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温泉の罠・後編

 旅館の廊下をぴょこぴょこ飛び跳ねていくぬいぐるみのウサギ。その進行方向から長身の女性が歩いてきた。旅館の女将だ。

「うさうさ一九号、昼休憩の時間じゃなかったか」

ひめさま(・・・・)に、こうかんをたのまれたぞよ~」

 ぞよ~っと、なんとも間抜け……もとい愛らしい声とともに、担いでいた扇風機を見せる。すると女将は訝しげに眉を動かした。

「それは、男湯の脱衣所のものだったな。……動力切れにしては早い気がするが」

「くわしいことはわからないぞよ~」

 ぴょこぴょこ飛び跳ねる姿はラブリーに見えないこともない。が、身の丈の倍はあろうかと言う荷物を軽々と持ち上げているあたり、これがただのラブリーな生きものでないことは明確だ。

 女将は少しの間何か考えていたが、やがて小さくため息をつくとその場にしゃがんで『うさうさ一九号』の頭を軽く撫でた。

「御苦労。それが終わったら昼休憩にするといい。超過勤務の代わりと言ってはなんだが、外の畑(・・・)からいくつでもニンジン(・・・・)を食べるといい。それとライム(・・・)に伝言を。程々にしておけとな。」

「りょうかいぞよ、イルクさま(・・・・・)~」






 風呂から上がった勇者は、これまた不自然に設置されていた自動販売機でビン牛乳を買うと腰に手をあてて一気に飲み干した。

「っか~! いや、この宿はわかってるねぇ!」

「それもフロの作法なのか?」

 訝しげに呟くブラウはふたの開け方がわからず悪戦苦闘している。見かねたメイズがビンをひったくって開けてやった。

「おうよ。やっぱ戦闘とか温泉宿ならビン牛乳はマストアイテムだな。贅沢言えばコーヒー牛乳とかフルーツ牛乳も欲しいけどよ」

 ブラウが恐る恐るビンに口をつけると(ブラウの故郷では牛乳を飲む習慣がない)メイズが一気にあおれとどやした。

「……あ、うまい」

「だろ? やっぱ風呂あがりは牛乳! あるいはビール! あ、お前は未成年だからビールは禁止な」

「おぉ! 兄さんタちわかってるネぇ!」

 盛り上がる二人の後ろから、聞き覚えのある声がした。

 振り向くとそこには黄色いアフロにカイゼル髭、ガテンスタイルの男がいた。先ほど出会った現場監督だ。

「よお、おっさん。仕事終わったのか?」

 宿を紹介してくれたことからか、メイズは男への警戒心をすっかり解いていた。かけられた声に現場監督も陽気に返す。

「おう、仕事が終わったラまずはフロ! そしてよく冷えタ酒とうまイ肴! これぞ人生の醍醐味ダろ!」

 人間じゃないけどなと付け加えて陽気に笑う男に、ブラウはどうにも胡散臭さがぬぐえなかった。人間じゃない。これ自体はまあ納得できなくもない。魔王領では人間はマイノリティだ。人間との混血ならいないこともないようだが。現に魔王の子供たちは人間の混血だと自分で語っていたことだし。

