたままだ。
「採決をする。フルタを連れて行くのに賛成なら手を挙げてくれ」
サコタと私が挙手をした。それだけだった。
祐美恵は挙手しなかった。
「マカベさん、助けてよ。僕、殺されちゃうじゃないか」
血走った目でフルタが叫ぶ。しかし、祐美恵はあからさまに目を背けた。
「これで決まりだな」
ミヤギの顔に嫌らしい笑みが浮かんだ。