第8話「記録石と音の迷宮」
鍛冶屋の炉は朝から橙色に燃えていた。
塔から戻った翌朝、俺たちは城下の武具通りにいた。二階の将軍戦でバラバラになった木盾は、もはや壁飾りにもならない。店主のドワーフが砥石を止め、じろりと俺を見上げた。
「誰がそんな板切れで二階を抜けたって? ……へぇ、《盾》の兄ちゃんか。面白ェ。じゃ、お望みどおり“いなす盾”を仕立ててやる」
差し出されたのは、輪郭に鍛鉄の縁取りを巻いた円盾。中央の膨らみには浅い皿のような窪みがあり、衝撃を滑らせるための微細な溝が彫り込まれている。手皮も厚く、腕と盾の重心がぴたりと一致する。
「名前は《滑走円盾》。面で受ける代わりに“流す”に特化した盾だ。……壊れても直してやるから生きて帰ってこいよ」
ミィが目を輝かせる。
「ご主人、かっこいい! 今日から“つるんつるん盾”だね!」
「ネーミングに情緒がないな……」
モフが扇で笑いを隠し、「似合ってるわよ、まこと」と小声で言った。尻尾は、期待を隠しきれずにふわりと弾む。
◇
ギルドに寄ると、受付の脇のカウンターから声をかけられた。灰色の石柱に青い文様——塔の紋章。掲げられた札には《記録石・登録窓口》とある。
受付嬢が俺たちを見つけ、頷いた。
「二階の守護者を討伐された方ですね。以降、階層守護者撃破時に《塔の記録石》が出現します。職札をかざすと、その階層までの攻略が刻まれ、次回からは入口の転移陣で“登録済み階の開始地点”へ跳躍できます」
「つまり、今日は三階から始められるってこと?」ミィが身を乗り出す。
「はい。ただし全滅すると記録は失効します。ご注意を」
モフが扇の影で目を細めた。
「便利だよね……まこと、刻む?」
「刻む。転移は必須だ」
三人の職札を石柱に重ねる。青光が一閃し、札の縁に微細な紋が刻まれた。これで、三階から再開できる。俺たちは塔前の広場へ向かった。
◇
塔の入口に立つ転移環の床紋が、薄く脈打っている。
「記録解放:三階」と刻まれた光帯が足元を囲んだ。次の瞬間、内臓が浮く感覚。視界が裏返り、音が一度だけ遠のく。
着いた先は……沈黙。
三階《音の迷宮》。壁面は淡い青。天井の管から落ちる水滴の音が規則正しく響く。だが床石は異様に乾いており、音だけがここでは生き物のように大きく、棘立っていた。
「ご主人、歩くと音が響く。床が薄いのかな……」ミィが耳を伏せて囁く。
「音を媒介にした敵がいる。足音、呼吸、武具の接触音——全部がトリガーになるはずだ」
モフが尻尾をすぼめ、扇で口元を隠す。
「まこと、尻尾は“もふっ”てするものよ。勝手に鳴るものじゃないからね」
「誰も尻尾の話はしてないけど、たぶんいちばん危ないのはそれだな」
「…………(もふっ)」
「ほら鳴ってる」
「鳴ってないわよ! ……たぶん」
くすりと笑いが漏れ、緊張が少しほぐれた。俺は円盾を握り直す。ここでの鍵は、出すべき音と、出してはいけない音の仕分けだ。
◇
最初の分岐で、俺は指先で盾の縁を弾いた。「キーン」澄んだ余韻が、狭い側道で膨らみ、広い回廊で吸われていく。
「空間によって“音の反響”が違うな。共鳴が強い細道は敵の待ち伏せ、弱い広間は……罠か、あるいはボスへの導線だ」
「ご主人、こっちの匂いは乾いてる。獣のにおいが薄い」
「じゃあ逆だ。獣は湿り気を好む。今回も敵の多い方が正解ルートだ。音+匂いで二重チェックしよう」
低い唸りが、床から湧いた。
影が四つ。狼のような体躯、しかし輪郭が曖昧に揺れる。幻狼——足音と呼吸に反応し、鳴き声で仲間を呼ぶ小隊戦の要。実体を持つ個体と幻の個体が混ざる厄介なタイプだ。
「ご主人、どれが本物?」
「四のうち二体が当たり。呼吸に“吐く・止める”があるやつが本物だ」
俺は一歩前に出て、わざと盾の縁で床石をこすり、短い高音を出した。幻影は反応が遅れる。本物だけが即座に行動を修正してくる——AIは最短・最少の修正を好む。