 ブラウが生ぬるい警戒とともに現場監督を眺めるが、現場監督はその視線を気にする様子もなく、「ところで」と言いだした。

「温泉を楽しむには浪漫と冒険も必要だトは思わないカ?」

 何を言うやら。

 さらに呆れるブラウとは対照的に、メイズはどうやら現場監督の言いたいことがわかったらしい。にやりと明らかに悪だくみをしているとわかる笑みを見せる。

「なるほど、アレか」

「おゥ、アレダ」

「いや、どれだよ」

 正直近寄りたくないオーラを放つ現場監督とメイズにさすがに耐えきれなくなったブラウが突っ込む。

 その突っ込みに反応したメイズがブラウの右肩を、現場監督が左肩を叩く。やけに息のあった動きだ。

「桃源郷を見たイとは思わナいか、少年」

「そうそう。温泉における最大の浪漫、探求に行こうぜ」

 メイズのなにやら興奮気味の様子、現場監督の下卑た笑み。そして『温泉における』という非常に限定的なキーワード。ようやくブラウも状況を飲み込めたようだった。

「わかった。断る」

 きっぱり言い放つと、ブラウはメイズからロッカーのカギをひったくる。

 そのままロッカーを開けて魔術杖を取ってさっさと部屋に戻ろうとしたが、その腕をメイズが強くつかんだ。

「待った! お前と俺は一蓮托生だろうが!」

「そうだゾ少年! 男なら一度は桃源郷を垣間見ルべきだぞ」

「いらん。覗きは自分を律することができない人間がやる愚行だ」

 ブラウは魔術師である。魔術師にとって何より大切なのは魔力でも知識でもなく、自分を律する精神的強さだ。

 実は魔術学院では新入りの試練として『覗きの誘惑』という嫌な伝統行事がある。先輩が新入りをそそのかし、女子用の更衣室に覗きに行かせようと言う代物だ。ここで必要とされるのは覗きを敢行する勇気でも成功させる知識でもなく、行かないと言い切るだけの理性だ。覗きに参加した新入りは、その成否に関わらず怖ろしい罰則が待ち構えていたりする。

 そしてブラウは『行かない』と言い切ることのできた、数少ない例の一人だった。……もっとも、ブラウが魔術学院に入ったのは四歳のころであり、決行時間が彼にとってはおねむの時間だったからというだけの理由だが。

 しかしそんな環境下で過ごしたブラウにとって、覗きは馬鹿がすることだった。そして、勇者は馬鹿だった。

「なんにせよ、俺はパス。あんたらだけで行ってくれ」

 あっさりとそう言い切ると、勇者に向かって炎の弾丸を突き付ける。勇者がひるんだその一瞬を逃さずに手を振り払うと、さっさと脱衣所を去った。





 一方。旅館の従業員居住区。

 うさうさ一九号と別れた女将……イルクは、居住区にある一室の扉を叩いた。

「ライム、いるだろう」

「あ、ねえさま(・・・・)! うん開いてるよー」

 イルクが触れることなく、扉がかちゃりと開く。部屋の中にいる人物……ライムの力によるものだ。


 ここまでくれば隠す必要もないだろう(正直、書いている方が面倒くさい)

 女将の正体は魔王領の若き宰相にしてマッドサイエンティストのイルクだ。部屋に控えているのは魔王の末娘ライム。この温泉旅館は表向きは国民宿舎のようなものだが、イルクの研究所としての機能もあった。さらに、ある取引を父たる魔王としている。そのためイルクはこの実験にあふれるほどの熱意を注いでいた。……果てしなく間違った方向に。


 部屋は貴族的かつ耽美的な内装だ。藤色に着物と白に桜が散った可憐な帯という和風ないでたちとは本来ミスマッチになるはずだが、不思議と違和感は覚えさせない。

 繊細なつくりの椅子に座り、両手に持った水晶を見ているライムはうっとりと(イルクから見ればにやにやと)笑っていた。

「うさうさ一九号から話は聞いている。その水晶の中身は、どうせアレだろう」

「えへへへ~」

 精緻な人形のような顔立ちに愛らしい笑みを浮かべてライムが思うのは……年齢制限に引っ掛かるような数々のことだった。

「ねえねえ、あの魔術師さんスリムなんだって。勇者さんはどう見ても細マッチョだし、これはもう魔術師×勇者で決定かな? ローブの上からでも痩せ型なのはわかったけど、やっぱり当事者のコメントがあると違うよね! 体格差とか下剋上とかジャスティスでしょ!」

「知らん、興味がない。それより連絡が来たぞ。魔術師は乗らなかったが、勇者が動くそうだ」

 豪奢なテーブルの上に鎮座する菓子鉢からクッキーをつまむ華奢な指が、イルクの言葉でぴたりと止まる。そのままライムは先ほどの陶然とした(煩悩まみれの)笑みを消して違う種類の笑みを見せる。

 一見無邪気な……戯れに昆虫の羽をむしる子供のような無邪気さがにじむ笑みだ。その笑みの裏で何を考えているか、イルクは深く理解している。伊達に五十年近く姉をしていない。だが今回は止めるつもりはなかった。

「わかりきった誘惑に乗る阿呆にかける情けはない。徹底的にへし折ってやれ」

「もっちろん!」




 さて、話題に上っていた勇者はと言えば。

 現場監督が用意していた迷彩柄の服に身を包んでいた。旅館は林に囲まれている。そしてセキュリティの為と言うことでいろいろと獰猛なモノが仕込まれているのだと現場監督は語った。

