第6話「分岐の回廊」
石扉を抜けた瞬間、ひやりとした風が肌を撫でた。
一階の湿った石回廊とは違う。二階は空気そのものが張り詰めている。
壁は黒曜石のように艶やかで、光を鈍く反射する。天井は高く、幾何学模様のアーチが延々と続いていた。
「……道が、いっぱいある」
ミィが耳を伏せて目を丸くした。
前方には十字路。その奥にさらに分岐。塔の二階は一本道ではなく、複雑な迷宮になっている。
「これ、どうやって進むの?」
「正解ルートが一つとは限らないだろうな」
俺は盾を握り直し、床石を軽く叩いた。音は鈍い。ここには罠はない。だが、罠より厄介なのは迷路構造だ。敵が仕掛けるのは物理攻撃だけではない。
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十字路の先で声がした。
「おい、そっちは行き止まりだったぞ!」
五人組の冒険者パーティ。前衛二人、後衛三人。鎧や杖は磨かれていて装備は良い。
彼らは俺たちを見ると鼻で笑った。
「なんだ、あんたら……《盾》かよ。よく一階突破できたな」
「猫と狐の獣人か? 荷物持ちでもやらせてんのか?」
ミィの耳がぴんと立ち、尻尾が膨らむ。
「ご主人を馬鹿にするなら、今すぐ引っ掻くよ!」
「やめとけ」俺は首を横に振った。「ここで同業と争っても仕方ない」
狐のモフは涼しい顔で扇を開き、皮肉を口にした。
「ほっときなさいよ。どうせすぐ罠に落ちて痛い目にあうんだから」
その言葉通り、数分後。彼らの悲鳴と岩が崩れる音が迷路の奥から響いた。
……この塔はAI学習する。二階でも冒険者はふるいにかけられるのだ。慎重さや計画性をもたないものでは先には進めない。
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「ご主人、どう進むの?」ミィが俺の袖を引く。
俺は分岐路を見渡し、壁の模様と風の流れを確認する。
塔の設計は合理的だ。空気の流れ、敵の動線、そしてAIの行動パターン。
「左だ。敵は多いが、だからこそ正解に近い」
「どうして分かるの、まこと?」モフが怪訝そうに問う。
「塔は俺たちの行動を学習する。敵を多く配置して、挑戦者の戦い方を見ようとしてるんだ」
「つまり、正しい道にはわざと敵を多くして、塔が学習してるってこと?」
「そう。だから、あえて学ばせなければ、塔は学習をしない。俺たちは“学ばせる内容”を選べる」
ミィが目を輝かせる。
「なんかよく分かんないけど、楽しそう!」
俺たちは左の通路へと足を踏み入れた。
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しばらく進むと、石像が動き出した。人型の石の兵士。
三体が同時に剣を振りかざす。
「ご主人、どうする?」
「正面一体は俺が引き受ける。残り二体は——」
言い終える前に、ミィが飛び出した。
「にゃーっ!」
短刃が石の腕を切るが、刃が弾かれる。硬い。
「ちょ、切れない!」
モフが即座に幻を展開し、石像の動きを惑わせる。
その一瞬を俺は見逃さない。盾を斜めに当て、剣を滑らせる。
石像からの衝撃は強いが、角度をつければ受けられる。受けたあとに重心をずらしてやれば隙が生まれる。
「ミィ、左足だ!」
「了解!」
石像の膝関節に短刃が突き刺さる。重い体が崩れ落ちた。
残り二体も同じように連携し、撃破。
「ふう……強かった」ミィが息を吐く。
「一人なら無理。でも、ご主人が隙を作ると簡単に倒せる」
モフも尻尾を揺らし、小さく呟いた。
「……認めたくはないけど、本当に簡単に倒せるのね、まこと」
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二階はひたすら広く、分岐が続いた。
俺たちは罠を避け、石像兵を倒しながら進む。
途中、壁の隙間に冒険者の残骸を見つけた。折れた剣、踏み抜かれた兜と鎧。
「……怖いね」ミィが小声で言う。
「だからこそ盾が要るんだ。怖いものから仲間を守る。それが俺の役目だ」
モフはそっぽを向きつつも、尻尾がわずかに弾んでいた。
——二階の迷宮はまだ続く。だが、三人の歩調は確実に揃ってきていた。
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「ねえ、ご主人……ここ、本当に前に進んでるのかな?」
ミィが不安げに耳を伏せる。尻尾も力なく垂れていた。
「進んでるさ」俺は壁に手を当てながら答える。「塔の設計は合理的だ。無駄な回廊はない。敵を配置するための“意味のある迷路”だ」
「合理的……また出た。あんたの口癖ね。じゃあその合理性とやらで説明してみなさい、まこと。どうして罠や敵があんなに多いの?」
「試してるんだよ」
「試す?」
俺はうなずいた。
「塔は学習する。挑戦者の行動を観察し、次に活かす。敵が群れを組み始めてるのもその証拠だ。俺たちの戦い方を学んでいる。だが同時に、俺たちも塔の行動を学んでいる」
モフは小さく鼻を鳴らし、扇で口元を隠した。
