28話「砂に糸を通す」
朝の風は乾いて、塔前広場の砂粒がきらりと光った。
十一階《鳴砂回廊》は、音と静電気の階だと聞く。
今日は街で“準備と調整”に徹する。
「ご主人、どこから行く?」
「気象寺→商人ギルド→風具店。午后は訓練場で新スキルの合わせ。夕方に鍛冶屋で仕上げだ」
「わたしは《音速の糸》を仕上げます。皆んなの動きを加速する魔法です」
リィナが白枝杖ルーメンを抱え、袖口の露珠をそっと撫でた。
「カラは! 黒雷ぐにゃっと曲げる——」
「今日はまだ曲げないぞ。直線の精度100%を作る日だ」
「はーい……(ぐにゃっとしたい)」
「心の中で言え」
◇
気象寺。
僧の廉風が砂色の風路図を広げた。
「十一階は“鳴く砂”。細かい砂の粒は帯電もしやすく砂を踏んだ時の圧力で音が鳴るんじゃ。その鳴き声に釣られて敵が集まるという……いやらしい階じゃ」
「対処は?」
「皆の発する音を揃えることじゃ。呼吸・歩幅・着地の高さ――群れで揃えるほど敵に気づかれにくいんじゃ。音を立てないのが一番だが、できるのは一人だけじゃろ。あとは風が“無音”になった瞬間は乱れの前触れ。止まって観察することじゃ」
小袋が渡される。袋の内側で砂がさらさら震える。
「《風破砂》。震えが粗くなったら乱れの前触れの合図じゃ」
「助かる。……黒雷は?」
「見ても近寄るな。一発で地獄じゃ」
カラが「寄らない!」と大声で復唱し、モフに扇でコツンと叩かれた。
◇
商人ギルド。
担当セルマが箱を二つ示す。
「《抑制ゴム》と《静電避けの油》。抑制ゴムは靴底に取り付けてください。油は粘膜の保護用です」
「了解」
ミィが香りを嗅ぐ。
「甘いのに、鉄の匂いが隠れてる。危ない匂いはこれに似てるね」
◇
《オルファ風具店》。
薄い帆が天井で波打ち、風を切る音が心地よく通る。
女主人オルファが指を鳴らした。
「全員、ハーネスは前回どおり。付け方は覚えているよね。追加で《砂錨》の購入を進めるわ。砂の上でも突き刺すことでびくとも動かなくなる杭だね」
「強風の中でも飛ばされないわね」
モフが尾をふわり。
「私も安定した回復のためにも買いたいです」
◇
昼前、城壁外の訓練場。
係の親父が砂を敷き詰めた“砂のステージ”を引き出してくれた。
「ここで訓練するぞ」
「まずは《音速の糸》から」
リィナが白枝杖を軽く回し、囁く。
「音速の糸」
白い細糸が俺たち四人の足首に一瞬だけふれて、ふっと身体が軽くなる。
「……足が軽いよ」
ミィの耳がわずかに立った。
「早く走れるわ」
モフの尻尾が揺れる。
「行くぞ。音を合わせる——三歩ずつ、同じ“深さ”と“タイミング”で歩く」
ザ、ザ、ザ。
鳴砂の声が薄くなり、やがて消えた。
盆の縁で見ていた親父の眉が上がる。
「鳴らねえ……上手く合わせると本当に音がしなくなるんだな」
「次。《集敵の号》を試す」
俺は盾の受け面をわずかに立て、風脈のコアに指を触れる。
低い唸りを面に乗せ、前方に踏み込む。
「号!」
低い風音が一点に集まり、訓練用の吊り人形の頭が揃ってこちらを向いた。
「効いてる。視線を奪えるようね」
モフが扇を立て、
「そこへ導紗」
《狐火・導紗》の細い光路を、俺の風の筋に沿わせて重ねる。
より強固に“視線を奪うこと”ができた。
「わたしは“糸”を維持します。以前より長く保持できるようになりました」
