27 クチブトオオハチ(2)
あいつらは一体どれくらいの早さなんだ。空を飛んでいるんだから、人間が走っても追いつかれるに決まっている。
「橋山さん、あれを出してよ」
フルタが叫ぶ。橋山が肩に掛けたサイドバックから何か取り出し、ピンを抜いた。
「催涙弾だ。目をつぶって息もしないで走り抜けろ」
そう言うと同時に手に持った物を前方へ投げた。十メートルほど先で発煙し、道一杯に広がる。
言われたとおり、目をつぶり、息もせず、中へ入っていく。がむしゃらになって走る。
トンボの糞で開いた穴に足を取られたら、最悪骨を折るだろう。そんな恐怖を抱きながらも、走り続けた。
息を止めるのも、すぐに限界が来た。もういいだろうと思って目を開くが、強烈な刺激が目を襲った。たちまち涙が溢れていく。
「くっそぉっ」
叫び、息を吸った。気道にも刺激を感じたが、構っていられない。走り続ける。
刺激が弱まってきたので振り返る。白い煙が道全体を覆っていて、ハチの大群は確認できない。
走り続けていると、橋山たちが休んでるのが見えた。私も立ち止まり、地べたに尻を付けた。涙で周りがぼやけていたが、痛みはかなり弱くなっていた。気道の痛みも和らぎ始めている。まともにガスを浴びずに済んだのだろう。
遅れて祐美恵が来て、荒い息をしながら私の隣へ座った。最後にフルタが来た。
「はあ……。死ぬかと思ったよ」
フルタは道路へ大の字になった。口には笑みが浮かんでいる。
「てめえ……」
サコタが立ち上がり、ショットガンをフルタに向けた。憎しみに満ちた目で凝視し、全身から怒りが立ち上っている。
「な、なんなんだ。やめてくれよ」
「お前……全員を危険に危険にさらしたんだぞ。わかってるのか」
「だって、クチブトオオハチの巣を肉眼で見られるなんて、もうないだろうし……」
「だから俺たちを殺そうとしたのか、最低だな。サコタ、殺っちまえよ」
ミヤギは爬虫類のように冷たい目をしていた。
「で、でも、催涙弾を使ったのは成功したでしょ。あれはノーザンテリトリーで起きた方法を参考にしたんだ。
あれを使えばハチを殺すまでは行かないけど、一時期足止めさせられるんだ。その間に逃げとけば、対象を見失って、ハチの興奮も収まってくるんだ」
「そんなんで自慢なんか聞きたくねえ」
サコタの銃がカチャリと音を立てた。
チャンバーに弾が装填されたのだ。
「お願いだ、もう勝手なまねはしないからさあ。やめてくれよお」
「サコタ、やめておけ。仲間割れしている場合じゃないだろ」
渋い顔をして橋山が止めに入った。
「早くやっちまえよ。なんなら、俺がやろうか」
ミヤギも銃を構えた。
「二人ともよせったら。フルタ、謝れ」
「はい……。申し訳ありません。もう二度と勝手なまねはしません」
サコタが大きく息を吐いて、弾を排出した。しかしミヤギはまだ構えたままだ。
「俺はマジだぜ」
「仲間割れは許さない」今度は橋山がミヤギに銃を向けた。「撃ったら俺も撃つぞ」
ミヤギがフルタと橋山の双方を見た。
「ミヤギさん……頼みますよお」
「早く銃をおろせ」
「俺は一度殺すと言ったら必ず殺す主義なんだがな。まあいい」
ミヤギが銃を下ろした。フルタがはあっと大きく息を吐き、橋山も銃を下ろした。
不意にサコタがフルタへ近づき、きれいなフォームでローキックを繰り出す。
「ひぃっ」
足の甲が顔面に直撃した。フルタが背中から飛んでいく。
「もう一回やったら、今度は絶対殺してやる」
吐き捨てるようにサコタが言い、離れていった。ミヤギは無表情でその様子を見ていた。起き上がったフルタは涙目で、メガネのレンズがひび割れていた。当たった部分がみるみる赤くなり始め、鼻血がたれてきた。祐美恵がすぐにティッシュペーパーを差し出した。
「血は服に付けないで。臭いがついたらやっかいなんでしょ」
フルタが礼を言って受け取った。
「さあ行きましょう」