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第27話「評価の風」


 十階《鏡紋回廊》を制して三日。

 塔の上よりも、街の風の方がやさしい朝だった。

 炉の煙は薄く、屋根の風見が小さく鳴る。



 空塔監視局。

 受付の奥から、局長マーロが出てきた。

 短く刈った髪、風紋の外套。

 帳簿を閉じ、こちらをひとわたり見てから頷く。


「十階・制覇、記録を確認した。……おめでとう」


「ありがとうございます」


「だが、風路は先へ続く。十一階で“偶然ではない”と、もう一度証明してみせろ」


「はい」


 その背後で、囁きが散った。


「盾のパーティ? 運が良かっただけだろ」

「鏡の王なんて、ごり押しで勝てる相手さ」

「狐火と黒雷で派手にしただけでしょ」


 カラの翼が、ばさ、と震えた。

 口が“黒雷”と言いそうになる。


「撃つな。いまは要らない」


 モフがそっと扇でカラの口を押さえる。

 尾が、ゆっくり一度だけ揺れた。

 鏡の中と同じだ。

 ここでも、受けて、流せばいい。


「ご主人、ね、匂いは半分“好意”。半分は“疑い”」

 ミィの耳が、きゅっと伏せられる。


「ああ。どっちも風のようなものだ。気にする必要はない」



 商人ギルド《リーネ商会》の横口を出たところで、太い声が飛んだ。


「おい、盾持ち!」


 振り向くと、蜂蜜問屋の親父だ。

 腹も声も丸い男が、腕組みで笑った。


「お前さんの“風燈祭の対処”、あれは大したもんだ。ウチの臨時配線、危うく丸焼けだった。礼だ、旅用の蜂蜜パックを持ってけ」


「助かります」


「で——」親父は声を落とす。

「“盾は攻撃力が下がって駄目だ”って言う古い連中もまだ多い。だがな、盾の良さに気付き始めた商人も増えてきたんだ」


 カラが胸を張る。

「でしょでしょ! 師匠だし——」


「師匠ではないぞ」


 笑いながら礼を言って別れる。

 その直後、路地の反対側から、若い声。


「護衛を頼むなら、もっと“戦える”連中にしたら? 盾なんて冴えないぜ」


 振り返らず、蜂蜜パックを鞄にしまう。

 受けて、流す。

 風の向きを変えるほどの価値はない言葉だ。



 鍛冶屋《グラム工房》。

 いつもの熱気である。

 グラムがこちらを見るなり顎をしゃくった。


「おう、盾持ち。……指輪(《雷返》)の扱いは掴んだか?」


「反射の“返す猶予”が伸びたぶん、面の返しを焦らなくて済む。助かってる」


「よし。——で、今日は見学がいる」


 店の奥に、小柄な冒険者見習いが三人。片手剣、短槍、そして小盾の少年。少年がこちらを真っ直ぐ見てくる。


「ほんとに盾でボスを倒せるんですか」


「盾で“倒す”んじゃない。流れを作り、隙を作って、仲間が倒すんだ」


 グラムが木箱を三つ出した。

「通路が狭い時の荷運びを想定する。——おい、まこと。“ベルトコンベヤー”やってやれ」


 俺は盾面を十五度だけ寝かせ、床に地を撫でるような風の流れを一本作る。

 モフがその縁に結界を薄く沿わせる。

 ミィが木箱をふわりと置くと、荷は“細い道”を勝手に滑っていく。


 少年の目が丸くなった。「……動いた」


「“受け止める盾”じゃない。“逃がす盾”だ。受けない、流す。必要なら返す。——覚えれば、荷も人も助かる」


 見習いの一人が、鼻で笑う。

「けど、攻めはどうすんだよ」


「攻める時は“返す”。たとえば——」


 ちょうど、外で荷車の怒号。

 通りの先で、坂を下る荷車が暴走してくる。積み荷の木箱ががたがた鳴り、手綱は切れていた。


「ご主人!」

「行く」


 通りへ飛び出す。

 俺は盾面を“深く→浅く”へ連続で切り替え、荷車の鼻先を滑らせる。

 反射(返し)で、進路を人の少ない側へ。

 モフが結界固定で路面に段差を作る。

 荷車は段差との摩擦で速度を殺し、ぎりぎりで止まった。


 見習い三人の口が開いたまま閉じない。


「攻めは、こうやって“危機に勝つ”ことでもいい」


 店に戻ると、グラムが鼻で笑った。

「ほらな。盾は“攻め”だ。ま、疑う奴もいるだろうがな」


 店先で、さっきの少年が頭を下げた。「……ごめんなさい。そして、ありがとう」


「謝ることはない。見て、考えればいい」



 昼下がり、白樹堂へ寄る。シラが露珠の座の縫い付け具合をチェックし、リィナの袖口を軽く撫でた。


