第1話:いえなかったきもち
教室の窓から、朝の光が差し込んでいた。
リンは、自分の机の前に立っていた。
机の上には、昨日まで置いてあった、大切などんぐりの飾りがなかった。
リンは、そのどんぐりを、おばあちゃんからもらった。
おばあちゃんには、もう会えない。
だから、そのどんぐりは、リンにとって、とても大切なものだった。
「…ない」
リンは、机の中を探した。
引き出しの中も、棚の中も、床の下も。
でも、どこにもなかった。
リンの胸が、ぎゅっと苦しくなった。
隣の席のミミが、リンを見て言った。
「リンちゃん、何探してるの?」
「どんぐりの飾り…。昨日まで、ここにあったのに…」
ミミは、少し考えて言った。
「あ、それなら、昨日、トモくんが触ってたよ」
「え…?」
リンは、教室の後ろを見た。
トモは、友達と笑いながら話していた。
リンの胸の奥で、何かが熱くなった。
リンは、トモのところへ歩いて行った。
「トモくん…」
トモは、リンを見て、にっこり笑った。
「あ、リンちゃん。どうしたの?」
「わたしの…、どんぐりの飾り…。
昨日、触ってた…?」
トモは、首をかしげた。
「どんぐり? ああ、あのキラキラしてたやつ?
ちょっと見ただけだよ。かわいいなって思って」
「それ…、どこに置いた…?」
「え? 机の上に戻したよ。ちゃんと」
トモは、不思議そうな顔をしていた。
リンは、何か言おうとして、口を開いた。
でも、言葉が出てこなかった。
そのとき、先生が教室に入ってきた。
「みんな、おはよう。席についてね」
リンは、自分の席に戻った。
トモも、自分の席に戻った。
リンの胸の中で、熱いものが、どんどん大きくなっていった。
(トモくんが、触ったから…。
触らなければ…。
触らなければ、なくならなかったのに…)
リンの手が、小さく震えていた。
授業が始まった。
でも、リンは、先生の話が耳に入らなかった。
頭の中で、トモの顔が、何度も何度も浮かんだ。
(なんで…。
なんで、勝手に触ったの…。
わたしの大切なもの…。
おばあちゃんの…)
リンの目が、少しだけ熱くなった。
でも、泣いてはいけない。
教室で泣いたら、みんなに見られる。
リンは、ぎゅっと唇を噛んだ。
休み時間になった。
みんなは、外に遊びに行った。
リンは、一人で机の周りを、もう一度探した。
でも、やっぱり、どんぐりの飾りは見つからなかった。
そのとき、トモが教室に戻ってきた。
「あ、リンちゃん。まだ探してるの?」
トモは、心配そうな顔をしていた。
「一緒に探そうか?」
リンは、トモの顔を見た。
トモの目は、やさしかった。
リンの胸の中で、熱いものが、ぐるぐると回った。
(怒っていいのかな…。
でも、トモくんは、わざとじゃない…。
わざとじゃないのに、怒ったら…。
わたしが、悪い子になる…?)
リンは、何も言えなかった。
学校が終わった。
リンは、かばんを背負って、教室を出ようとした。
そのとき、先生が声をかけた。
「リンちゃん、どうしたの?
今日は、ずっと元気がなかったね」
リンは、先生の顔を見上げた。
先生の顔は、大きくて、やさしかった。
リンは、言おうと思った。
(どんぐりの飾りが、なくなったこと。
トモくんが触ったこと。
それで、怒っていること)
でも、リンの口は、動かなかった。
先生は、きっと言うだろう。
「トモくんは、悪気はなかったんだよ」
「なくしたのは、リンちゃんが悪いわけじゃないよ」
「また、新しいのを買ってもらえばいいじゃない」
先生は、やさしい。
でも、先生には、わからない。
あのどんぐりの飾りが、どれだけ大切だったか。
おばあちゃんが、どれだけ大好きだったか。
リンは、小さく首を横に振った。
「…だいじょうぶです」
先生は、少し心配そうな顔をしたけど、笑顔で言った。
「そう? 何かあったら、いつでも言ってね」
「はい…」
リンは、教室を出た。
リンは、一人で帰り道を歩いていた。
空は、青くて、雲が流れていた。
でも、リンの胸の中は、まだ、熱いままだった。
(怒ってもいいのかな…。
怒ったら、みんなに嫌われるかな…。
わたしが、我慢すれば…。
それで、終わるなら…)
リンの足が、ぴたりと止まった。
道の端に、小さな石が落ちていた。
リンは、その石を見つめた。
そして、小さく、石を蹴った。
石は、ころころと転がって、草むらに消えた。
リンは、また歩き出した。
家に着いた。
玄関の前で、リンは立ち止まった。
(おかあさんに、言おうかな…)
でも、リンは、ドアノブに手をかけたまま、動けなかった。
おかあさんは、きっと言うだろう。
「なくしちゃったの? 大切にしなきゃダメでしょ」
おかあさんは、怒らない。
でも、おかあさんは、わかってくれない。
リンは、ゆっくりとドアを開けた。
夕食の時間。
おかあさんが、リンに聞いた。
「リン、今日は学校どうだった?」
リンは、スプーンを持ったまま、少し黙った。
そして、小さく答えた。
「…ふつう」
おかあさんは、リンの顔を見た。
でも、何も聞かなかった。
リンは、スープを飲んだ。
スープは、温かかった。
でも、リンの胸の中は、まだ、熱いままだった。
夜になった。
リンは、ベッドの中で、天井を見ていた。
(怒ってもよかったのかな…。
トモくんに、言ってもよかったのかな…。
先生に、言ってもよかったのかな…)
リンは、毛布をぎゅっと握った。
(でも、言えなかった…)
リンの目が、少しだけ熱くなった。
でも、泣かなかった。
泣いたら、おかあさんが来る。
おかあさんが来たら、また説明しなきゃいけない。
リンは、目を閉じた。
次の日の朝。
リンは、いつも通り、学校に行く準備をした。
鏡の前で、リンは自分の顔を見た。
いつもと同じ顔。
でも、目だけが、少しだけ違う気がした。
リンは、かばんを背負って、家を出た。
空は、青くて、雲が流れていた。
リンは、また学校へ歩いて行った。
胸の中の熱いものは、まだ消えていなかった。
でも、リンは、歩き続けた。
【第1話 おわり】




