13 決心
「嘘だ……。脊髄の話をしたんだろ。あんなもの、デマ本の戯言さ。センターでも確かに研究しているが、結果は出ていないんだ」
祐美恵は微笑み、ゆっくり首を振った。「嘘よ。全部嘘。ススキノの話も聞いたわ。快方に向かっている人って、久保山さんていうんでしょ」
「俺とあの犯罪者のどっちを信じるんだ」
「あいつよ。確かにあいつは殺してやりたいほど憎いわ。でもね。あいつだって、単なるデマでこんな手の込んだ犯罪を犯すはずないわ。ススキノの件も、あなたが帰ってこない日だったし。どいて」
祐美恵は私を押しのけ、すたすた歩き、キッチンに入った。下の引き戸を開け、包丁を取り出す。刃先を自分の首に押しつけた。
「お前……。何をするんだ」
「見ればわかるでしょ」祐美恵は笑みを浮かべたままだ。「あたし、久斗と一緒に死ぬの。このまま何年も硬くなっていく久斗を見続けるなんて、耐えられないわ」
「やめてくれ……」
肩を掴もうとする。
「触らないでっ」
叫び、更に刃先を押しつけた。皮膚が破れ、米粒ほどの赤い血だまりがふくれあがったかと思うと、首筋を伝っていった。
道を開けるしかなかった。祐美恵は私を見つめながら後ずさりし、久斗の部屋へ入った。ベッドに腰掛ける。いとおしそうに久斗の髪に手をやりながら、一方の手は刃を持ち、柔らかな首に突き立てる。
「さあ、どうなのよ」
現実感が失われていく。
つい二か月前、三人で遊園地へ行ったじゃないか。どうしてこうなっちゃったんだよ。
〈蛹〉の前で、涙を流し続ける山下夫妻を思い出す。あんな風になってしまうのか。それとも、祐美恵の言うとおり、いっそのこと……。
だめだ。私はへたり込むようにして座り、頭を抱えた。勝手に嗚咽が漏れてくる。嫌だ嫌だ嫌だ。
だいたい、仮に〈蛹〉を出すにしても無理がありすぎる。センター内には監視カメラで二十四時間監視されているんだ。〈蛹〉を動かしただけで、センサーが反応して警察がやってくるだろう。俺一人がどんなに頑張っても、センターから〈蛹〉を出すなんて不可能だよ。
いや待て、〈蛹〉さえ手に入ればいいんだ。センターからでなくても〈蛹〉がある場所はある。
でも……。そんなことをしてもいいのか。
私は迷っていた。しかし構想は急速に、そして躊躇する心とは関係なく固まり始めていた。
目処がつき始めてくる。
できる――法律と倫理さえ捨て去れば。
家庭を失ってしまう恐怖が、良心を埋没させていく。
もう、やるしかない。
私は涙に濡れた顔を上げた。
「どうなの」
「ごめん……。俺が嘘をついていた。橋山の話は本当だ」
「それで、久斗を助ける気はあるの」
「ああ」私は大きく頷いた。「携帯を貸してくれ」
祐美恵は疑い深そうな目をしていたが、慎重に携帯を差し出した。着信履歴を出し、橋山の番号へかけた。
「こんな時間にどうかしましたか」
おどけた声が聞こえてくる。
「ふざけるんじゃない、お前のおかげで俺たちは必死なんだよ」
「そいつは失礼しました。で、結論は出ましたか」
「ああ。〈蛹〉を手に入れよう。だがな、お前が考えているやり方とは違う」
私は戦略を語り始めた。