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貴方に会うと、涙が止まらないのです〜大好きな婚約者はアレルゲンでした〜

作者: 青木薫
掲載日:2026/02/09

目にとめていただきありがとうございます。ご都合主義全開ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

花粉が辛くなってくる時期ですね。顔が痒いです…。

*婚約解消を言い渡した男性がちょっと可哀想なお話です。

「ナターシャ・クリコフ、もう我慢できない。一体どれだけ俺の仕事の邪魔をすれば気が済むんだ?


 これが最後だ。お前との婚約は解消とさせてもらう!これは決定だ!」


「そっそんな…っ…?解消決定…?では私は、もう、ここへは…」


 ナターシャの目が赤くなり、潤む。


「そうだ、もう二度とお前と会うことはない!」


 婚約者であるレノフ公爵家の四男坊、それはそれは美しいヴィクトルに婚約解消を宣言されたナターシャ・クリコフ侯爵家令嬢は大きく息を吸い込んで止めた。そして息を吐くと、カッと目を見開いた。


 驚くヴィクトルを見つめて3秒後、ナターシャは、真っ赤な顔をしながら、大きな声ではっきりと答えた。


「承知いたしました!」


「いや、どんなに騒いでも、今日こそは…って…えっ?」


 ナターシャは目から涙を溢れさせ、声を詰まらせながら、ぐっと深くお辞儀をする。


「こ、婚約の解消、しかと受け止めましてございます。


 うっ…これまで、どうもありがとうございました。


 では、これにて!」


 学生ながらも与えられている立派な執務室でナターシャにその解消を告げたヴィクトルは、あっさりと、というか突然踵を返して出て行った彼女の背中に咄嗟に手を伸ばした。が、それが届くことはなかった。


 実はナターシャはこれまで何度もヴィクトルに婚約の解消を求められてきた。


 理由は様々で、やれ自分の妻になるには教養が足りないとか、センスが悪いとか、そもそも瞳の色が気に入らないとか、とにかくいろいろである。


 しかし、本当の理由は、最近突如自領に現れた聖女マリヤと結ばれたいから。


 マリヤは平民出と身分差はあるけれど、それは自分が手柄を立てて何とかしよう、そして婚約者のナターシャとは別れよう、そういう考えであった。


 そんな理由での婚約解消なんてできるわけがない。周りの者はみんなわかっていた。馬鹿じゃないのこの人と思っていた。


 第一マリヤは学校には通っているものの、基本は教会預かりの身だ。結婚はできないし、別の聖女が現れたら結婚相手は王家と教会が相談して決める。


 ちょっとくらい学校で仲良くなったからと言って、ヴィクトルが選ばれるなんてことは…まあちょっとくらいは可能性としてはあるかもしれないが、本当にちょっとである。雀の涙くらい。


 そんなちょっとの可能性にヴィクトルは一縷の望みを賭け、婚約を解消すべくナターシャに辛くあたっていた。


 大体聖女マリヤもマリヤだ。婚約者がいる男性に優しくされてポっとするなんて。実際学校ではいろいろ噂されていたから、冷静に嗜める人もいた。反省して落ち込むマリヤにヴィクトルはますます惹かれた。


