第3章(3)
市長「市長というものは、わが市内で起こったことの
すべてについて、関心を持たなくてはならぬ立場に
あることは、お分かりいただけるでしょう。
私は、市民の皆さんから票を得るためなら、いやもとへ、
市民の皆さんの生活を守るためなら、出来ることは全て
行う決心をしています。
ですから、このような凶悪犯罪が起こったことについては、
真に遺憾に思っていますが、今後このような凶悪事件が
再び起こらないようにするための市の防犯体制について、
述べておきたいと思うわけであります。
(刑事に向かって)君、いいよね」
刑事「もちろんですとも」
レポーター「では、まず、私がご紹介しますから」
レポーターは、カメラの前でポーズをとると
マイクに向かって話し始めた。
レポーター「ここ、密室殺人事件の現場から
中継いたします。
私の背後に写っている家に、村田容疑者の
奥さんが血にまみれて静かに横たわっている
ものと思われます。
外の現場検証がいま終わりましたので、これから、
あのドアを打ち破って突入を開始するところです。
市長さんも、すでに現場に到着されておりますので、
突入を前に、このような事態に至ったことに対する
市の対応をお聞きしたいと思います。
市長、コメントをお願いいたします」
市長「市長の村上雅人でございます。
このたびは、このような閑静な高級住宅街で殺人事件が
起こったことを真に遺憾に思っております。
いまの日本の現状は、まさに危機的な状況にございます。
親が子を殺す。子が親を殺す。
夫が妻を殺す。妻が夫を殺す。
兄が妹を殺す。変質者が幼児を殺す。
中学生がホームレスを襲って殺す。
ストレス解消のために赤の他人をいきずりに殺す。
いま日本でこのような事件がない日は、一日たりとも
ありません」
刑事「まったくその通り。私など超過勤務の連続で
休む暇もありません」
市長「いまの日本は、何かが狂っている。
何かがおかしい。
それは、かくいう市長の村上をはじめ、ここにいらっしゃる
懸命なる有権者の皆様がたが、みんな判っていることです。
たしかに人間関係がギスギスしている。
いじめが陰湿になっている。
切れやすい人が増えている。
殺人に罪悪感を感じない人が増えている」
田中「テレビのワイドショーなんて見ていると
毎日殺人事件ばかりで、それが当たり前のようで
感覚が麻痺してしまうんだよな」
好子「あんたは、テレビの見すぎなのよ。
何もしないでゴロゴロして。
たまには、家の掃除でもしてよ」
市長「その原因については、いろいろ言われております。
今の競争社会が原因だろうか。
学校教育が原因だろうか。
格差社会における貧困が原因だろうか。
自由がありすぎるのが原因だろうか。
あるいは、
環境汚染が原因だろうか。
有害物質の入った食べ物をとりすぎたことが
原因だろうか。
殺しても、すぐにリセットで生き返るゲーム機が
原因だろうか。
多分原因を一つに特定することは、難しいでしょう。
いろいろな原因の複合によるものと思われます」
健二「ゲーム機がどうして悪いんだよ。
ゲームが、遊びで実際とは違ってることくらい判ってるよ」
信子「あんたは、ゲームのやりすぎなのよ。
ゲームが終わったあと、主人公になりきって、カンフーの
まねなんかしてるじゃないの」
市長「かくいう市長である村上は、個人的には、農薬等の
有害物質が人間の体内にすこしずつ取り込まれて、
忍耐力のない切れやすい体質を作っているのが、
大きな要因になっているのではないかと、推測して
いますが、これはまだ少数説であります」
高橋「確かに、農薬の中に含まれるある種の物質には、
人間の神経に作用するものがあると聞いたことがあるな。
だって、この温和な虫も殺せない俺が時々切れそうになる
事があるもの」
信子「あんたの場合はね、アルコールの大量摂取が問題
なのよ」
市長「では、市長である村上は、有権者の皆様のために
何に取り組まなくてはならないのか。
まず、最も大事なことは、原因の究明であります。
原因を究明して、本質的な原因と思われるものを、
すこしづつ地道に取り除いていかなくてはなりません。
しかし、それには時間が掛かります。
いまのところ、明確な原因が特定できない以上、
とりあえずは、対症療法を行うよりいたし方ありません」
ゆり「政治家の話って、もっともらしいようで、具体性が
まったくないのね」
市長「市長である村上といたしましては、事件が起こってから、