「右前と左後ろ、実体!」
「にゃっ!」ミィが黒影に飛び込み、脇腹の肋間を突く。骨の手応えを感じ、そして血の匂い。実体で間違いない。
「まこと、左後ろは任せて」
モフの狐火は実体の狼の足をもつれさせ、狼は派手に転び、顎を晒した。俺は円盾の膨らみ部分で顎の付け根を押し上げ、関節を外す。最後はミィの刃が喉を襲った。
残りは幻。存在しない幻の足音のせいで聴覚の情報が役に立たない。死角からの攻撃が来たかと思えば幻のこともある。だが、幻は“重さ”がない。盾の縁で床を叩き、反響の遅れを見て、鏡像だけを選んで斬る。あっさり片がついた。
「ふうっ……ご主人、今の合図、音だけで分かったよ」
「目で見えるものだけじゃない。音もずらすことができる。波を曲げて、相手の最短をずらすんだ」
モフが唇の端を上げる。
「言い方は小難しいけど、やってることはシンプルね、まこと。隙を作る。それだけ」
◇
迷宮は次第に音階を持ちはじめた。滴る水音は「低・高・低・休」、壁の継ぎ目は「高・高・休」、床の亀裂は「休・低・低」。
「塔が……合わせてきてる」俺は呟く。「こちらの“出す音”を音階にさせるつもりだ」
やがて大きな広間に出た。中央に円形の舞台、その周囲に観客席じみた段。舞台の床紋は音叉のような記号で満たされている。
「ここ、変な音を鳴らすとまずそう……」ミィが耳を伏せる。
「通るしかない。出す音を選ぶ」
俺は盾の面を伏せ、盾の膨らみ部分を指先で叩き色んな色んな高さの音を出す。
高い音を出した時、舞台の床紋が一部だけ柔らかく光り、静かな道が浮かび上がる。「安全な“音”だけ」を示すように。
「ご主人、道ができた!」
「ミィ、モフ、ついて来い。光った床だけを進む」
「分かったわ、まこと」
三人で同じ床紋を踏む。同じタイミングで床紋を踏む必要があるようだ。タイミングが合わないと床の罠で矢が飛んでくる仕組みだ。そしてタイミングが合わない場合、塔の設計したメロディと異なる音が鳴る。——モフが異なる音とその残響を結界で消しながら進む。異なる音が鳴っている間は罠が常時作動する。ただ、三人が力を合わせればこのフロアは通れる。
舞台の中央に、黒い円筒があった。蓋には古代語。
モフが扇で埃を払う。
「《記録石の副碑:音階の鍵》……って書いてある。まこと、三階の主を倒すと“記録石”が起動、って読み取れるわ」
「じゃあ、ここは前庭。あの先がボスだ」
◇
扉の先は、風が回っていた。
低く、腹の底に響く振動。耳の内側が痛む。
三階守護者《咆哮の魔狼》。蒼い毛並み、首輪のような骨飾り。喉の奥で、まだ鳴らしていない声を貯めている。
「ご主人、でっかい……耳が痛い……」ミィが肩をすくめる。
「まこと、あいつは“音”で戦うようね。音波で鼓膜を破りに来るわ」モフの尾がふわりと広がる。
俺は円盾を返し、膨らみ部分を斜め構えにした。耳を覆うように斜めに立てる。
「合図は短く。——『右一』『左二』『伏せ』『跳べ』。咆哮の予備動作は肩の沈みと尾の張りだ。見えたら、俺に合わせろ」
蒼狼が一歩、また一歩。吸う動作だ。
「伏せ!」
床石が波打つほどの衝撃。円盾の窪みに咆哮の圧が滑り込み、上へ逃がす。耳は痛むが、破れるほどではない。後ろでミィが息を止め、モフの狐火が音の輪郭を薄く歪める。
「右一!」
俺が狼の爪を円盾で受け、縁で滑らせる。肘で顎を押し上げ、喉の隙を作る。
「ミィ!」
「にゃっ!」ミィの短刃が喉の皮を薄く裂く。血が滲み、蒼毛が濡れた。
蒼狼も戦い方を変えてきた。次の咆哮の際には、前脚で床を叩いて反響を増幅し、盾ごとねじ伏せに来た。
「左二、跳べ!」
俺は一歩、狼の外肩に沿って動き狼の死角へ入る。円盾の膨らみ部分で喉元を押し上げ、声の出口を一瞬塞ぐ。
「モフ!」
「幻視、収束!」
狐火で狼は自分の声を出す方向を誤る。咆哮は半分が上へ抜け、半分は己に跳ね返った。蒼狼の後脚が一瞬沈む。
「ご主人、背中!」