「いイか、戦友。罠があルから気をつケろ」

「おうよ心友。合点承知ってもんだ」

 いつのまに心友で戦友になったんだと突っ込むブラウはここにいない。部屋に戻ったブラウは現在謎の腹痛と戦っていた。牛乳に慣れてない体で冷たい牛乳を飲むと腹を壊すことがあることを、ブラウは知らなかったらしい。

「ところで心友。罠ってどんな……」

 言い終わる前にメイズの眼前を何かが横切る。そしてそれは現場監督の頭に刺さった。……矢だ! あまりの事態に顔を青ざめさせるメイズだが、現場監督は「オお」と気楽な様子で矢を抜いた。

「ちょ、何で無事なんだよ!」

「アフロは便利ダぞ、戦友」

 つまりアフロ部分に刺さってるだけで頭蓋は無事だったらしい。恐るべし、アフロ。

 しかも引き抜かれた矢をよく見ると、矢じりの代わりについているのは吸盤だった。

「コントかよ!」

「はっはッハ。まあ細かイことは気にすルな。お、なにか結ンであルな」

 吸盤付きの矢には、矢文よろしくなにか紙が結びつけられている。現場監督が紙を矢から外して広げるのを、メイズも横から覗き見ると……そこにはひっかき傷のような書体の日本語(・・・)があった。

「変態……滅殺?」

「お、そう読ムのか。呪いの呪文かト思っタぞ」

 そう。これは日本語だ。何故この異世界に日本語が。そんなメイズの疑問を強制的に吹き飛ばすがごとく、今度は頭上から何かが落ちてきた。

 頭に響く衝撃。痛みににうずくまると、落ちてきたモノが足元に転がってくる。……金ダライだった。どこのコントだ。


「おぉ、女将も罠ノ腕をアげたナ」

「女将ってあのすげえ美人だろ。知り合いなのか?」

 楽しげに言う現場監督。メイズの疑問にも軽い口調で答える。

「ありャ俺の娘だ」

「はぁ!?」

 似ていない。愕然とするほど似ていない。アフロのせいとかそういうのを抜きにして、全く似ていない。

 メイズの視線で言いたいことは理解したのか現場監督は一つ付け加えた。

「あいつハひいばさんニ似テるらしいぞ。それよりたぶん気付かレてるナ。警備関係はあいつの管轄ダ」

 確かに、罠の発動が作為的だ。あまりにもタイミングが良すぎる。

「どうスる。退クなら今ダが」


 そう。退くなら今だ。今ならば「未遂」で済む。罪の重さが一段階低いものになる。

 しかし、だ。

 地図によれば桃源郷(おんなゆ)はもう目と鼻の先だ。ここで退くのはあまりに惜しい。それに……

「そうイや、そろそろ娘が風呂ニ入る頃合いダナ」

「行くに決まってるだろ、心友!」

 そう、桃源郷は目の前なのだ。

 この危険地帯をくぐり抜ければお宝……すなわち、あのすらりとした立ち姿が美しい女将のヌードが見られる! 何をためらう理由があろうか!

「一気に突っ込む!」

「おォ、がんバれよー」

 走り出すメイズを現場監督は見送る(・・・)。ここまで来てそれは不自然なはずだが、既に脳内がピンクになっているメイズは気付かなかった。







 先ほどの吸盤矢からして、ここの罠は心を折ることを目的としており、殺傷能力はほぼゼロとみて間違いないだろう。確信したメイズは罠にかまわず突っ走った。網にかかれば聖剣で断ち切り、落とし穴からは這いあがり。そうやって、ついに女湯の前までたどり着いた。

 組み上げられた岩場のせいで中の様子はわかりにくいが、確かに聞こえる水音が誰かいることを示していた。現場監督の言葉が確かなら、おそらく中にいるのは麗しの女将だろう。