問題を処理しているのでは遅い。
あくまで、問題が発生する前の予防的対策に力を注ぐべきだと
考えているわけでございます。
村上は有限実行の男でございます。
身命にかけまして、この公約を守ることを有権者の皆様に
誓約いたしまして、突入前のご挨拶といたします」
刑事、鑑識官、巡査が拍手する。野次馬からもぱらぱらと拍手がある。
ゆり「長い演説なんかいいから、ワンフレーズでいってくれないかしら。
厚労省の役人のけつをムチでひっぱたいて、早急に原因を究明し、
対策をとりますとか」
池田「話の内容などどうでもいいんだろう。
要するに顔と名前を売り込めさえすれば。
選挙が近いからね」
朱美「あいつ、店に来た時にはエッチな話しかしないくせに」
らっきょ「キャバクラで酒飲んで、まじめに政治の話をする
奴がいたら気持ち悪いだろう」
朱美がらっきょの頭をひっぱたいた。
朱美「お前、キャバクラをバカにしてるだろう」
レポーター「村上市長、スピーチ有難うございました。
近所の皆さんも、このように大勢お集まりになって、
突入をいまかいまかと待っているところでございます。
死体を搬出する救急隊員もたこ焼きを食べ終わって、
準備が整いました。
いやがおうでも、緊張の度合いが高まってきています。
では、突入を前に、現場の責任者である刑事に、
今後の段取りについて語ってもらいます。
では、刑事、よろしくお願いいたします」
刑事「では、私からこれから行われる突入についての
段取りをご説明いたします。
しかし、その前に、視聴者やここにいるギャラリーの皆様に、
この犯罪がどうしのような原因で起こり、どのように行われ
現在どのような状況にあるのか、ご説明したほうが理解が
より深まるのではないかと思います。
この事件は、実に単純明快であります。
夫の浮気とそれに嫉妬した妻。
その妻の叱責に逆上した夫がかっとなって、妻を殺した
犯罪であります。
では、皆様がご理解しやすいように、ビジュアルにお示し
いたしましょう。
(巡査に対して)君、亭主の役をやりたまえ」
巡査「エキストラがそんな大役をいただいていいんですか」
刑事「皮肉を言うのはやめたまえ。俺が演出家なんだから、
言われた通りにやればいいんだよ」
巡査「はい、わかりました」
刑事は、信子を手招きして呼んだ。
信子は怪訝な顔をしている。
刑事「あなたに奥さんの役をやっていただけないですか」
信子「わたしが殺される役ですか」
刑事「ご不満ですか。年頃がちょうどいいかなと思ったのですが」
信子「いいえ、やらさせていただきます」
刑事「田中夫妻、あなた方は、当然目撃者の役をやってください」
田中「見たとおり、そのまま演じればいいんですよね」
刑事「その通りです。自然体でやってください。
では、まず、村田が家に帰ってくるところから始めよう。
家の玄関は、ここにあると仮想する」
刑事は、道路の一角に玄関があることを手を広げて示した。
それから、その向こうに待機している巡査に対して人差し指でキューをだす。
巡査は、架空の玄関に向かって歩いてくると、ドアを開けて入るしぐさをした。
それから、少し考えてから、刑事に訊いた。
巡査「『ただいま』と言ったほうがいいんでしょうか」
刑事が、村田に確かめた。
刑事「きみ、いつも家に帰ると『ただいま』と言うのかい?」
村田「普通は言いますが、今日は言ったかどうか覚えていません」
刑事「君が家に帰った時点では、奥さんが怒っていたかどうか
知らなかったわけだから、普段と同じようにしているはずだ。
(巡査に向かって)『ただいま』と言い給え」
巡査が元の位置に戻って再び玄関に向かって歩いてきて、
ドアを開けて入るしぐさをしながら言った。
巡査「ただいま」
刑事は、架空の玄関の内側にいる信子に向かって合図した。
刑事「あなたは、亭主が忘れた携帯電話のメールを見て、亭主が
浮気をしているのを知った。さあ、怒ってください。
いつも、亭主に怒っている通りでいいんですよ」
信子「わかりました。いつもの通りでいいんですよね」
刑事が、ヨーイスタートと手をふってキューをだした。
信子「(甘ったるい声で)あなた、浮気なさったでしょう。
ちゃんと判っているんだから。言い逃れしてもダメよ。
白状しなさい」
信子が巡査の尻を思いっきりつねった。
巡査は、イテテテテと飛び上がる。
刑事「ダメダメダメ、それじゃまったく迫力不足だ。
いいですか、あなたの言葉に亭主が逆上して、かっとなって、
