第5話「塔の門をくぐる 」
石畳の街を抜けると、大地の彼方に巨大な影がそびえていた。
それは雲を貫くような黒の塔。壁面は滑らかな岩でできているが、所々に亀裂のような光が走っている。
百階層——世界最大の試練。
こちらの世界では、最高到達者は四十階止まり。それ以上は、火力偏重の戦術では突破できていない。ただ、前世の知識を利用すればクリアも可能なはず。
「……本物だ」
思わず声が漏れる。
画面越しで何度も見た構造物が、今は現実の地平に突き立っている。
「ご主人、あれが塔かぁ!」
ミィが尻尾を振り、目をきらきらさせる。
「でっかいし、なんか“におい”がすごいね。血とか、魔法とか、獣のにおいが混ざってる」
狐のモフは扇で口元を隠し、わざと視線を逸らした。
「別に怖いわけじゃないけど……あれを前にしたら、普通の人間なら足が竦むでしょうね。まことは?」
俺は木盾を握りしめ、答えた。
「怖いさ。けど、二十年分の戦いは無駄じゃない。この塔の思考も、必ず読める」
――
塔の前には広場があり、冒険者のキャンプが点在している。補給所や簡易鍛冶場、治療院。多くのパーティが準備を整えているが、俺たち三人に向けられる視線は冷たい。
「盾持ちが塔に? 無謀だな」
「可愛い獣人二人を連れて見せびらかしか」
「どうせ一階で全滅する」
嘲笑交じりの声。
ミィは耳を寝かせて歯を剥いたが、俺は首を横に振る。
「気にするな。結果で黙らせればいい」
モフは小さく笑った。
「ふん……言うじゃない。負けたら笑うのはわたしだからね、まこと」
だが、彼女の尻尾はわずかに弾み、期待を隠しきれていなかった。
――
塔の正面には巨大な石の門。
近づくと、冷たい気配が押し寄せてくる。
門番はいない。ただ、門そのものが知性を持っているかのように、こちらを見下ろしていた。
「これが……一階の入り口か」
扉に触れると、青い光が走り、職札が反応する。
盾、猫、狐。三人の札が重なると、石の扉が重々しく開いた。
ごう、と風が吹き込む。内部は暗闇。しかし空気は湿り気を帯び、確かに「生き物の巣穴」の匂いがする。
「行こう」
俺たちは初めての塔の一歩を踏み出した。
――
内部は石造りの回廊が続き、壁には古代文字のような文様が刻まれている。天井は高く、苔が淡く光を放ち、薄緑の明かりが足元を照らしていた。
「ご主人、なんか床が変。匂いが違う」
ミィがしゃがみ込み、床石を爪で叩く。コンコン、と空洞音。
「ここ、落とし穴だよ」
俺は頷いた。
「なら、ここは俺が先に立つ。盾で床を叩きながら進む」
盾を軽く叩くと、石の響きが返ってくる。重い音なら安全、軽い音なら罠。
敵を防ぐだけでなく、盾は探知の道具にもなる。
「隊長……ご主人の言う通りだ。盾って隙を作るだけじゃないんだね」ミィが感嘆する。
モフは扇を閉じ、ぼそりと呟いた。
「……少しは認めてあげるわ。でも罠を避けても、敵がいるでしょ、まこと?」
その言葉通り、回廊の奥から骨の擦れる音が響いた。
――
現れたのは、錆びた剣を持つ骸骨兵。四体。
骨同士が擦れ、ぎしぎしと音を立てながら歩み寄ってくる。
「ご主人、どうする?」
「正面二体は俺が引きつける。ミィ、右回り。モフ、左から幻で視界を切れ」
「了解!」
「……命令形なのね。嫌いじゃないけど」
――
俺は盾を構え、角度をつけて突進を受ける。
がしゃん、と剣を弾く。
もう一体は盾の縁で剣を滑らせ、石壁に衝突させた。
「今だ!」
ミィが背後から飛びかかり、短刃で頸椎を切る。骸骨は崩れ落ちた。
残り三体。二体は俺の前、もう一体はミィに狙いを定めた。
「モフ!」
「分かってるわ、まこと!」
狐火が舞い、骸骨兵の視界に幻影が映る。標的を見失い、ふらついた隙に、俺が盾で叩き伏せる。ミィも危なげなく背後から瞬殺した。
残り一体。ミィとモフが同時に攻撃し、骨を粉砕した。
――
骸骨兵が散ったあと、静寂が戻る。
ミィは尻尾をぶんぶん振りながら笑った。
「やっぱりすごいよ、ご主人! あんな骨、ちっとも怖くないね!」