「呼吸、乱れてない。いい子」


「ありがとうございます。街では、治せるだけ治します」


 外に出ると、空塔監視局の旗の下で、討伐証明の掲示が貼り替えられていた。

 《紅槍隊》の九階、そして俺たちの十階。二枚の札が並ぶ。


 人だかりの中から、レオンの声がした。


「やるな」


 振り向けば、紅槍隊の四人。

 エリアは腕を組んで微笑み、プリムは軽く会釈。

 ドロスはいつも通り、肩で息をしている。


「お互い、次だな」


「ああ」


 そこへ、別の冒険者の声が飛ぶ。


「槍だから行けた階だろ!盾なんて、塔の上じゃ邪魔だ!」


 エリアが片眉を上げる。

「じゃあ、あなたは十階をいつ抜けるの?」


 男は鼻白んで口を噤んだ。

 レオンが肩を竦め、俺の肩を軽く小突く。


「風は、勝手に吹く。やることをやるだけだ」


「同感だ」


 互いに頷いて別れる。


 ミィが小さく囁く。

「ご主人、レオン、好き」


「分かる」



 夕刻、冒険者ギルドの広間。

 酒と汗と油の匂い。

 掲示板の前で、蜂蜜問屋が、若い荷運びに俺たちの話をしているのが見えた。

 言葉の端に「道を作った」「返す」といった語が混じる。


 そのすぐ脇、逆の言葉もある。


「盾で困るのは“火力不足”よ。ボスは押し切らなきゃ」

「ポーション使えばいいだろ。守ってる間に飲めば済む」


 ミィが小声で呟く。

「わかるけど、ちょっと違うよ。飲まないで済むんだよ」


「俺たちはこれからもそうすればいい」


 その時、二階の床板がミシ、と鳴った。

 床板がたわみ、吊り照明の鎖が外れてしまった。


「上!」


 俺は《返光の座金》を貼った盾面を上げ、反射で落ちてきた鎖を“柱の根元”へ逃がす。

 ミィが跳び、鎖の残りを短刃で巻き取る。

 カラは羽ばたき、周りの客の頭上を守った。


 ミィが鎖を巻き取ったおかげで、落ちてきた照明は柱の根元で止まった。

 ざわめきが一瞬止み、次の瞬間で、大きな安堵の吐息が聞こえた。


「……助かったよ」

 ギルドの大工頭が汗を拭い、深々と頭を下げる。


 さっき「火力不足」と言っていた冒険者の一人が、口の端を引きつらせた。


「……まあ、街では……助かる、な」


 言い方は尖っている。

 けれど、さっきより棘が少ない。


 リィナが小さく微笑んだ。

 ミィは尻尾をふるり。


「ご主人、少し、風が変わってる」


「ああ。全部はいらない。半分でも、十分だ」



 夜。串と蜜。

 湯気の向こうに蜂蜜の香り。

 今日は全員、よく食べる。

 カラは言わずもがな、どんぶりで。


「師匠! 今日、撃ってない! 偉い?」


「偉い。……師匠じゃないがな」


「まこと、今日の“結界固定”、良かった?」

「床に段差を作るアイデアはさすがだ」

 モフが尾をふわりとさせる。


 リィナが白い袖口をつまみ、静かに言う。

「街でも、誰かの怪我を“回復”して感謝されるのは気持ちがいいです」


「うん。ミィも、音を出さずに走るの、街でも役立つ」


 俺は短く頷いた。

 十階を越えた。

 盾を“認める”目も、出てきた。

 けれど、まだ半分だ。

 その半分の向こうへ、続けてゆく。


「明日は、十一階の準備。気象寺で記録を、オルファで綱の点検、グラムで面の打ち合わせ。……レオンたちも行くだろう」


「競争だね、ご主人」

 ミィの目が少し楽しそうに細くなる。


「競争でも、並走でも、いい。——俺たちは、俺たちの風で行く」


 カラが、頬に米粒をつけたまま、力いっぱい頷く。


「受けない! 流す! 返す! それから——」


「繋ぐ、だ」

 モフが扇でそっと米粒を取ってやる。

 笑い声が、ゆっくり店に溶ける。



 店を出ると、夜風が頬を撫でた。

 塔は相変わらず黒く、空はいつもより星が多い。

 遠く、空塔監視局の旗がかすかに鳴った。


 半分は追い風、半分は向かい風。

 ちょうどいい。


 俺は《風読笛》を短く一度。

 集合の短音が、屋根の上でやわらかく反響して返ってくる。


 受けない。流す。必要なら、返す。

 そして、繋ぐ。——そのやり方で、評判も、明日への道も、少しずつ前へ押していく。

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