「いけ!」
ミィは壁を蹴って背に回り、腱の束を斬り落とす。蒼狼が体勢を崩し、次の一歩が遅れる。——そこが最大の隙だ。
「決める!」
俺は円盾を胸に抱え、狼の鼻梁を斜め打ちで滑らせ、床へ誘導。顎が石に当たり、歯が鳴る。
モフが扇を返し、低い声で囁いた。
「眠れ、まことが作り出した隙の中で」
狐火が蒼毛の間を走り、神経のリズムだけを乱す。ミィの短刃が頸椎を射抜き、蒼狼は長い息を吐いて崩れた。
静寂——いや、静けさの音だけが残った。
◇
青白い光が、広間に石碑を立ち上げた。人の背丈ほど。内部に転移の紋が回っている。
「これが……《塔の記録石》」俺は職札を掲げる。石の内部で何かが錠前のように噛み合い、三階・記録済の光文字が浮かんだ。
「ご主人、これで次は四階から始められるんだね!」
モフが指を一本立てる。
「条件があるわ。全滅すれば記録は失効。あと、再挑戦の始点は“階層開始の小広間”。……十分ね、まこと」
同時に、床の裂け目から宝箱がせり上がる。蒼銀の木枠に、音叉の意匠。
「開けるよ!」ミィが目をきらきらさせる。
鍵はなく、触れると自動で開いた。
中には、澄んだ青の核石が脈打っていた。
•《蒼狼の咆核》:咆哮のエネルギーを蓄える魔核。盾に組み込むと、音波を“回避する”確率が常時上昇。
•《静謐の耳飾り》(二つ):装備者の聴覚に“選択的沈黙”を与える。有害音だけを弱める。
•《蒼紋の皮》:軽くて強靭。ミィの胸当ての裏に仕込めば呼吸音が消える。
•《月滴の指輪》:モフ用。魔力の回復を微量促進し、幻の持続時間が伸びる。
•《反響板の設計図》(盾用):円盾裏面に小型の反響板を追加し、角度に応じて打撃の“音”を散らす——音索敵系の敵に強い。
「ご主人、耳飾りは——」
「使え。ミィとモフ、二人で」
「やった! ご主人、大好き!」
モフが咳払いして扇を上げる。
「……じゃ、まことはこの設計図と核石。盾をまた進化させなさい」
宝箱の底に、小さな包みがもう一つあった。開けると、銀のコインが三枚——《塔税免除コイン》。塔の転移陣使用料が三回だけ無料になる特典だ。
「助かる。記録を刻んで、すぐ四階に行くのは危険だ。今日は戻って盾の改造を済ませよう」
◇
帰還の転移陣は、記録石の台座に寄り添うようにあった。
光がほどけ、塔前広場へ戻る。夕方の風は涼しく、街の音が耳にやさしい。ミィが尻尾で俺の腰をぽふぽふ叩きながら跳ねた。
「ご主人、耳が軽い! この耳飾り、すごいよ!」
「わたしの尾の“もふっ”も……少しは静かにできるかも。まこと、聞こえる?」
「十分に聞こえてる。静かに喜んでるのがな」
ギルドで記録解放を更新すると、《三階・記録済》の行に鉤印が入った。受付嬢が微笑む。
「おめでとうございます。次回からは入口転移陣で“四階開始”が選べます。なお、記録の有効期間は無期限ですが、全滅時点で失効します」
「了解。——鍛冶屋だ」
俺は《蒼狼の咆核》と《反響板の設計図》を抱えて武具通りへ向かった。
ドワーフが目を丸くする。
「おいおい、三階の主まで落としてきやがったか。……面白ェ。円盾の裏に反響板、前面中央に咆核を嵌める。真正面から受けるんじゃなく角度を作っていなす——お前の“やり方”にぴったりだ」
鍛冶槌の音が闇へ吸い込まれていく。
ミィはカウンターで肉串を三本もらい、頬張りながら俺の肩に寄りかかった。
「ご主人、次は“沼の階”だっけ? ぬるぬるなのやだなぁ」
モフは指輪を試し、淡い光の尾を扇で散らす。
「まこと、記録石のおかげで、もう三階までは往復せずに済むよね。時間が節約できるわ」
俺は改めて円盾を抱え、重心の収まりを確かめる。
「近道は罠にもなる。だが、今回の盾ができれば道塔の学習の上をいける。隙を作ってやれる。——明日、四階へ」
塔は学習する。
けれど今、こちらのほうが一歩、先を読んでいる。
記録石が刻んだ青い紋が、月光に静かに光っていた。