モフはふんと鼻を鳴らす。
「……確かに効率は悪くないわ。でも、まだ一階。ここからが本番よ、まこと」
俺は頷いた。
「そうだな。この先にはボスがいる。まずは一階を突破する」
三人の視線が交わる。塔の冒険は、まだ始まったばかりだった。
――
塔の一階は、まるで冒険者をふるいにかけるように設計されていた。
長い回廊のあちこちに仕掛けられた罠。落とし穴、飛び出す槍、床石が沈むと矢が放たれる仕掛け。
表面上は静かな石の道だが、ミィの耳と鼻が小さな異変を嗅ぎ分ける。
「ご主人、ここも空洞っぽい。においが違う。湿っぽい空気が下から抜けてる」
「……よし」
俺は盾を床に叩きつけた。ごん、と鈍い音。その瞬間、床石が外れ、黒い穴が口を開けた。
「にゃわっ!」ミィが尻尾を膨らませて飛び退く。
「なるほど。盾をセンサー代わりにするのね。愚直に突っ込んで落ちていく馬鹿どもよりは、だいぶマシだわ」モフが扇をパタンと閉じて言う。
「褒め言葉として受け取っておく」
「……褒めてないけど」
ツンと澄ました声。けれど彼女の三本のもふもふの尾が、わずかに左右に揺れているのを俺は見逃さなかった。
――
進むうち、矢の罠が仕掛けられた広間に出た。壁の穴から、毒矢が一斉に放たれる構造だ。
俺は盾を掲げて進もうとしたが、ミィが止める。
「ご主人、ここはわたしの出番!」
彼女は地面を蹴り、矢が飛ぶより早く走り抜けた。穴の前で猫のように身をひねり、爪で小さな板を外す。
からん、と仕掛けの歯車が外れ、矢の射出口が沈黙する。
「どう? かわいい子が役立ったでしょ?」ミィは尻尾を立て、胸を張った。
「助かった。罠を外す技は、俺にはできない」
「むふふ、ご主人に褒められると元気でちゃうね!」
モフは扇で口元を隠し、呟く。
「調子に乗るとすぐ死ぬタイプよね、猫って」
「にゃにおう! モフだって幻惑で隠れてばかりじゃん!」
「隠れるのは戦術よ。正面から突っ込むのはただの蛮勇、まこともそう思うでしょう?」
またも言い合いが始まりそうになったので、俺は咳払いした。
「二人とも、役割が違うだけだ。俺は守る。ミィは罠を外し、背後を取る。モフは敵の認知を狂わせる。それで三人の三角形が完成する」
二人はちらりと互いを見、そして視線を逸らした。だが尻尾は――猫も狐も――僅かに揺れていた。
――
進んだ先の部屋で、十体ほどの骸骨兵が待ち構えていた。
壁際にずらりと並び、錆びた剣を一斉に掲げる。
「数が多い……!」
「ご主人、どうするの?」
俺は深呼吸し、盾を構えた。
「俺が正面でヘイトを取る。ミィは右から回り込み、背面を削れ。モフは左から幻で時間を稼げ。合図は短くする」
「了解!」「……分かったわよ、まこと」
骸骨兵が突進してきた。俺は盾を十五度傾け、先頭の剣を斜めに受け流す。骨と骨が衝突してバランスを崩した瞬間、俺は叫ぶ。
「右一!」
「にゃっ!」
ミィが床を滑り、二体の背後へ。短刃が脊柱を切り裂く。骸骨が崩れた。
「左三!」
「幻視展開、まこと!」
モフが狐火を散らし、三体の視界を覆う。幻の影を追った骸骨が無駄に剣を振り回す。その隙に俺が盾で押し返す。
戦いは三人のリズムになった。
盾が角度を作り、猫が喉を裂き、狐が幻で足を縛る。
三角形のリズムの循環によって、次々と敵を削っていく。
やがて骸骨兵はすべて粉砕された。
――
「ふう……やったぁ!」ミィが飛び跳ね、尻尾をぶんぶん振る。
「ご主人、今のすっごく楽しかった! 盾で隙を作ってくれるから、思いっきり斬れた!」
モフは少し頬を染め、わざとそっけなく言う。
「……まあ、思ったよりはマシね。幻も無駄にならなかったし、まこと」
「ツンめ……」ミィが小声で笑う。
俺は盾を見下ろし、小さく頷いた。
「これで分かっただろう。盾は“仲間を活かすための武器”だ」
二人は返事をしなかった。だが、歩き出すとき三人の歩幅は自然と揃っていた。
――
長い通路を抜けると、重厚な扉が現れた。
その上には古い文字。
