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  作者: 青嶋幻
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1 蛹センター(1)

            

 褐色の表面は、隔離室の天井に据え付けられた弱い照明に反射し、鈍い光沢を放っていた。目はつぶっていて、その表情からは何の感情も読み取れない。


 体毛はすべて抜け落ち、頭部も恥部も他と同じように滑らかだ。


「腕と胴体はくっついているんですか」


「ええ。手から腕にかけて、胴体と接している部分の皮膚組織は消失し、一体化しています。腿から足、指同士も同様です」


「これが生きているとはとても思えませんねえ。作り物にしか見えないですよ。鼻の穴も消えちゃってるし、本当に息をしているんですか」


 若い男はガラス窓越しに、好奇心丸出しの目で、舐めまわすようにしてずらりと並ぶ褐色の裸体を見ていた。

 彼らがかつて自分たちと同じように生活をしていた人間だとは思っていないのだろう。


「ここにいるレベル三の患者さんは、我々のように肺による呼吸は行われておりません。全身を覆う甲殻を通じて、酸素の吸入および二酸化炭素の排出が行われております」


「栄養の摂取とか、排泄なんかはどうしているんですか」


 やれやれ、この人たちは事前の勉強なんて何もしてきていないんだな。所詮、研修なんて名目で、物見遊山のつもりなんだ。私は心の中でため息をつく。


「甲殻症状が始まると、基本栄養の摂取は行われません。

 体内の代謝活動も低くなっていきます。ただ、代謝については体循環が行われている以上、ゼロという訳にはなりません。


 エネルギーをどうするかというと、体内の組織で不要になった部分を消費することによって調達しています。


 たとえば肺は急速に縮小していき、二年もすれば消滅してしまいます。筋肉も同じですね。発病直後と三年後の体重は、個体差もありますが、およそ五十パーセント程度減少しております」


「肺が縮小するって……。体の中はどうなっているんですか」


「知ってる、前にテレビでやってたよ」若い男の背後にいた中年の男が興奮気味に発言した。「この中って、どろどろになっちゃってるんでしょ」


「その通りです。発病して一ヶ月すると、体内の細胞結合が解除され始めます。

 同時に骨も溶け始め、最終的に患者さんの体内は、九十パーセント近くが単細胞化して、体液の中を漂う状態となるのです。


 ただ、レベル五になっても心臓に当たる部分は残っていまして、体内に流れを発生させています。単細胞化した組織が、ゆっくりと循環しているんです」


「最終的にこれがどうなるのか、まだわからないんですか」


「残念ながら現在の科学では解明し切れておりません」


「治療方法に、患者の脊髄が有効だという説がありますが……。本当なんでしょうか」


「ああ」私は困ったような笑みを浮かべた。「そういう説が流布しているのは承知していますが、今のところ学会では否定されているんですよ。


 現在発見されている最も古い患者は五年経過していますが、その患者さんでも脊髄に当たる部分は存在しています。きっと、脊髄だけ形が残っているんですから、何か特別な物質でも分泌されているんだろうと言っている人たちがいるんですよ。

 でも、あくまでも憶測です。実証された事実ではありません」


 病棟から研究施設に移ると、途端に客たちのテンションが落ちていくのがわかる。それを無視して私はマニュアル通りの説明を行った。


 ようやく研修名目で訪れた団体が帰った。彼らが乗ったマイクロバスを見送り、一息つく。

 どうせさっき見た〈蛹〉をネタに、今夜ススキノ辺りで飲み明かすんだろうな。そう思うと、今までしてきた自分の仕事を否定された気がして、徒労感がどっと押し寄せてきた。


 今年最初の寒波が到来したせいで、建物の外はひどく寒い。早く戻ろうと足を速めたとき、タバコの臭いがしたので、ビルの脇に設置されている喫煙所を見た。同僚の塩見浩介がうまそうにタバコを吸っている。


「お前、まだタバコなんか吸ってるのか」あきれ顔で見る。「毎日〈蛹〉を見てるってのに、よくやめる気になれないな」


「いくら免疫力が低下するからって言ってもね、これだけはだめなんだな。学生時代からの習慣だし、一番のストレス解消法なんだぜ。やめてストレスがたまる方が、よっぽど免疫力が低下するよ」


「別のストレス解消法を探せばいいのさ。五十を過ぎてから後悔しても遅いんだぞ」


「わかってるって。それよりお前のほうがストレス解消した方がいいぞ。あんな素人を相手にするのも大変だろ」


「余計なお世話だ」


「おい、今夜当たりストレス解消に行こうぜ。村山も行くって行ってるし」


 塩見が人なつっこい笑顔を浮かべる。


「悪い……。今夜東京へ帰るんだ」


「また行くのか。ほとんど毎週帰っているんじゃないのか」


「まあな。俺もいろいろあって、大変なんだ」


「久斗君か……。体調はどうなんだ」


「悪くないけど良くもなってないよ」


「そうか、じゃあまた行こうぜ」


 手を振って塩見と別れ、建物に入った。たちまち暖かい空気が体を包み込み、強ばったからだがほぐれていく。

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