第3章(2)
50代のサラリーマン風の男、清水は、野次馬の
後ろで、この様子を見ていたが、早苗を見つけて、
近寄ると恐る恐る声をかけた。
清水「早苗」
早苗「あ、お父さん!」
清水「そんな目で見るなよ」
早苗「なんで帰ってきたの」
清水「自分の家に帰るのがおかしいか」
早苗「だって、もう帰ってこないと思ってたから」
清水「もう女とは別れたんだ」
早苗「女に逃げられたから、家族のところに帰って
くるなんて随分虫のいい話ね」
清水「逃げられたわけじゃないよ。もともと、
向こうが勝手に押しかけてきたのだ。それに、
お金はちゃんと家に入れていただろう」
早苗「お金の問題じゃないのよ。お母さんは、
そんな金には一切手をつけなかったわよ。
私の給料と足りない分は、お母さんが
パートをして暮らしていたのよ」
清水「お母さんが、最初から札幌の出向先に
きて、一緒に生活していれば、こんなことには
ならなかったのだ」
早苗「浮気したのをお母さんのせいにするわけ」
清水「いずれにしろもう済んだことだ。女とは、
もう別れたんだから」
早苗「そんな都合よくいかないのよ。心が一旦
傷ついたら、一生直せないのよ」
清水「そうか、一度でも浮気したら、一生絶対に
許さないということか。家族の絆とはそういうものか。
俺が家族を養うために、いままでどれくらい苦労して
きたか、お前は判っているのか」
信子「まあ、自分だけが苦労してきたようなことを言って。
男はこれだから勝手なのよ。奥さんが安月給でどれくらい
努力してきたかまったく判っていないんだから」
朱美「キャバクラ行って、酒飲んで、カラオケ歌って、
苦労がきいて呆れるよ」
ゆり「浮気がそんなことで正当化されるなんて、大間違いよ。
私だったら、絶対に家から追い出してやるわ」
清水「早苗、この二人は誰なんだ」
早苗「高校時代の同級生の奥さんよ」
清水「君らは、すごい嫁さんをもっているな」
池田「北極熊の娘ですから」
ゆり「余計なこといわないでよ」
らっきょ「もと女王様ですから」
朱美「余計なことを言うんじゃないよ」
朱美がらっきょの頭を引っぱたいた。
清水「君は」
杉村「まだ独身です」
清水「それはよかった。結婚しないほうがいいよ」
早苗「余計なことを言わないで」
この熱帯夜に背広を着てネクタイをしめた
背は低いが押し出しのよい60代の男が
野次馬をかき分けて前に出てきた。
田中「おい、あれ市長じゃないか」
好子「そうだわ。何で来たのかしら」
ゆり「政治家なんか、人が集まっていて
テレビカメラがあれば、すぐに現れるのよ」
朱美「そういえばあの男、うちのキャバクラにも来たことがあるな。
あまり、えばっているから、てっきりヤクザの親分だと思っていた」
鑑識官が刑事に向かって報告した。
鑑識官「刑事、鑑識が完了しました。
もう、家に入って結構です」
刑事「では、これから家に突入する」
レポーター「ちょっと、撮影の準備ができるまで、すこし
待ってください。それから、視聴者受けするように、
ドラマチックにしていただけますか」
刑事「実はね、何を隠そう私は地元の素人劇団のメンバーなんですよ。
それでこれまで、数回実際に芝居の演出をした実績があるのです。
今回は、絶好の機会だから、腕によりをかけて、すばらしいものを
お見せしましょう」
レポーター「それでは、期待していますよ」
刑事が体格の良い巡査を手招きして呼んだ。
刑事「私が、合図したら、君の巨体をいかして、
あのドアに体当たりして、ぶち破りたまえ。
テレビでFBIの活躍を見たことがあるだろう」
村田「チェーンをはずすか、カッターで切って入れば
それでいいじゃありませんか。
なぜドアをぶち破るんですか。賠償してもらいますよ」
刑事「それじゃ、すこしもドラマチックにならないだろう。
テレビの視聴者や、ここにいる野次馬の方々を失望させてもいいのか。
とにかく、君は、発言権がないんだから黙っていたまえ」
巡査「私がそんな大役をいただいていいんですか。
それでは、精一杯がんばります。
カメラさん、まず、私の顔をクローズアップで撮ってください。
それから、カメラをひいて、全身を撮っていただいて、
その後、私が、ドアをぶち破って中に入りますから、私の後に
ついて、部屋に入ってください」
刑事「君はね、ドアをぶち破るだけでいいんだ。そして、
すぐに戻ってきて『ドアを開けました』と俺に報告すれば
君の役は終わりだ。エキストラなんだから。
それから、主役が登場する」
巡査「主役ってだれですか」
刑事「俺は、演出家と主役を兼ねているんだよ」
ゆり「まったくの茶番。猿芝居だわ」
朱美「演出なら私の方が数段うまくやってやるよ」
らっきょ「それは、女王様の役のことだろう」
朱美「うるせえ」
朱美が、らっきょのお尻を蹴りつける。
市長がゆっくりと歩いてくると、刑事とレポーターに
声をかけた。
市長「私は、この市の市長なんだが」
刑事「あっ、市長」
刑事と巡査が敬礼する。
レポーター「あら市長さんがどうしてここに」
続く