「いざっ!」

 岩場をよじ登り、桃源郷を垣間見ようと身をのりだす。

 その瞬間。

「突撃!」

「とつげきぞよ~!」

「ちかんめっさつぞよ~!」

「てかげんむようなのだ~!」

 鋭い合図の声を受け、ふわもこした何か飛びかかってきた。

 慌てて身をよじるが、ふわもこ軍団は容赦しない。というか、ものすごく数が多い。

 メイズは結局振り切りきれず岩場から落ちる。ふわもこ軍団はその後を追って岩場から飛び降り、メイズの動きを封じた。

「イルクさま、つかまえたぞよ~!」

「ごほうびほしいのだ~!」

「てめえら何しやが……」

「それはこちらのセリフだ、勇者殿(・・・)

 冷淡な声に顔を上げる。そこでようやく事態が飲み込める。メイズの体はウサギとクマのぬいぐるみに押さえつけられており、冷淡な声の主……女将は同じくらい冷ややかな目でメイズを見下ろしていた。

「なんで、俺が勇者だって……」

「ああ、この衣装だとわからないか。そうなると……ライム」

「はいは~い!」

 岩場の上から、今度は愛らしい少女が飛び降りてきた。そして女将の隣に立つとぱちんと両手を打ち鳴らす。すると和服美人の女将は消え失せ、青年貴族のような衣服に身を包んだ女性が現れた。

「久しぶりだな、勇者殿。この格好なら思い出していただけただろうか?」

「おま……魔王んとこの宰相! ってことは、あの現場監督は……」

「我らの父、すなわち魔王だ」

「じゃあそっちは……」

「正解~! あたしは魔王の末娘で~す♪」

 くるりと愛らしくターンを決めると、少女の服装が和服からゴシックロリータへと変わった。間違いない、腐りきったトークを展開したあの悪魔だ。メイズはオタク文化にも造詣が深かったため、実は魔王城にとらわれていた時、ライムのマシンガン腐トークで地味に精神的ダメージを喰らっていた。

「だめだよ勇者さん、女湯覗くなんて。どうせなら男湯覗きなよ」

「なんで男湯を覗くんだよ」

「え、私にそれを言わせるの? きゃー! はれんちー!」

 これである。まともに話すのはどう考えても不可能だ。現にライムの口からは年齢制限に引っ掛かる発言が飛び出していた。見た目が十代前半だけに、非常に微妙な気分になる。

 ライムとの会話は放棄し、メイズはイルクを睨みあげた。

「俺を、どうするつもりだ」

 精一杯の殺気をこめたつもりだが、ふわもこ軍団も魔王の子供たちも全くひるむ様子はない。イルクは表情をちらりとも変えずに肩をすくめた。

「何、大したことではない。覗きなどの行為は他の宿泊客の迷惑になるから……」

「他のお客さん、いないじゃん」

「ライム、うるさい……とにかく、迷惑行為をする客もどきにはお引き取り願おう。ましてやそれが……」

 イルクがぱちりと指を鳴らすと、さらにふわもこ軍団が『なにか』を担いで飛び降りきた。

「父に仇なさんとする勇者なら、なおさらのことだ」

 『なにか』がメイズの目の前に転がされる。簀巻きにされたそれは不気味にうごめいて寝がえりをうつと、メイズと目を合わせた。

「ブラウ?!」

「彼は貴君の連れだろう。連帯責任という言葉は、聖教国にはないのか?」

 連帯責任の言葉でブラウは蠢くのをやめ、その代わりにメイズをじとりと睨む。その眼は雄弁に『あとで覚えてろ』と物語っていた。なんだかんだで温泉が気に入っていたらしい。

「うさ軍団はそちらの魔術師殿を、くま軍団は勇者殿を『丁重に』送り届けるように」

「なっ」

 抗議の声を上げようとしたら口に猿轡をかまされ、暴れようとしたがいつの間にか簀巻きにされていた。視界の隅で魔王の末娘がうにょんうにょんと気味悪くもだえている。ろくでもないことを考えていることは必至だった。

「それでは、ごきげんよう勇者殿魔術師殿。願わくば二度と会いたくないものだ」

「むぐ、むぐぐ~~~!」

 勇者がうめくのもそっちのけ。ふわもこのぬいぐるみ軍団は器用に勇者コンビを担ぎあげて走り始めた。





 余談だが。

 勇者コンビが「おとされた」のは、聖教国と魔王領の国境沿いにある小さな農村……の牛のえさの中だった。

 せっかく温泉につかったのにその体は藁やら何やらで汚れ、さらにうっかり牛に食われかけ。

 勇者は打倒魔王の意思を新たに固めるのだった。

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