 でもヴィクトルが好きでたまらないナターシャはマリヤには目もくれず、冷静に問うようなこともしなかった。


 ヴィクトルに冷たい態度を取られると、その度にナターシャはヴィクトルに縋り付いた。


「そのようなこと、言わないでくださいませ!私は、私はヴィクトル様を愛しているのです!」


 それに続く愛の言葉もいろいろであった。


「私はヴィクトル様の全てを愛しています!拒絶されるのは苦しいです!!」


「書類を読む横顔がたまらないのです!顔を背けないでください!泣いてしまいます!!」


「存在が好き!尊い!!」


 そう、ナターシャは転生者であった。


 そしてここは前世で大好きだった人気小説『愛は小舟のように』の世界なのだ。


*****


 物語においてはどうであったかといえば。


 ヴィクトルは膨大な魔力をもつナターシャの厳しい性格を疎ましく感じていた。そこに登場するのは心優しく美しい聖女マリヤだった。


 艷やかな黒髪に大きなブルーグレーの瞳の力強い美しさをもつナターシャ。対するマリヤは金色の髪に緑色の瞳の儚い美しさをもっていた。


 強い女性は自分の苛烈な母親を思い起こさせる。ナターシャと一緒にいて息苦しさを感じていたヴィクトル。そんな彼はマリヤのその儚さに一目で恋に落ちた。


 並び立つには身分の違いもあり…それはマリヤが平民から見出された聖女であったからだが…到底ヴィクトルがマリヤと結ばれることはないはずだった。


 ところがどっこい、ここが恋愛小説というものだ。


 他でもない、ナターシャの愚行が二人を結びつけてしまった。


 大してヴィクトルに愛情を感じてもいないナターシャだったが、そこは貴族女性、平民出の聖女に婚約者を取られるなんて許さないとばかりにヴィクトルには冷たい態度を取りながら二人の恋路を邪魔をする。


 そのせいでヴィクトルとマリヤが会う機会が増えてしまい、結果二人は仲を深めていく。


 ナターシャがマリヤのいる教会に嫌がらせをするせいで、その尻拭いをするヴィクトルが教会にしょっちゅう行くようになった。そこで毎回偶然マリヤと出会い、回廊でぶつかったり落とし物を拾ったりする。


 ナターシャがヴィクトルに嫌がらせとばかりに媚薬を盛ったせいでマリヤが治癒を行うことになり二人が手を握り合う。


 そんな子どもだましみたいな小さい事件でも、20も30も積み重なっていけば…。


 最後にはナターシャがマリヤを陥れるために悪事に手を染め、それが国をも巻き込む大事件になってしまうが、マリヤとヴィクトルは力を合わせて解決するという事件まで起きる。


 結局そのことでナターシャは断罪され、マリヤとヴィクトルは特別に身分差を乗り越えることが許される。


 運の良いことにほどなく新たな聖女も見つかって、長い時間待つこともなく二人はめでたく結ばれる…。そんな何とも都合の良い恋物語…。


*****


 …な、はずだった。


 しかし、ナターシャは自分が転生者であると気付いた。それは彼女が15歳、ヴィクトルと婚約を結んだその日だった。


「嘘…私があのヴィクトル様と婚約…?銀の髪にオパールの輝きを放つ瞳、マリヤとの真実の愛を成就させる、あのヴィクトル様…」


 ナターシャは婚約を祝う晩餐の途中に給仕がグラスを落とした音で前世を思い出した。その音が前世で命を落とした事故とそっくりだったから。20歳を迎える春先のことだった…。


 高鳴る鼓動を抑え、何とか晩餐会を乗り切ったナターシャは部屋に戻り、寝支度をした後、ベッドの上で激しく転がった。それはもうゴロゴロと。


 ナターシャの侍女はそんなお嬢様の姿に動揺することもなく控えていた。よくできた侍女だった。


「う、嬉しい…大好きだったあのヴィクトル様と婚約できたなんて…


 聖女マリヤじゃなくてナターシャになっちゃったけど…でも、絶対に結婚できるよう、いい子にしよう。ヴィクトル様に毎日愛を伝えよう。


 小説のように高飛車な態度もとらないし、派手なメイクもしない。優しく、彼を支えるのよ。


 そう、マリヤのように!」


 そう決心したのだ。


 なぜそんなにもナターシャになった子が前世ヴィクトルに傾倒というかハマっていたかと言えば、その理由は前世の境遇があった。


 無関心な家族から相手にされない人生。


 ありがちかもしれない。だが、それを『もっと大変な境遇の人がいる』と切り捨てることは誰にも許されるものではないだろう。


 小説の中ではあったが、ヴィクトルは前世の彼女にとって愛しい人のために奔走する素晴らしい男性だった。誰からも省みられることのない彼女にとって、ヴィクトルのその姿は輝いて見えた。そのヴィクトルに愛を捧げられるマリヤもまた眩しかった。