「……理屈は分からなくもないけど、少なくともわたしには“試されてる”なんて感じ、気持ち悪いわ、まこと」
そのとき、前方の闇に赤い光が二つ浮かんだ。骸骨兵……いや、石像兵の強化種。両手に持った剣を交差させ、静かにこちらを見据えていた。
「くるよ!」ミィが跳ねる。
俺は盾を構えた。
最初の一撃は予想通り俺に向かった。だが——違和感が走る。
二体目も俺を狙っている。普通なら、後衛のモフを狙うはずだ。それがない。
「……盾を優先して狙ってきてる」
「学習したのね。仲間を守る盾が脅威だと分かったのよ、まこと」モフが苦い声を出す。
「ご主人、どうする?」ミィが焦る。
俺は笑った。
「簡単だ。敵が学んだなら、俺も学べばいい。違うやり方で隙を作ればいい」
石像兵の剣が振り下ろされる。俺は盾を正面で受けず、わずかにずらす。刃が盾の縁を滑り、石床に突き刺さる。その瞬間、体勢が崩れる。
「今だ、右足!」
「にゃっ!」
ミィの短刃が足首を切り、石像が膝をついた。
もう一体がすぐに迫る。俺はあえて背を見せ、盾を振り返りざまに押し付ける。石像の視線が俺に釘付けになる。
「モフ、幻じゃなく——足を封じろ!」
「……了解!」
狐火が走り、床の影を揺らす。石像は影を踏み抜いたと錯覚し、一瞬動きを止めた。
俺はその隙に盾を押し込み、体ごと壁に叩きつける。重い衝撃。ひび割れが走り、ミィがとどめを刺す。
静寂が戻った。
「はあ、はあ……敵、わたしじゃなくてご主人ばかり狙ってたね」
「盾を脅威だと認識した証拠だ」俺は答える。「今後はもっと集中されるだろう」
モフは尻尾を揺らし、皮肉を言う。
「盾が狙われるなんて皮肉な話ね。これまでは無価値扱いだったのに」
「価値があるから狙われるんだ。なら、俺はそれを逆手に取る」
ミィがきらきらした目で笑った。
「かっこいい! さすがご主人!」
照れくささを隠すように、俺は盾の縁を叩いた。
塔は学習する。だが俺も二十年、AI相手に戦い続けてきた。学び方は負けない。
通路の先には、さらに複雑な分岐が広がっている。
ここからが本当の二階だ。
塔の二階を進むほど、迷路は入り組み、罠の数も増えていった。足元の床石はわずかに色が違い、踏めば槍が飛び出す。壁の文様は途切れ、そこから毒矢が放たれる。塔が「学習」しているとしか思えないほど、仕掛けの精度が高まっている。
「ご主人、ここ……罠だらけだよ」ミィが耳を伏せる。
「そうだな。俺が先に叩く」
盾で床を小突くと、鈍い音とともに槍が飛び出した。俺の盾に弾かれ、金属音が通路に響く。
「なっ……最初から避けられてる!」ミィが尻尾を膨らませた。
「学習してる。俺を標的に罠を起動させようとしてるんだ」
「盾を……罠の起点に?」モフが低く呟く。
「それなら、それを利用する。俺が全部受ける。二人は俺の後ろを通れ」
通路を抜けたとき、視界の先に広い空間が開けた。
そこには、十体以上の骸骨兵が待ち構えていた。剣や槍を持ち、こちらを睨みつけている。その中央に、ひときわ大きな影——二階の守護者ではないが、ボス部屋手前の「軍勢試練」だ。
「来るぞ!」
骸骨兵たちが一斉に突撃してきた。
俺は盾を掲げ、最前列の攻撃を斜めに滑らせる。剣が壁に突き刺さり、一瞬の隙が生まれる。
「ミィ!」
「了解!」
猫獣人の少女が跳び、喉元を切り裂いた。骨が崩れる音。
「モフ、左二!」
「幻で足を止める!」
狐火が走り、骸骨の影が揺れる。敵は幻影に引き寄せられ、攻撃の手が止まった。その瞬間、俺は盾で突き、体を弾き飛ばす。
だが——敵の半分以上は、やはり俺を狙ってきていた。
「ちっ……完全に学習されたな。だが、それこそ盾の本領発揮だ」
剣が雨のように降り注ぐ。盾に衝撃が走り、腕が痺れる。それでも角度をつけて受け流し続ける。直撃は避ける。力ではなく流れでいなす。
「ご主人!」ミィの声が焦りを帯びる。
「大丈夫だ。隙は必ず生まれる!」
俺は呼吸を整え、盾を一度床に叩きつけた。
響いた音に骸骨兵たちの視線が一瞬集まる。その刹那、俺は一歩踏み込み、盾を斜めに振り上げる。
剣が弾かれ、骸骨の胸骨が露出した。
「今だ、ミィ!」
「にゃあっ!」
刃が突き立ち、骸骨が崩れる。
モフの幻とミィの刃、そして俺の盾での誘導。三つの動きが重なり、十体を超える骸骨兵は次々と粉砕されていった。
やがて最後の一体が倒れると、広間には静寂だけが残った。
ミィが大きく息を吐き、尻尾を振った。
「すごい……全部、ご主人に隙を作ってもらったから勝てたんだ」
「盾が……ここまで戦闘の軸になるなんて」モフの声も低く震えていた。
俺は木盾を見下ろした。縁は削れ、木目に細かなひびが走っている。
「盾は硬さじゃない。角度と間合い、そして隙を作ること。それさえあれば——仲間が必ず仕留めてくれる」
二人は黙って頷いた。
通路の先には、重厚な扉が待ち構えている。二階のボスが待つ部屋だ。
俺たちは視線を交わし、深く息を吸った。
塔は学習する。俺たちもまた学んだ。
盾が隙を作り、猫が斬り、狐が幻で支える——その戦術がどこまで通じるのか。
二階の扉を前に、三人は肩を並べた。




