温泉の罠・中編
部屋番号を確認し、扉を開く。
次の瞬間、扉は勢い良く閉められた。
「おい、メイズ。いきなりなんだ」
「あ、ありのまま今起こったことを話すぜ……!」
メイズは故郷でなければ通じない常套句を口走った。顔は心なしか青ざめている。ブラウはメイズにかまわず扉を開けようとしたがメイズに阻まれた。
「やめろ! とりあえず俺の話を聞け!」
「だからなんなんだよ」
「ありのまま今……」
「いや、それはわかった。だから何があったんだよ」
ブラウはメイズを無理やり押しのけて扉を開き……すぐに扉を閉じた。今見たものを記憶から削除するように頭を振り、再び扉を開く。
「な」
あてがわれた部屋はまだ掃除が完ぺきではなかったらしい。こまこまと蠢く『何か』が窓を拭いたり床を掃いたりしていた。それ自体はまあいい。飛び込みで入ってきたブラウ達にも責任があるとは言えなくもない。問題は掃除をしているのが『手足をはやしたニンジンのような何か』だということだ。しかも色は変に赤黒く、何となくだが血を連想させる色合いだ。
客に気付いたらしい『何か』は一瞬硬直したのちにあわただしく窓から出て行く。ブラウがはじかれたように窓に駆け寄って外を見ると、『何か』が土に潜ろうとしているところだった。
「すげえ……」
「なっ、なんなんだよあれは!」
「いや、魔王領だからなあ」
「なんだそりゃ! 『魔王領だから』は魔法の呪文か?!」
ある意味そうだろうなあとぼんやり考えながら聞き流す。ああ実際そうだとも。『魔王領だから』で済ませておきたいことがこのところ多すぎる気がする。そもそもトップからしてあんなフリーダム極まりない集団なのだ。思考停止は魔術師としてはあるまじき姿だが、ぶっちゃけ考えるのが面倒くさかった。
ブラウが生温い目で見守るなか、『何か』はすっかり土に潜り込んで葉だけを外に出し、人参畑になっていた。どうやらアレが待機モードらしい。
「……風呂、いくぞ」
「おう」
どうやらメイズも考えることを放棄したようだった。
脱衣所はメイズの価値観からすれば「いたってふつう」らしい。脱いだ衣服を入れるかごがあり、かごを置く棚がある。そんな非常にシンプルな造りだ。
「おお、扇風機と体重計もある! 異世界にもあるんだな」
「せんぷーき? たいじゅーけー?」
聞き覚えのない単語にブラウが首をかしげる。
「あっちの風を出してるやつが扇風機。風が出るんだ。で、そっちの平べったい箱みたいなやつが体重計。名前の通り体の重さをはかる道具だな」
「なんかヘンなものが回ってるが……精霊使って風を起こすんじゃないのか」
「そのプロペラが回って風を起こしてるんだよ」
「普通に精霊使って風を起こせばいいだろうに」
ブラウは呆れた目で扇風機を見やり、それでも興味はあるのか首を振りながら風を送るそれに見入った。
「様式美だ様式美」
「ま、いいけどな。……で、フロ? 入るんだろ。入り方教えろ」
「おう。まず脱いだ服はこのカゴん中に入れる。貴重品は……あ、あそこにロッカーがあるな。コインロッカーたぁわかってるじゃねえか」
手本とばかりにメイズは脱いだ服をかごに放り込んでいく。もちろんたたむなんて面倒くさい真似はしない。そのおおざっぱさにブラウはわずかながら眉をひそめた。
「貴重品……武器もか?」
「当たり前だろ。古来より風呂は戦闘禁止の聖域だ!」
どう見てもロッカーには入らないであろう長さの聖剣は、しかしなぜかするりと収納された。空間歪曲の魔術でもかかっているのだろう。聖剣を収納し、ついでにブラウの杖もひったくってロッカーに放り込む。銅貨を鍵穴の横にあるスリットに放り込んで鍵を引き抜けば施錠は完了だ。
仕上げに腰にタオルを巻いて、メイズは準備完了。ブラウは言われたとおりに脱いだ服を……こちらはきちんと畳んでカゴに収納。同じく腰にタオルを巻いた。
「おまえ……ほっせぇなあ! 肉食え、肉!」
「やかましい。俺は魚派なんだよ」
「あっそ。じゃ、フロ入るぜー」
不思議な質感の引き戸をスライドさせて浴室へ向かう。
無人になった脱衣所で、誰が操作したわけでもないのに扇風機が動きを止めた。
浴室のドアを開けると、そこは血の池地獄だった。
腰かけと桶は木製で、ほのかな香りから檜製であることがわかる。手入れが行きとどいているそれは日本人であるメイズの心をくすぐるはずだった。だが血の池地獄に目が行く。
自然の岩を緻密な計算で組み上げた浴槽は野趣あふれる空間だ。露天風呂なので外からは木々の葉擦れの音や鳥の声が聞こえて風情がある。けれど血の池地獄に目が行く。
色は静脈を流れる血のごとく鈍く暗い赤。下から湧きでているのか、あちこちからぼこぼこと音がしている。非常に気色悪い。
「あー……これがオンセン、なのか? すごい色だな」
メイズは恐る恐る覗きこむブラウの背中をちょいと押す。不意をつかれたブラウはバランスを崩し、そもまま湯船に突っ込んだ。
「あ、一応無事なんだな」
ヤバい温泉じゃ……具体的には温泉に見せかけて、人体を溶かす新手のトラップとか……じゃなくてよかったとメイズは安堵のため息をつく。少ししてブラウが水面から顔を出した。
「てめえ、なにしやがる!」
「いや、温泉に見せかけたトラップで死んだりしたら勇者っぽくないだろ」
「今まさに俺が死にかけた! 水底の方で死んだ親父が呆れたため息ついてた!」
抗議しつつ湯船から上がるブラウに、メイズは思いだしたとばかりに告げた。
「あ、湯船に入る前に体洗えよ。マナーだ」
「誰のせいだ!」
ちなみにこの温泉の効能は傷の治癒と魔力回復。ぶっちゃけてしまえばHP・MPを回復する効果があったりする。入ってよし飲んでよしの万能性が魅力だ。見た目は血の池地獄だけど。
浴室でそんな騒ぎが起きる中、脱衣所に小さな影が入ってきた。
「回収ぞよー」
そんなことを呟く小さな影は、自分の身の丈の二倍はあろう荷物……具体的には脱衣所に置いてあった扇風機をひょいっと持ち上げると何事もなかったように去って行った。