リィナの声は落ち着いている。
「カラは——」
「はい師匠! 直線で《黒雷》、導紗のど真ん中へ!」
カラが指先を構え、抑魔バンドをぽん、と叩く。
黒い雷が細く真っ直ぐ走り、導紗の線上だけを焦がした。
「成功。……けど次は“弧”」
カラは地面にチョークで弧を描き、モフが同じ形の導紗を浮かべる。
「入口・出口だけ真っ直ぐ、間を曲げる、だな?」
「ま、まげる……! ——《黒雷》っ」
入口は良い。間で手がうずき始める。
抑魔バンドがじんわり熱くなった。
「あちち!」
「熱くなる前に止める」
「は、はいっ! でも曲がんなかった!」
「今日は曲げるのは諦めろ」
「……黒雷の曲げは、明日も練習しましょ」
モフがやさしく言う。
「“直線が完璧”になってからでいいわ」
「うん……(ぐにゃっとしたい)」
「心の中で言え」
◇
午後は実地搬送の訓練。
孤児院の納戸入れ替えを手伝いがてら、鳴砂対策の連携を復習する。
「俺が風の流れで床に細い“道”を引く。ミィは無音で荷を置く。モフは導紗で線を可視化。リィナは《音速の糸》で全員の速度アップだ。カラは荷を下ろす」
「はい、ご主人!」
荷がベルトコンベヤーみたいに滑る。
院長が目を丸くし、子どもたちが歓声を上げる。
「師匠! 空でもやったやつ!」
カラが胸を張る。
「師匠じゃない。……でも、いい復習なる」
帰りがけ、孤児院の屋根で外装の落ち葉を払う。
ミィが《フォールミュート・パッド》で音を殺しながら落ち葉の掃除をする。
モフは《標》で雨樋の割れに小さな灯を置いていった。
リィナが雨樋の割れ目を回復魔法で修繕する。
街でも、塔と同じやり方でうまくいく。
◇
夕刻。《グラム工房》。
グラムは熱の中で顎をしゃくった。
「鳴砂か。盾の縁に《砂鳴止めの革》を一周貼る」
カン、カン。縁へ革が吸い込まれた。
「ミィの靴は抑粉をつけておく」
「了解!」
「あと全員の靴に抑電ゴムをつけとくぞ」
「で、暴発女」
「呼び名がひどい!」
「バンドが熱くなったら即やめろ。明日は曲げるな。針金みたいに真っすぐ通せるようになれ」
「は、はい!」
支払いを済ませて外へ出ると、風は砂の匂いを少しだけ運んできた。
◇
日暮れ前、城壁外で最終の合わせを行った。
「糸——!」
淡い光糸が足元へ。皆んなの速さが増す。
「号——!」
低い風音を発して、訓練人形の視線が揃う。
その線のど真ん中を、モフの《導紗》が走る。
「雷!」
黒雷がまっすぐ細く導紗をなぞる。
カラが歯を見せて笑う。
「かわす!」
俺が盾面で風を受け、モフの結界で縁を固める。
ミィは導紗の内側を無音で走り、さらに加速する。
「薬!」
リィナの白光が薄く長く隊列にかかり、疲労を回復する。
——静かだ。
砂は、鳴かない。
「ご主人、明日、行けるね」
「ああ。カラの直線が通った。音も呼吸も、揃ってる」
「師匠、今日の総括!」
「誰が師匠だ。……“受けない。流す。必要なら、返す”。そして——揃える。糸と風で」
「はーい! 雷! かわす! 薬! 糸! 号! あと、ごは……」
「最後は帰ってからだ」
日が沈み、鳴砂盆の表面が薄く冷えた。
足跡の列は一本の線になって、まっすぐ街へ向かっている。
十一階へ続く“音の道”は、もう半分できあがっていた。




