第26話「鏡王の間」
十階《鏡紋回廊》・中枢。
半開きの扉を押すと、ひやりとした空気が頬を撫でた。
円形の大広間。
床は磨かれた鏡板、壁には幾重もの鏡の柱。
正面に玉座、だが王冠は三つ、五つ、七つと“増えて見え”、目を惑わせる。
「ご主人……ここ、においがほとんど無い。風も、音も薄い」
ミィの耳がきゅっと伏せる。
「ここでは、静かにしすぎると道が閉じると聞いている。一定の音を流し続ける」
俺は円盾の反響板に触れ、床下に細い風の“通り”を一本通して、かすかな摩擦音を部屋に満たす。
「導く光も出すわ」
モフが扇を立てる。
指先から小さな灯が生まれ、《狐火・導紗》が俺の風路の縁へ沿うように重なった。
光の帯が道を浮かび上がらせる。
「回復は任せてください」
リィナの白袖で《白樹の露珠》が淡く光る。
「“雷・かわす・薬”!」
カラは《抑魔バンド》を指で弾き、こくりと頷いた。
「よし。——行くぞ」
俺は《風読笛》を短く一声。
集合の短音が、鏡の柱から柔らかく反響して戻ってくる。
◇
玉座の背後の鏡がすうっと曇り、のっぺりとした影が立ち上がる。
表面が波打ち、王冠と外套の輪郭が浮かんだ。
鏡冠王。
王は腕をひらく。
鏡面から白い線がいくつも弾け、光の刃が交差して走った。
床の鏡板を掠め、眩しさが目を焼く。
「光が来るよ!」
「反らす」
俺は受け面を浅→深と滑らかに切り替え、刃を側壁へ逃がした。
指には《雷返の輪》の冷たい重さ。
“返す猶予”が長く――二本目、三本目も掴める。
「右周り、導紗の内側を進め!」
「了解、ご主人」
ミィが《軽羽の爪革》の靴で踏面を走り、鏡板の継ぎ目に短刃を当てて一枚、また一枚と剥がす。
幻の通路がほどけ、本当の円路が現れた。
王は掌を返す。
床の影が揺れ、黒い穴が現れては消える。
「《標》を置くわ。危険な影に点で印!」
「助かる」
モフの《狐火・標》が危険な陰にだけぽん、ぽん、と灯る。
俺たちは《標》のない床を選んで前へ。
「合図《雷》、一度! 導紗の中!」
「はいっ! ——《黒雷》!」
黒い雷が細く走り、導紗の“ど真ん中”だけを焼いた。
王のマントの鏡片がぱらぱら落ちる。
カラの抑魔バンドはほんのり温い。
制御できている。
◇
王が玉座で一度、指を鳴らす。
……無音。
同時に、王冠が三体に分かれた。
“本体”と2体の“像”。
すべてが同じ匂いで、目でもミィの鼻でも区別がつかない。
「分身……においでも見分けられない」
俺は盾の縁で床を軽く突つき、一定の微音を下層へ送り続ける。
返ってくる音の“重さ”がわずかに違う。
この感覚は前世からの経験だ。
空洞の深さが本体だけ異なる――そこだ。
「3体の中央、重い音。あれが“本体”」
「《写》で囮を出す」
モフが扇を返し、偽の“俺”が導紗の隣を走った。
分身のひとつがそちらを向く。
狙いがズレた。
「ミィ、背面!」
「任せてご主人!」
ミィが偽の“俺”の影を囮に使い、鏡柱→梁→背へ。
短刃が鏡の外套を二度刻む。
王の外套が“開いた”。腹の奥に輝き――冠核が一瞬だけ露出した。
「見えました、冠核です!」
「まだだ、来る!」
床の落とし穴が反響に合わせて移動する。
王の掌が水平に、光刃を“なぎ払う”。
「反らす!」
俺は光刃を上へ返し、天窓の鏡に当て、玉座の上へ逃がす。
王の反応がわずかに遅れた。
その隙にモフが《結界固定》を斜めに打ち、王の右足を一瞬固定。
王はバランスを崩してミィから被弾した。
◇
王が掌を重ねる。
輝きが収束し、次の瞬間、四方八方の鏡板が吸い込むように光を飲んだ。
空間から音が失われ、“無音”が満ちる。
「……“閉じる”ぞ!」
廊の入口が、鏡が折りたたまれながら、ゆっくりと塞がっていく。
「継続音、強める!」
俺は盾面を二十度に寝かせ、床下の風路をもう一本増やした。
こすれる微音が重なり、無音を押し返す。
「導紗、追従!」
「ついていくわ!」
《風脈導糸》を組み込んだモフの扇が、俺の風路の動きにぴたりと追従して《導紗》を引き直す。
カラは翼を一度だけ“羽ばたき”、位置を保つ。
リィナは白光でチーム全体を一旦回復した。