ゴルフクラブであなたを殴って殺すんですよ。
あなたの今の言い方で、亭主があなたを殺すほど逆上すると
思いますか。あなたの言い方はなんだか『あなた、バカ、
イヤーン、早くベッドに行きましょうよ』と言ってる
ようじゃありませんか。もっと状況をよく把握して、演技
してください」
信子が若いイケメンの巡査を指して言った。
信子「この方が相手では、怒る気持ちになれなくて」
刑事「わかりました。(高橋に向かって)それではあなたが
亭主の役をやってください」
高橋「あまり気が進みませんね」
刑事「テレビにでる絶好のチャンスを与えているのですよ。
観客もこんなに多いし、こんな機会はめったにありませんよ」
高橋「わかりました。やりましょう。帰ってくるところ
から、始めるのですね」
刑事「始めからやってください。そうでないと、奥さんも
きっかけがつかめないでしょう。では、ヨーイ、スタート」
高橋は、前に警官がしたとおり、道路を歩いてくると架空の
玄関のドアを開けて家に入るジェスチャーをする。
高橋「ただいま」
信子「あなた、今まで誰と一緒にいたの。分からないとでも、
思っていたんでしょう。ちゃんと分かっているんだから。
しらばくれてもダメよ。携帯電話のメールを見たんだから。
もう証拠はあがっているのよ。言い訳を言ってもダメよ。
絶対に許さないからね」
高橋「ごめんなさい。もう二度としませんから」
高橋は、信子の前で土下座して謝った。
健二「いつもの通りじゃナイキなんちゃって」
刑事「ダメダメダメ、ぜんぜんストーリーを
理解していないじゃありませんか。
もう結構です」
刑事が、ゆりと池田を手招きした。
刑事「君たちでやってもらおうか」
ゆり「あら、いいわよ。私たちのほうがずっとうまく
やれると思うわ。こうみえても小学校の学芸会で
主役をやったことがあるんだから」
朱美「ふん、きっと、雪女の役に決まってるわ」
刑事「それじゃ始めますよ。ヨーイスタート」
ゆり「あら、帰ってくる家を間違えたんじゃありません。
ここは、もうあなたの家じゃありませんよ。
あなたの持ち物などは、ほとんどありませんが、わずかな
荷物はもうご実家のほうに送っておきましたよ。
それから、父に言って会社も辞めてもらいます。
会社に出ても門前払いされますよ。
私が買ってあげた物は全て返してくださいね。
自動車もパソコンもゴルフ道具もスーツも全てですよ。
そのうえ慰謝料はたっぷり貰いますからね。
いくら金がないなどと言っても容赦しませんからね」
池田「あなたを愛しているんだ。俺が浮気するはずなど絶対にない」
ゆり「あら、それじゃこの携帯電話のメールはなんなのよ」
池田「ごめんなさい。もう他の女性には二度とメールしませんから」
刑事「ダメダメダメ、ぜんぜん判ってないじゃありませんか」
刑事が朱美とらっきょのほうを見ていった。
刑事「君たちのほうがいいかもしれないな」
朱美「演技は得意中の得意よ。いつもやってるから」
らっきょ「なにか、いやな予感がするな」
朱美がらっきょを小突いた。
朱美「早くやれって言ってるだろう」
刑事「演出家が合図するまでは勝手にやらないで
くださいよ。それでは、ヨーイスタート」
らっきょが、ドアを開けて恐る恐る入っていく
ジェスチャーをしながら言った。
らっきょ「ただいま」
朱美「おう、よく帰ってきたな。いまかいまかと
待っていたんだよ」
朱美がらっきょの襟首をつかんで、引き倒した。
らっきょは四つんばいになって逃げる。
朱美が後ろから、らっきょの尻を蹴飛ばした。
らっきょは腹ばいなって倒れこむ。
朱美が、らっきょに馬乗りになって頭をぽかぽか殴りつけた。
らっきょ「助けてくれ。殺される」
刑事「カットカットカット、奥さんが亭主を殺してどうなるんだよ」
刑事が最後に残った早苗と杉村に声をかけた。
刑事「君ら、試しにやってみてくれないか」
早苗「無理です。わたし結婚していないし」
杉村「もし、二人が結婚したらどうなるか
やってみようじゃないか」
清水「早苗、やってごらん」
早苗「そうかしら」
刑事「では、始めますよ。ヨーイスタート」
杉村が架空のドアを開けて入っていった。
杉村「ただいま」
早苗「お帰りなさい。遅かったわね」
杉村「ごめんね」
早苗「さびしかったわ」
杉村「できるだけ早く帰ろうと思ったんだけど、ちょっと
寄り道しちゃったから」
早苗「あら、誰かと会ってらしたの?」
杉村「うん、頼んでいたことがあったから」