 イラストも大好きな先生だったし、出版記念の特別配信ボイスストーリーでは最推しの声優さんが声をあてていて…それはそれは、『ああもう無理!ありがとう!』だった。もしかしたらそっちの方が本当の理由かもしれないが、何にせよ彼女はヴィクトルに夢中だった。


 ああ、もしこんな素敵な人が自分を見てくれたら…どんなに幸せだろう。そう思いながら寂しい日々を送っていた。


 だから今回転生に気付いたナターシャは少しの可能性に賭けた。


 転生先はヴィクトルに疎まれる令嬢だったけれど、できるだけ努力してヴィクトルに好きになってもらおう、そして叶うならば彼と結婚しよう、と。


 そこからのナターシャの努力は涙ぐましいものだった。


 侍女のプラウダにお願いして、メイクも優し気に見えるよう工夫して、話し方もおっとり、ゆっくり、小さめの声にした。


「もう少し床の先を…そう、それくらいのところに目線が落ちると儚げでございます」


「控えめでも語尾は言い切った方が思慮深さと決断力が感じられて好感度高し!でございます」


 侍女プラウダの厳しい訓練にもくらいついていった。


 目もバッチリ開けずになんなら半目くらいにしたりもした。


「いざという時のために、目力を込める練習も必要です。はい、慈愛と気合を込めてこの壺を見上げてください!」


「はいっ!!」


 侍女が両手で掲げる壺をヴィクトルの顔に見立てて見上げる。


「すぐに目を閉じて、今度はグッと力を込めて見つめましょう!」


「…っ!」


「素晴らしいですわ!」


「いつもありがとう!」


 侍女は厳しかったがナターシャは自分のために言ってくれていると感じていたので素直に努力を重ねた。


 服も赤とか紫じゃなくて、ふんわりピンクや水色にした。ここでも侍女が頑張ってくれた。


「色が淡いだけではお嬢様の魅力が半減しますので、肩周りのフリルは多めに入れました。そこに目を伏せつつ頬を寄せて…そうです!そこで目線をパッチリとこちらに!最高です!」


「ねえ…これは、何の練習なの?」


「少しションボリしたように見せかけてからの小悪魔感を演出でございます」


「そう、貴方って…何だか…すごいわ!」


「お褒めに預かり光栄です。けれども、お嬢様が箱入りなだけで、誰もが知っていることです」


「そうなのね…奥が深いわ」


 転生してからは貴族令嬢で世間知らずなことはわかっていたので、努力を重ねるナターシャだった。


 そんな努力の甲斐あって、ヴィクトルも最初のうちはナターシャに親切にしてくれた。お花を贈ってくれたり一緒に本を読んだり楽しい時間を過ごした。


 そうして少しずつ距離を縮めた1年半。もうじき17歳になり結婚できる、という時になってそれは起こった。


 レノフの領地のとある教会区で平民の女性に聖女の印が現れたという知らせが届いたのだ。


 ナターシャは真っ青になったが、もう遅かった。


 領地の教会でマリヤに会ったヴィクトルは、一目で恋に落ちた。小説の通りに。


「こ、これが強制力…」


 ナターシャは悲しみにくれた。


 あんなにヴィクトルに好きになってもらうために努力してきたのに。主に見た目だけど。


 …今ではもうヴィクトルはナターシャに見向きもしない。それどころかナターシャを見るとその目には怒りの色が浮かぶのだ。


「酷い…私、何も悪いことしていないのに。マリヤに意地悪もしてないじゃない…」


 でもナターシャはヴィクトルを諦めることはできなかった。だって大好きだから。


「お嬢様の魅力に気付かないのですから、諦めるのも一つの手ですよ」


と慰めてくれる侍女には申し訳ないが、ナターシャは諦めることはできなかった。


 相手がどんなに馬鹿なことを言ってもしても、恋に理由なんてない。とにかく彼が好きなのだ。マリヤを愛してなんでもしてしまうその行動力。マリヤを見つめるあの優しげな瞳。


