【第3章‑2】無常の風
寺の境内を進むにつれ、
久秀は足を止めるたび、空気の層が変わるのを感じた。
風の向きが細かく揺れ、木々の葉が弱く触れ合った。
その音が、境内の奥へゆっくり流れていった。
祖母が指さした先に、古い三重塔があった。
塔の柱は色が抜け、木目が深く沈んでいた。
かつて朱色だった部分は、ところどころ薄く残り、
雨で削れた跡が縦に細く走っていた。
瓦は欠け、端の部分がわずかに反り返っていた。
久秀は塔を見上げ、息をのんだ。
「……壊れかけているのか。」
祖母は首を横に振り、低い声で言った。
「壊れかけているんじゃないよ。
壊れながら、生きているんだ。」
その言葉に合わせるように、風がふっと吹いた。
塔の屋根がわずかに動き、
欠けた瓦が小さく触れ合って音を立てた。
その音は短く、乾いていて、塔の内部に吸い込まれていった。
久秀は塔の柱に近づいた。
木肌には細いひびがいくつも走り、
その溝に雨の跡が薄く残っていた。
触れると、木の温度が指先にゆっくり伝わった。
冷たくはなく、弱い温かさがあった。
祖母は塔を見上げたまま言った。
「南都はね、何度も焼かれ、何度も壊されてきた。
そのたびに、こうして建て直されてきたんだよ。」
塔の下には、屋根の影が落ちていた。
影は濃く、形はほとんど変わらなかったが、
風が吹くたびに、端の部分だけがわずかに動いた。
その動きが、塔の揺れと同じ速さだった。
久秀はその影を見つめた。
「壊れる……でも、また建つ……」
言葉が自然に口からこぼれた。
祖母は静かにうなずいた。
「そう。
それが“無常”というものだよ。」
塔の柱に手を置くと、
木の奥からゆっくりとした温度が伝わってきた。
表面のひび割れ、欠けた部分、色の抜けた木目。
そのすべてが、塔が立ち続けてきた時間を示していた。
風がまた吹いた。
塔がわずかに揺れ、瓦が小さく鳴った。
塔の下の影が細く伸び、すぐに元の形に戻った。
祖母は言った。
「久秀。
壊れるものを恐れてはいけないよ。
壊れるからこそ、次の形が動き出すんだ。」
久秀は塔の影を見つめた。
影は濃く、端の部分だけが風に合わせて小さく動いた。
その動きは弱かったが、確かにそこにあった。
南都の風は、
久秀に初めて“無常”という動きを見せていた。




