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第24話「狐火の導き──光で描く道」


 九階《天空回廊》を制して一夜。

 朝の街は澄んで、炉の煙まで薄く見えた。十階へ入る前に、今日は“休息と準備の日”だ。



 鍛冶屋《グラム工房》の扉を開けると、熱気が頬を叩いた。奥でグラムが槌を止め、顎で俺の盾を示す。


「戻ったな、盾持ち。それは《雷返らいへんの輪》か」


「ああ。」俺は指輪を軽く鳴らす。

 金属の響きが骨まで真っ直ぐ響いてくる。


「反射の“返し”までの猶予が伸びたぶん、盾の感覚が変わるはずだ。調整しとく」


 盾裏のリフレクトスパインを二カ所だけ打ち替えてくれた。

 グラムは斜め上から一打、下から一打。

 木刀で試し打ちを行う。

 返しの感覚が指に戻ってくる……確かに、感覚の戻りに遅れが無くなった。


「次、扇。モフ」


「お願い、まことの“風の流れ”に設置する結界を遅れないようにしたいの」

 モフは、細い銀糸の束を取り出した。


「それは《風脈導糸》だな。扇の骨に通しておく。風の流れが“動いた瞬間”だけ、結界が追従する面白い糸だ。取り付けるから試してみろ」


 取り付けは数分。モフが扇を開閉し、尾をひとふり。「……付いてくる。いいわ」


「ミィ、靴の“横滑り”で膝を傷めていたよな。グラムに見せて直してもらえ」


「はーい、ご主人」


 《軽羽の爪革》をミィの靴に縫い込み、間に革を一枚噛ませてサイズを調節する。ミィが台から降りて軽く跳ねた。

 ……着地音が消える。横に滑っても、膝が痛くない。


「グラム、助かる」

「使い倒せよ。壊れたらまた持ってこい」


 工房を出ると、カラが抑魔バンドをぺちぺち叩いていた。

「ねぇ、まこと! 今日、黒雷は?」


「街中は制御の練習だけだ。抑魔バンドは外すな。あれは魔力の立ち上がりをなだらかにして暴発を防ぐ輪だ。銅網が余剰魔力を逃がすから周囲の結界も乱れにくい。出し過ぎるとバンドが少し熱くなる。それが“撃ちすぎ”の合図だ。最大出力は落ちるが、訓練には丁度いい」