閉じかけた道が“開き”、扉は再び半開きで止まった。
「……ふう。師匠、今の、ちょっと褒めて?」
「カラ、よく堪えた」
◇
「決めに行く一手を仕掛けるぞ」
俺は袋から銀板の破片を数枚取り出し、導紗の“内側”に仮固定した。
さらに《反照の札》を一枚、玉座の脇の鏡の柱に貼る。
「ご主人、何それ?」
「“鏡回路”だ。光も雷も、決められた道に誘導できる」
要は、俺の《反射》とカラの黒雷を、冠核の前に集めてまとめて攻撃する仕掛けだ。
鏡王は反射には強い。
ならば“こちらの反射”に黒雷を加えて王のタイミングをずらす。
「合図は三つ。“雷”を撃つ。“かわす”で暴風を避ける。“薬”は——」
「飲まない! 飲まずに勝つ!」
「飲んでもいいが、無理はするな」
王が掌を重ね、今度は影刃を束ねて放ってきた。地面から刃がのぞき、導紗の道を狙う。
「返す!」
俺は影刃の根本に受け面を差し入れ、刃ごと“元の主”の足へ返す。王の足元がよろめく。
「ミィ!」
「はい!」
ミィが鏡板の継ぎへ“楔”のように短刃を挟み、王の体勢を崩す。
「行け、カラ。“雷”! 導紗の真ん中!」
「はいっ! ——《黒雷》!」
黒い雷が導紗の道を走る。一枚目の銀板で角度が変わり、《反照の札》で像が裏返り、二枚目の銀板でさらに“折れる”。最後に俺の盾面《反射》で、冠核の正面へ――
白いひびが、ぱきんと入った。
「まだ割れてない!」
王が吠え、光刃と影刃を重ね、さらに暴風を巻き起こす。
鏡の柱が唸る。
「“かわす”!」
「はい!」
カラが翼を羽ばたき、暴風をかわす。
モフが《結界固定》を置き、滑りを抑える。
リィナの白光が膝と足首へ細く流れ、踏ん張りを支えた。
「もう一度、返す!」
俺は《雷返の輪》の感覚を指に馴染ませ、王の放った光刃の束を“掴んで”、冠核の上辺へ斜めに押し返す。
光と黒雷がクロスして、ひびが星のように広がった。
「ミィ! 今!」
「ご主人!」
ミィの二連突きが、その星の中心へ吸い込まれた。
金属のような硬さが一瞬、肉の柔らかさに変わる手応え――届いた。
王の外套が、ばさり、と重く崩れた。
◇
静寂。
鏡柱に残っていた光が一枚ずつ消え、床の反射が薄れてただの床へ戻っていく。
「……終わった、の?」
カラが翼をぱたぱたさせ、小声で訊ねる。
「ああ。勝った」
「やったーー! “雷・かわす・薬”、完璧! 薬、ゼロ! お腹、マックス!」
「最後は心の中で言え」
俺は苦笑し、盾をひとゆすりした。
手のひらのしびれは、すぐにリィナの白光が消してくれる。
玉座の前に宝箱と副祭壇がせり上がる。宝箱に淡い光が走った。
「開けるね、ご主人」
「ああ」
箱の中には三つ。
•《返光の座金》
盾の裏の反射板に重ねる座金。反射角の“保持”がしやすくなる。多段反射のとき、面のブレが出にくくなる。
•《影灯の珠》
モフの狐火用。移動体の表面に《標》を“貼り付ける”ことができる。敵や動く床の目印に使用可能。
•《蓮撃の刃》
ミィ用の軽量の短刃。一振りが二連撃となる。
さらに、仕組みの分かりにくい薄板が一枚。
「……《鏡路のプリズム》」
俺は手の上で角度を変える。指先で“風の通り”がしっかり感じられる。
感覚が上昇したようだ。
「カラは?」
「これ! 《導雷の羽飾り》! 黒雷の“曲がり”が安定するって!」
カラが頬ずりし、すぐに外して袋に丁寧にしまった。
「帰るまで付けない。撃たない。えらい?」
「偉い。でも曲がる雷って反則だわ」
モフが尾を一度だけ揺らす。
奥の壁が静かに開き、《塔の記録石》がせり上がる。職札をかざすと、〈十階・制覇〉の光字が浮かんだ。
◇
帰還の転移紋へ歩く途中、俺たちは一度だけ振り返った。
玉座の鏡に映る“増えた王冠”は、もう無かった。
ただ、こちらの姿が、いつもより真っ直ぐに映っていた。
「師匠、今日の復唱!」
「誰が師匠だ。……“受けない。流す。必要なら、返す”。そして——」
「見せて、惑わせ、示して進む!」
「そうだ」
転移の光が満ちる。
鏡の王は沈み、道は一本になった。
地上の風は、きっと今日いつもより澄んでいる。
次は十一階。鏡の理を越えた先で、また呼吸を合わせればいい。