 『あれ、それってやっぱりマリヤ有りきのヴィクトルってこと?』と思わないでもなかったが、それでもやっぱり彼が好き。それがナターシャの出した答えだった。


 そこでしたのが作戦の変更だ。


 これまでは慎ましく、優しく、儚げな方向で頑張ってきたのだが、それは本物マリヤが現れたので潔く捨て、とにかくいろいろな方法で愛を表現することにしたのだった。そう、捨て身の覚悟。


 新しい服を揃えるのはお金もかかるので、見た目はこれまで通りではあったが、その行動はヴィクトルへ真っ直ぐ向かった。


 即ち、毎日ヴィクトルの執務室に行っては『愛しいヴィクトル様』と話しかけたのだ。もちろんその言葉だけではなかった。


 仕事が大変ならお手伝いしますと、必死に勉強して身につけた知識をいかそうとした。婚約者という立場をフルに活用した。


 出て行けと言われれば、レノフの街に出て見回りをした。


 荒くれ者がいれば魔法でとっちめたし、道端で座り込んでいる子どもたちがいれば仕事を与えた。


 領内の教会に行って、司教が予算のことで困っているなんて相談すれば、自分の資産…これは前世の知識をちょっとアレして貯めたものだ…を使ったし、自分でも直接出向いてなんとかした。


 魔力が必要な時は惜しみなく放出した。植物の生長?お任せあれ!1ヶ月後、立派な穀物の収穫が倍増した。


 そんな風にレノフ領の揉め事はなんだって必死におさめた。領民には『あのお嬢様、しょっちゅう来ていろいろしてくれてありがたいわね』と言われるほど通った。


 小説の知識をいかしてレノフ領のアレコレを発展させもした。レノフ領の役人や商人達から感謝された。


 ヴィクトルだけではなくマリヤに妙なことを言う奴らには鉄槌を下した。だってヴィクトルの幸せは自分ナターシャの幸せだったから。マリヤが不幸になるのは困るのだ。


 ヴィクトルに愛される彼女マリヤを見るのは辛くてももマリヤを虐めたりはしなかった。


 でも、ヴィクトルはナターシャに靡かなかった。


 冷たい目で見て、『毎日毎日来て騒ぎ立てる君を好きになるわけがないだろう』と拒絶した。書類にかかりきりでナターシャに一瞥もくれない日もあった。


 ナターシャの中にはヴィクトルへの愛と共に、彼の仕打ちによる苦しみが溜まっていった。


 少しずつではあるけれど、毎日、毎日…。


 そして今日。


 想いを伝えに行ったナターシャへのヴィクトルの『婚約解消は決定だ』の一言で、彼女ナターシャの心の中にあった『ヴィクトル様へ想いの箱』が満杯になり…溢れたのだった。 


 ヴィクトルに婚約破棄の宣言をされた瞬間、ナターシャは自分の身体の異変に気付いた。


 即ち、目が痒くなり、涙が止まらなくなった。目を閉じて痒みをなんとかしようとしたが無理だった。これまでとは段違いだった。


 落ち着こうと息を大きく吸えば咳が出そうになり、必死に堪えた。だが目を開けてヴィクトルを見たら、込み上げる咳に苦しさが増し…大きな声が出てしまった。


『承知いたしました!』


と。


 急いで廊下に出たナターシャは侍女が差し出すハンカチで目元を拭った。鼻をすするわけにはいかないのでぎゅっと押さえ、そして思う。


『ああ…やっぱり、これって…。もうヴィクトル様と一緒にいることはできないのね…』


 心の中でナターシャはヴィクトルに別れを告げた。


*****


 本当のことを言えば、ナターシャは最近の自分の身体の不調に気付いていた。ヴィクトルに愛を告げ、拒まれると胸が苦しくなる以上に、目が痒くなるのだった。充血した目からは涙が流れる。咳も出る。


