第27話「評価の風」
十階《鏡紋回廊》を制して三日。
塔の上よりも、街の風の方がやさしい朝だった。
炉の煙は薄く、屋根の風見が小さく鳴る。
◇
空塔監視局。
受付の奥から、局長マーロが出てきた。
短く刈った髪、風紋の外套。
帳簿を閉じ、こちらをひとわたり見てから頷く。
「十階・制覇、記録を確認した。……おめでとう」
「ありがとうございます」
「だが、風路は先へ続く。十一階で“偶然ではない”と、もう一度証明してみせろ」
「はい」
その背後で、囁きが散った。
「盾のパーティ? 運が良かっただけだろ」
「鏡の王なんて、ごり押しで勝てる相手さ」
「狐火と黒雷で派手にしただけでしょ」
カラの翼が、ばさ、と震えた。
口が“黒雷”と言いそうになる。
「撃つな。いまは要らない」
モフがそっと扇でカラの口を押さえる。
尾が、ゆっくり一度だけ揺れた。
鏡の中と同じだ。
ここでも、受けて、流せばいい。
「ご主人、ね、匂いは半分“好意”。半分は“疑い”」
ミィの耳が、きゅっと伏せられる。
「ああ。どっちも風のようなものだ。気にする必要はない」
◇
商人ギルド《リーネ商会》の横口を出たところで、太い声が飛んだ。
「おい、盾持ち!」
振り向くと、蜂蜜問屋の親父だ。
腹も声も丸い男が、腕組みで笑った。
「お前さんの“風燈祭の対処”、あれは大したもんだ。ウチの臨時配線、危うく丸焼けだった。礼だ、旅用の蜂蜜パックを持ってけ」
「助かります」
「で——」親父は声を落とす。
「“盾は攻撃力が下がって駄目だ”って言う古い連中もまだ多い。だがな、盾の良さに気付き始めた商人も増えてきたんだ」
カラが胸を張る。
「でしょでしょ! 師匠だし——」
「師匠ではないぞ」
笑いながら礼を言って別れる。
その直後、路地の反対側から、若い声。
「護衛を頼むなら、もっと“戦える”連中にしたら? 盾なんて冴えないぜ」
振り返らず、蜂蜜パックを鞄にしまう。
受けて、流す。
風の向きを変えるほどの価値はない言葉だ。
◇
鍛冶屋《グラム工房》。
いつもの熱気である。
グラムがこちらを見るなり顎をしゃくった。
「おう、盾持ち。……指輪(《雷返》)の扱いは掴んだか?」
「反射の“返す猶予”が伸びたぶん、面の返しを焦らなくて済む。助かってる」
「よし。——で、今日は見学がいる」
店の奥に、小柄な冒険者見習いが三人。片手剣、短槍、そして小盾の少年。少年がこちらを真っ直ぐ見てくる。
「ほんとに盾でボスを倒せるんですか」
「盾で“倒す”んじゃない。流れを作り、隙を作って、仲間が倒すんだ」
グラムが木箱を三つ出した。
「通路が狭い時の荷運びを想定する。——おい、まこと。“ベルトコンベヤー”やってやれ」
俺は盾面を十五度だけ寝かせ、床に地を撫でるような風の流れを一本作る。
モフがその縁に結界を薄く沿わせる。
ミィが木箱をふわりと置くと、荷は“細い道”を勝手に滑っていく。
少年の目が丸くなった。「……動いた」
「“受け止める盾”じゃない。“逃がす盾”だ。受けない、流す。必要なら返す。——覚えれば、荷も人も助かる」
見習いの一人が、鼻で笑う。
「けど、攻めはどうすんだよ」
「攻める時は“返す”。たとえば——」
ちょうど、外で荷車の怒号。
通りの先で、坂を下る荷車が暴走してくる。積み荷の木箱ががたがた鳴り、手綱は切れていた。
「ご主人!」
「行く」
通りへ飛び出す。
俺は盾面を“深く→浅く”へ連続で切り替え、荷車の鼻先を滑らせる。
反射(返し)で、進路を人の少ない側へ。
モフが結界固定で路面に段差を作る。
荷車は段差との摩擦で速度を殺し、ぎりぎりで止まった。
見習い三人の口が開いたまま閉じない。
「攻めは、こうやって“危機に勝つ”ことでもいい」
店に戻ると、グラムが鼻で笑った。
「ほらな。盾は“攻め”だ。ま、疑う奴もいるだろうがな」
店先で、さっきの少年が頭を下げた。「……ごめんなさい。そして、ありがとう」
「謝ることはない。見て、考えればいい」
◇