「了解! 熱くなったら“あちち”って言う!」


「言う前に止めろ」



 白樹堂の工房室で、シラがリィナの袖口を拡大鏡越しに見ていた。

「露珠の座、良い白銀しろがねを使ってるわね。……動かないで」


 糸は細く、針は音を立てずに縫い上げていく。白袖に《白樹の露珠》の座がぴたりと馴染む。


「心が焦ったら、この護符を指で一度撫でて呼吸を整えてから回復ね。光が途切れにくくなるわ」


「はい、ありがとうございます」


 外へ出ると、午前の風は乾いていた。

「次は?」とミィ。


「モフ、狐火の稽古だ。森では火を使えなかったが、前回も使ってないだろう」


「そうね。ずっと結界で合わせてきたから、狐火で皆んなと合わせる練習もしたいわ」



 裏町の奥に、小さな庵がある。《狐灯庵ことうあん》。

 出迎えたのは、灰色の耳を伏せた狐人の老練者・古灯ことう。目は細いが、み目に宿る光は強い。


「モフか。おまえの狐火は偏っておる。“見せる狐火”を覚えよ。熱は要らぬ。街でも森でも使える」


 古灯は扇を一度鳴らし、俺を見る。

「盾の男、風の“筋”を一本引け」


 庵の庭に、俺は盾面を十五度寝かせ、地面沿いに細い“流れ”をつくる。

 流れによって落ち葉が連なる道を作った。


「モフ。そこへ狐火の糸を重ねろ。《狐火・導紗》だ」


「……やってみる」


 モフの指先に小さな灯が生まれ、流れの縁をなぞる。熱はない。影は薄く、光だけの細い帯が、俺の風の道に重なっていく。


「おおお! 光の道!」カラが翼をばたばたさせる。

「静かに」モフが尾で鼻先をつつく。


 古灯は頷いた。

「それでよい。狐火は“灯り”にもなる。では次、《狐火・うつし》」


「写?」


「走る者の残像を三秒だけ残す。匂いも熱もない残像だ。追う者は惑わされるだろう。盾の“返し”と相性がよかろう」


「ご主人!」ミィが前屈みになる。

「走ってくる!」


 ミィが庭の端から端まで、無音で駆ける。

 モフが扇を返すと、遅れてもう一人の“薄いミィ”が走った。

「これは騙されますね」


「ふふ」

 古灯の口角がわずかに上がった。

「最後、《狐火・しるし》だ。音を立てず、点の光で“目印”を置く」


 庵の石畳の端が落ち口になっている。

 モフがそこへ小さな灯を一つ、ぽんと置く。

 光は瞬かず、ただ“示す”。

 ミィがその光を触ってみたら、するりと抜けた。


「これなら、落とし穴も音を出さずに示せるね!」

 ミィの尻尾が跳ねる。


「導紗・写・標。見せる/騙す/目印を打つ。三つの狐火を使えるようになれ」

 古灯は静かに目を伏せる。


「……黒雷ヘイムを見ることがあっても、近づくんじゃないぞ。光は遠くからでも見せられる」


 カラが元気よく手を挙げた。

「はいっ! 遠くから見せる! 近づかない! あと、お腹すいた!」


「最後はいらない」

 俺とモフとリィナが同時に言って、カラがへへ、と笑った。



 昼過ぎ、冒険者ギルドで軽い依頼を受けることにした。

「夜の空回廊で仮設灯かせつとうのテストです。突風と灯りの相関を取りたいんです」と受付のリサ。

 設営補助は昨日やった。今度はログ取りだ。


 黄昏。空の回廊に薄灯が並び始める。

 俺は短い区間に風の流れを作り、モフが《狐火・導紗》で光のレーンを重ねて設置した。

 ミィはレーン上を無音で走り、風と灯りのデータを記録していく。

 カラは抑魔バンドONで、羽ばたきだけ。

 リィナの白光は細く長く、呼吸の乱れを整える。


 稽古をしながら依頼料貰えるという一石二鳥である。


 風が一段強まり、灯が一瞬だけ暗む。

「今の“無音”、突風の前触れだわ」

 モフが扇の骨を鳴らす。

 風破砂の袋が細かく震えた。


 そのとき、藍の灯へ空鼠そらねずみの群れが集った。

 拳ほどの翼のある小動物だ。

「光が好きなの」

 リィナが短く告げる。

「人に噛みつく危険は低いけど、灯を壊すと思います」


「モフ、《写》で偽の灯りを作れ」

「了解。《狐火・写》」


 回廊の脇に、もう一本の灯の列が現れる。

 偽の灯りは本物より強い光を発しており、空鼠の群れは目標を偽灯へ切り替え、そちらへわっと流れた。


「ミィ、保安の網を」

「任せて、ご主人!」


 ミィが支柱へ走り、結わえられていた保安用のネットを解放。

 偽灯へ突っ込んだ群れが自分で網に入ってくれる。

 カラは撃たない。

 羽ばたきだけで今回は出番なしだ。


「掠り傷、回復します」

 リィナの白光が作業員の指先を撫で、血をすぐに止めた。

 空鼠はほどなく森の暗がりへ散った。


「良いデータ、取れました……! ありがとうございました!」

 リサが安堵の笑みで手帳を抱えた。



「カラ、黒雷は——」

「出してない! でもちょっと撃ちたい! ちょっとだけ!黒雷!」

 ……抑魔バンドがじんわり熱くなった。

「あちち!」

「そういう合図だ。そこで止める。よし、偉い」


「えへへ。半分我慢できた!」


「半分じゃない。今回は全部我慢だろ」



 夜、気象寺。

 廉風れんぷうが灯の最新データと風の記録を並べる。


「なるほど。無音→突風→灯の周期の乱れがはっきりした。……十階の噂も入ってきたよ」


「噂?」

 モフが目を細める。


「名は《鏡紋回廊》とも。《光の反射》で偽の道を作り、《影》の中に穴を隠す。足音の反響で罠の位置が変わるとも」


 モフの扇に仕込んだ《風脈導糸》が、微かに鳴った。

「私は狐火の光で影を照らして、偽の道を炙り出すわ。落とし穴には標で目印をつけるわ」


「私は回復を細く長くして、皆んなの体力を安定させます」


「ミィはモフの目印を見るね。《標》があれば、落とし穴も怖くない」


「私、導紗のレーンの中に黒雷を撃つ! 先生、見てて!」


「先生じゃないし、打つのは敵がいる時だけだぞ」


 廉風は笑って頷く。

「無音は前触れ。空でも地でも同じだ。音が消えたら止まり、見て、呼吸を揃えろ」



 帰り道、空回廊の出口で最後の確認をする。

 俺は風の流れを一本作る。

 モフが《狐火・導紗》を重ねる。

 光の道と風の道がぴたりと一致し、夜の道が細く浮かぶ。


「ご主人、これなら“偽の道”があっても、本物の道が見える」

 ミィが鼻先を上げ、足元の《標》をひとつ、点す。


 リィナが肩の力を抜きながら話す。

「でも、鏡の前では光が嘘をつくの。……気をつけて」


「うん! 嘘の光はカラが殴る!」

「殴るな。見るんだ」


 雲の切れ目が、遠く紫に瞬いた。稲光の余韻。

 カラの拳に力が入るが、モフが扇でそっと下げさせる。


「近づかない」

「……はい。遠くから見るだけ」


 俺は短く頷き、《風読笛》で集合の短音をひと吹きした。

「受けない。流す。必要なら、返す。——そして、光で繋ぐ」


 細い導紗が、風の溝の上で揺れた。

 十階《鏡紋回廊》へ向けて、道はもう見えている。

 あとは、呼吸を合わせて踏み出すだけだ。

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