 ここ2日間ばかりは彼と同じ部屋に入ると頭がボウっとして肌荒れも起きた。


 そういう不調をヴィクトルに指摘されると悲しくて、ますます症状は酷くなる。


 ナターシャは思った。


 『これって、花粉症に似ている。そして今の私のアレルゲンは多分ヴィクトル様…』


 彼女は前世、花粉症に散々苦しめられていた。


 年が明けたらすぐに病院へ行って薬を処方してもらっていたが、そんな努力も虚しく、毎年毎年3ヶ月は使い物にならない人になっていた。しかも人生の途中からは秋も発症するようになり、『これでは人生の三分の一は無いのと一緒…!酷い!寿命が三分の一!!』と悔しかった。


 しかもその三分の一はただ減るだけではなく『ぼんやりしている人』と自分の評価を下げてしまうのだ。一生懸命頑張っていても挽回できない悔しさ…。


 『無理しないでね』と言ってくれる友人はもちろんいたけれど、どうしても大学のグループワークや課題なんかで他の人の足を引っ張る場面も出てきてしまい、我ながら情けなかった。


 そんな酷い花粉症だったが、転生してからの1年半は症状が出ず『なんて幸せなの!』と思っていたのに。ここにきてこれだった。


 もう、『ちょっと体調が悪い』では誤魔化すことはできないくらいの症状のオンパレード。


「ヴィクトル様のことは好きだけど、こんなにアレルギーが起きるんじゃ無理だわ。ここにはアレルギー用のお薬もないし…」


 どんなにヴィクトルを愛していても、一緒にいると症状が出るのでは一生これだ。息をするのも苦しいのでは生きていくのも大変ではないか。それこそ寿命が縮む。


 この先ヴィクトル様が自分に優しくしてくれるようになっても、ヴィクトル様の存在そのものがアレルゲンなら彼の態度や気持ちは関係ないし、それを確かめるだけの気力はない。それくらいナターシャ(ぜんせのじぶん)にとっての花粉症はツラいものだった。


『でも、小説と違ってナターシャは罪を犯したわけではないし、単に激しく失恋したということよね…』


 ヴィクトルに好かれようと頑張ったおかげで領地経営について実地で学ぶこともできたし、自分がどう見えるかわかったからいろいろな意味でコミュニケーションを取る工夫も身についた。