〈階層守護者 骸骨兵団長〉
ミィが唾を飲み込み、尻尾を膨らませる。
「……これがボスの部屋か」
「引き返す? まこと」とモフが試すように問う。
俺は首を横に振った。
「ここを越えて初めて“一階攻略”だ。引けない」
二人は一瞬顔を見合わせ、そして同時に頷いた。
塔が俺たちを試している。
守って攻める戦術が、ここで本当に通用するのか――。
――
扉を押し開けた瞬間、冷気がぶわりと吹きつけた。
広い石の広間。奥の玉座に腰掛けているのは、漆黒の鎧をまとった巨大な骸骨。
頭上の角灯に照らされ、眼窩に赤い焔が揺れる。
カツン、と鎧の音が響き、骸骨兵団長が立ち上がった。
周囲の床からは、さらに小型の骸骨兵がぞろぞろと這い出してくる。
「うわぁ……いっぱい出てきた!」ミィが尻尾を膨らませる。
「まるで軍隊ね」モフが眉をひそめる。
俺は盾を構え、声を張った。
「ここを突破する。俺が兵団長の攻撃を受け止めて隙を作る。二人は迷わず斬り込め!」
――
兵団長が大剣を振り下ろす。
振り幅が大きい。速度も重さも桁違いだ。
俺は正面から受けず、盾をわずかに傾けた。
剣の刃は盾を滑り、床に突き刺さる。
「今だ、隙!」
「にゃあっ!」
ミィが飛び込み、兵団長の背を斬る。火花が散り、黒い骨が削れる。
しかし兵団長はすぐに体をひねり、腕でミィを弾き飛ばした。
「きゃっ……!」
「ミィ!」
駆け寄ろうとした瞬間、左右から骸骨兵が迫る。
俺は盾を振り、剣を滑らせて逆に叩きつける。二体を一撃で粉砕した。
「モフ、幻視展開だ!」
「任せて、まこと!」
狐火が広間を覆い、残りの骸骨兵の視界を奪う。彼らは幻影の敵を追い、無駄に剣を振る。
その間に俺は兵団長の前に立ちはだかった。
――
兵団長が大剣を構える。
振り下ろし、薙ぎ払い、突き。
どれも致命的な一撃だ。
俺は正面で受けず、すべてを角度をつけて外す。
剣を滑らせ、床や壁にぶつけさせる。そのたびに鎧が軋み、兵団長の体勢に隙が生まれる。
「ミィ、右足!」
「了解!」
猫の軽い足取り一瞬で兵団長の手前まで駆け込み、しゃがんで攻撃を交わし、短刃で兵団長の右足の腱を削ぐ。
兵団長が片膝をつく。
「モフ、三秒視線切り!」
「オッケー、まこと!」
狐火が兵団長の眼窩を覆い、赤い焔が揺らぐ。
俺は盾を叩きつけ、顎を上げさせた。
「今だ! 二人とも!」
ミィの短刃が背骨に突き刺さり、モフの狐火が大きな炎となって骨の隙間に燃え広がる。
――
だが兵団長は倒れなかった。
呻き声のような轟音を上げ、周囲の骸骨兵を吸収していく。
骨が絡み合い、鎧が膨れ上がり、さらに巨大化した。
「やば……!」ミィが後ずさる。
「強化形態、ってやつね」モフが唇を噛む。
兵団長の振り下ろしは、もはや盾ごと押し潰す力。
俺は衝撃で後方に吹き飛ばされ、膝をついた。
「く……まだだ!」
再び盾を掲げる。
正面から受ければ砕かれる。なら、すべてを誘い、外し、隙を生む。
――
兵団長が突進してくる。
俺は盾を左に傾け、視線を右へ誘う。
骨の巨体は釣られ、軌道をわずかに誤った。
剣が壁にめり込み、ほんの一瞬動きが止まる。
「ここが最大の隙だ! 全力でいけ!」
「にゃああああっ!」ミィが背中を駆け上がり、首骨を短刃で切り裂く。
「燃え尽きなさい!」モフの狐火が爆ぜ、眼窩を内側から焼き尽くす。
兵団長の巨体が揺れ、崩れ落ちた。
赤い焔が消え、広間に静寂が戻る。
――
ミィが尻尾をぶんぶん振り、笑顔で飛び跳ねる。
「やった! ご主人、やったよ!」
「……信じられない。本当に倒したのね、まこと」とモフが呆然と呟く。
俺は木盾を見下ろし、深く息を吐いた。
「盾は仲間のために隙を作る。それが俺の戦い方だ」
二人は顔を見合わせ、そして小さく頷いた。
ミィは俺の腕に飛びつき、モフはそっぽを向きながらも尻尾が嬉しそうに揺れていた。
こうして俺たちは、一階の守護者を突破した。
守って攻める戦術は、確かに通じる。
百階への道は、まだ始まったばかりだ。