昼下がり、白樹堂へ寄る。シラが露珠の座の縫い付け具合をチェックし、リィナの袖口を軽く撫でた。
「呼吸、乱れてない。いい子」
「ありがとうございます。街では、治せるだけ治します」
外に出ると、空塔監視局の旗の下で、討伐証明の掲示が貼り替えられていた。
《紅槍隊》の九階、そして俺たちの十階。二枚の札が並ぶ。
人だかりの中から、レオンの声がした。
「やるな」
振り向けば、紅槍隊の四人。
エリアは腕を組んで微笑み、プリムは軽く会釈。
ドロスはいつも通り、肩で息をしている。
「お互い、次だな」
「ああ」
そこへ、別の冒険者の声が飛ぶ。
「槍だから行けた階だろ!盾なんて、塔の上じゃ邪魔だ!」
エリアが片眉を上げる。
「じゃあ、あなたは十階をいつ抜けるの?」
男は鼻白んで口を噤んだ。
レオンが肩を竦め、俺の肩を軽く小突く。
「風は、勝手に吹く。やることをやるだけだ」
「同感だ」
互いに頷いて別れる。
ミィが小さく囁く。
「ご主人、レオン、好き」
「分かる」
◇
夕刻、冒険者ギルドの広間。
酒と汗と油の匂い。
掲示板の前で、蜂蜜問屋が、若い荷運びに俺たちの話をしているのが見えた。
言葉の端に「道を作った」「返す」といった語が混じる。
そのすぐ脇、逆の言葉もある。
「盾で困るのは“火力不足”よ。ボスは押し切らなきゃ」
「ポーション使えばいいだろ。守ってる間に飲めば済む」
ミィが小声で呟く。
「わかるけど、ちょっと違うよ。飲まないで済むんだよ」
「俺たちはこれからもそうすればいい」
その時、二階の床板がミシ、と鳴った。
床板がたわみ、吊り照明の鎖が外れてしまった。
「上!」
俺は《返光の座金》を貼った盾面を上げ、反射で落ちてきた鎖を“柱の根元”へ逃がす。
ミィが跳び、鎖の残りを短刃で巻き取る。
カラは羽ばたき、周りの客の頭上を守った。
ミィが鎖を巻き取ったおかげで、落ちてきた照明は柱の根元で止まった。
ざわめきが一瞬止み、次の瞬間で、大きな安堵の吐息が聞こえた。
「……助かったよ」
ギルドの大工頭が汗を拭い、深々と頭を下げる。
さっき「火力不足」と言っていた冒険者の一人が、口の端を引きつらせた。
「……まあ、街では……助かる、な」
言い方は尖っている。
けれど、さっきより棘が少ない。
リィナが小さく微笑んだ。
ミィは尻尾をふるり。
「ご主人、少し、風が変わってる」
「ああ。全部はいらない。半分でも、十分だ」
◇
夜。串と蜜。
湯気の向こうに蜂蜜の香り。
今日は全員、よく食べる。
カラは言わずもがな、どんぶりで。
「師匠! 今日、撃ってない! 偉い?」
「偉い。……師匠じゃないがな」
「まこと、今日の“結界固定”、良かった?」
「床に段差を作るアイデアはさすがだ」
モフが尾をふわりとさせる。
リィナが白い袖口をつまみ、静かに言う。
「街でも、誰かの怪我を“回復”して感謝されるのは気持ちがいいです」
「うん。ミィも、音を出さずに走るの、街でも役立つ」
俺は短く頷いた。
十階を越えた。
盾を“認める”目も、出てきた。
けれど、まだ半分だ。
その半分の向こうへ、続けてゆく。
「明日は、十一階の準備。気象寺で記録を、オルファで綱の点検、グラムで面の打ち合わせ。……レオンたちも行くだろう」
「競争だね、ご主人」
ミィの目が少し楽しそうに細くなる。
「競争でも、並走でも、いい。——俺たちは、俺たちの風で行く」
カラが、頬に米粒をつけたまま、力いっぱい頷く。
「受けない! 流す! 返す! それから——」
「繋ぐ、だ」
モフが扇でそっと米粒を取ってやる。
笑い声が、ゆっくり店に溶ける。
◇
店を出ると、夜風が頬を撫でた。
塔は相変わらず黒く、空はいつもより星が多い。
遠く、空塔監視局の旗がかすかに鳴った。
半分は追い風、半分は向かい風。
ちょうどいい。
俺は《風読笛》を短く一度。
集合の短音が、屋根の上でやわらかく反響して返ってくる。
受けない。流す。必要なら、返す。
そして、繋ぐ。——そのやり方で、評判も、明日への道も、少しずつ前へ押していく。