早苗「その人昔からの知り合い?」
杉村「そう、ずっと昔から良く知っている女の人だよ」
早苗「その人のこと好きなのね」
杉村「もちろんさ」
早苗「愛しているのね」
杉村「それはね。深く考えたことはないけど」
早苗「じゃあなんで私なんかと結婚したの」
早苗は目を真っ赤にして涙声で言った。
杉村「もちろん、君を愛していたからさ」
早苗「だって、いま、その人のことを私よりずっと前から
愛していたといったじゃない」
杉村「それは、僕を生んでくれた人だからね。
おそろいのセーター編んでくれるように頼んでいたんだ。
今日出来たからとってきた」
早苗「その人あなたのお母さん?」
杉村「当たり前じゃないか」
早苗「あなたって意地悪ね」
杉村「さあ、似合うかどうか着てみようよ」
早苗「私たち似合うに決まってるじゃないの」
刑事「カットカットカット、君たち勝手に自分たちの
世界に入ってもらっちゃこまるんだよ。
まったく、どいつもこいつも、ド素人で自分の
生活の範囲でしか演じられないんだから。
そこから、一歩踏み出さなきゃ。
自分を捨てて、その人物になりきって演じなければ、
まともな芝居とはいえないだろう」
刑事がレポーターに向かって訊いた。
刑事「あなた、お芝居の経験はありませんか」
レポーター「大学では、演劇部にいたわ」
刑事「よし、それじゃ、あなたが奥さんの役をやって
ください。わたしが、亭主の役を模範演技しますから。
それでは、スリー、ツー、ワン、スタート」
刑事が、架空のドアに向かって歩き始めた。
そのとき、家のドアがそうと開いて、中から彩夏が顔を
だした。そして、大勢の人が家の前に居るのを見て、驚く。
そこにいる全員が、刑事とレポーターの演技を見ているので、
誰も、彩夏が家から出てきたことに気付かない。
彩夏は、たこ焼き屋を見つけると、急におなかが空いていること
に気づいて、人の後ろを通ってたこ焼き屋にいくと、一人前を
オーダーした。
黒服の紳士が、ただ一人彩夏が家から出てきたことに気が付いて、
ドアから家の中にそっと忍び込んだ。
刑事は、自分で架空のドアを開けて家の中に入っていく演技をした。
刑事「ただいま」
レポーター「遅いじゃないの。今まで何処をほっつき歩いていたのよ。
このバカ、アホ、マヌケ、ボケナス、役立たずの宿六が。
まともな稼ぎもないくせに、女の尻ばかり追いかけやがって。
仕事はなんでもハンパなくせに、ナンパのためならどんな労力も惜しまない。
女に対しては、グッチとコッチの区別も付かないのに贈り物攻勢。
ゴッホとゲップの区別も付かないのに文化人気取り。
ミソもクソも区別が付かないのに食通気取り。
女と酒のためなら金は使い放題。
借金つくって、そのツケを私にまわそうたってそうは問屋がおろさないわよ。
あんたのクソだらけのけつの穴を私が拭いてやると思ったら大間違いよ」
刑事「ちょちょちょっと待ってください。
あなたも見かけと実際とが随分違う人ですね。
それはそれとして、あなたのご主人はどんなかたですか」
レポーター「お笑い芸人よ。はじめはちやほやされたから
すっかりだまされちゃったわ」
刑事「なにか本ケースとすこし違うような気もするが、まあ
その線に沿ってやってみるか。 ヨーイスタート
なに言ってやんだい。芸人のことは何もしらないスットコドッコイ。
芸人というのはな、女と遊んで遊んで遊びまくって、酒を飲んで、
飲みまくって、初めて芸に味が出てくるものなんだ。
俺と結婚するときに、あなたを立派なお笑い芸人にするために、
出来ることは何でもしてあげるって約束したじゃねえか。
それを女とあそんじゃだめ、酒をのんじゃだめといわれたら
立派な芸人になれるわけがないだろう。
それに、お前のようなマグロ女相手だと息子が拒絶反応を起こして
しまうんだよ」
レポーター「いったわね。もう許さないわよ」
レポーターが、刑事の顔を引掻くまねをした。
刑事は、顔をかばいながらレポーターの足を蹴飛ばすまねをした。
刑事「はい、足を蹴飛ばされてうずくまる。しかし、そばにあった
ハサミで切りつける。亭主はさっと身をかわす。奥さんがもう一度
突っかかる。亭主は、ゴルフクラブをもって、応戦する。
ゴルフクラブが奥さんの額に当たる。
奥さんの額からぱっと血が噴出す。
亭主が玄関のほうに逃げて、ドアからでる。
そこで田中夫妻が登場する。
田中さんお願いします」
彩夏は、たこ焼きを食べながら興味深そうに刑事と
レポーターの演技を見ていた。
続く