「潮時ということよね…これからは、貴方のいない生活を送るわ。


 さようなら、ヴィクトル様…マリヤさんとお幸せに…」


 廊下を駆けるようにしながらヴィクトルから距離を取るナターシャは呟いた。


 ナターシャはさらにハンカチを手渡す侍女からそれを受け取ると、またそっと鼻を押さえた。美しい瞳からはいろいろな意味で涙が溢れ止まることがなかった。


 その足で彼女ナターシャが屋敷に帰って両親に婚約解消について話したことで、話はすぐにまとまった。彼女ナターシャが諦めるというならそれで決定だった。


「可愛いナターシャ、ようやく諦めてくれたのね。


 愛は大切だけれど、長い人生だもの、きっといつか良い思い出になるわ」


「お母様…」


「そうだよ、お前にはきっと良い相手が見つかる。こんなにひたむきで、努力家なのだから。


 うちでもっている伯爵家の爵位もあるし、お前の魔力なら自分でも爵位を賜るような功績をあげられると思うから、今後のことは何も心配いらないよ」


「お父様…」


 既にヴィクトルと聖女の噂を聞き、ナターシャの苦悩を理解していた両親は愛娘ナターシャの肩を抱き、慰めた。兄もまたすぐ側でナターシャの頭を撫でるのだった。


 部屋では侍女が穏やかな笑みを浮かべて主たちの姿を見つめていた。


*****


 肩を寄せ合う主たちを見つめながら、侍女のプラウダは心の中でガッツポーズをとっていた。そう、彼女プラウダもまた転生者であった。


 ナターシャが前世を思い出したあの婚約の日、ベッドでゴロゴロと転がり、


「う、嬉しい…大好きだったあのヴィクトル様と婚約できたなんて…


 ナターシャになっちゃったけど…でも、絶対に結婚できるよう、いい子にしよう。ヴィクトル様に毎日愛を伝えよう。


 小説のように高飛車な態度もとらないし、派手なメイクもしない。優しく、彼を支えるのよ。そう、マリヤのように!」


 と顔を赤くして言った時、ここが小説『愛は小舟のように』の世界であり、自分が使えるナターシャお嬢様は断罪される悪役令嬢だと気付いたのだ。


 プラウダの前世は恋愛小説と韓国ドラマが大好きな普通の会社員。なぜここに来てしまったのかは…思い出せない。


 でもこのままではナターシャの断罪に合わせてこの侯爵家が没落し、自分もまたどうなるかわからないことは理解できた。その上、前世のプラウダはナターシャ推しだった。


 儚げな令嬢とか全然好みじゃなかった。聖女というだけで幸せになるとかナイでしょと思うタイプであった。


 とはいえ『愛は小舟のように』のマリヤは平民から急に重要人物扱いされたのだから気持ちはわからなくはなかった。小説では揺れ動くマリヤの心情も描かれていたし。


 でも、お嬢様ナターシャから漏れ出している『マリヤさんをばっさり切り捨てるのはしのびない』という気持ちには『そんなこと言ってたら断罪されちゃうでしょうが!』とハラハラした。


 まあお嬢様ナターシャはマリヤを排除ではなく自分を好きになってもらおうという方向性だったので、悪いことをしないように軌道修正しながら応援というか指導してきたのだったが、本心ではヴィクトルなんて奴は早く見切ってしまえといつも思っていた。


 それがここにきてのお嬢様ナターシャの体調不良。


「うう…これ絶対花粉症…いや、ヴィクトル症か…」


とうめきながらハックションハックションずびずびと音を立てる様子に、


『これは!』と期待していた。


 何せお嬢様ナターシャは良い意味でも悪い意味でも単純だったから。


 ヴィクトルの部屋を出て


「潮時ということよね…これからは、貴方のいない生活を送るわ。


 さようなら、ヴィクトル様…マリヤさんとお幸せに…」


と呟くナターシャを見た時は、これを逃してはならないと大急ぎで屋敷に戻り、主たちをお呼びしたのだった。



*****


 あれから侯爵家はすぐにナターシャに新しい縁談を準備したし、彼女ナターシャも気持ちを切り替えた。


 ヴィクトルはナターシャが自分を諦めるとは思っていなかったようだが、既に関係は解消されたので口は出せない。


 肝心のマリヤとの関係はナターシャが何も企てないので進展しない。公爵家の息子ではあるが四男なので田舎の子爵か何かの爵位をもらって細々と自立することになる。


 爵位はあっても、ナターシャがいるのにマリヤに靡いて婚約者を蔑ろにする姿は見られていたので、結婚相手を探すのは苦労するだろうと予想される。それも仕方あるまいと周りは冷ややかだった。


 そのうち学校は卒業となり、マリヤは聖女として教会に戻るだろう。毎日が祈りの日々であるが、次代の聖女が現れれば王家が良い縁を探してくれる。


 マリヤにとってヴィクトルについては『親切な人がいたな』くらいになるだろう。進展もないし、何せ注意をされて反省したマリヤだったから、それ以上顰蹙をかうような行動は取らなかった。出自に関わらず、学ぶ気があるものは徐々に成長するものだ。


 新たな婚約が決まった後、侍女プラウダはナターシャに


「できる限り私と一緒にいてほしい…無理強いはしないけど…」


とお願いされた。


 あんなに妙な特訓を受けても侍女プラウダが転生者だと気付かないお嬢様は可愛いし、前世の記憶があるので使用人へのハラスメントがないので、侍女プラウダは『喜んで』と笑顔で返事をしたのだった。

お読みくださりどうもありがとうございました。


ヴィクトルだけが可哀想な目に遭うお話になってしまいました。仕事もしてそれなりに優秀そうなのに、恋って怖い。ナターシャは前世がまだ学生だったので単純です。

花粉症の皆様、薬の準備はされましたか?私は今日から飲み始めます…。ううう。

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