第24話「狐火の導き──光で描く道」
九階《天空回廊》を制して一夜。
朝の街は澄んで、炉の煙まで薄く見えた。十階へ入る前に、今日は“休息と準備の日”だ。
◇
鍛冶屋《グラム工房》の扉を開けると、熱気が頬を叩いた。奥でグラムが槌を止め、顎で俺の盾を示す。
「戻ったな、盾持ち。それは《雷返の輪》か」
「ああ。」俺は指輪を軽く鳴らす。
金属の響きが骨まで真っ直ぐ響いてくる。
「反射の“返し”までの猶予が伸びたぶん、盾の感覚が変わるはずだ。調整しとく」
盾裏のリフレクトスパインを二カ所だけ打ち替えてくれた。
グラムは斜め上から一打、下から一打。
木刀で試し打ちを行う。
返しの感覚が指に戻ってくる……確かに、感覚の戻りに遅れが無くなった。
「次、扇。モフ」
「お願い、まことの“風の流れ”に設置する結界を遅れないようにしたいの」
モフは、細い銀糸の束を取り出した。
「それは《風脈導糸》だな。扇の骨に通しておく。風の流れが“動いた瞬間”だけ、結界が追従する面白い糸だ。取り付けるから試してみろ」
取り付けは数分。モフが扇を開閉し、尾をひとふり。「……付いてくる。いいわ」
「ミィ、靴の“横滑り”で膝を傷めていたよな。グラムに見せて直してもらえ」
「はーい、ご主人」
《軽羽の爪革》をミィの靴に縫い込み、間に革を一枚噛ませてサイズを調節する。ミィが台から降りて軽く跳ねた。
……着地音が消える。横に滑っても、膝が痛くない。
「グラム、助かる」
「使い倒せよ。壊れたらまた持ってこい」
工房を出ると、カラが抑魔バンドをぺちぺち叩いていた。
「ねぇ、まこと! 今日、黒雷は?」
「街中は制御の練習だけだ。抑魔バンドは外すな。あれは魔力の立ち上がりをなだらかにして暴発を防ぐ輪だ。銅網が余剰魔力を逃がすから周囲の結界も乱れにくい。出し過ぎるとバンドが少し熱くなる。それが“撃ちすぎ”の合図だ。最大出力は落ちるが、訓練には丁度いい」
「了解! 熱くなったら“あちち”って言う!」
「言う前に止めろ」
◇
白樹堂の工房室で、シラがリィナの袖口を拡大鏡越しに見ていた。
「露珠の座、良い白銀を使ってるわね。……動かないで」
糸は細く、針は音を立てずに縫い上げていく。白袖に《白樹の露珠》の座がぴたりと馴染む。
「心が焦ったら、この護符を指で一度撫でて呼吸を整えてから回復ね。光が途切れにくくなるわ」
「はい、ありがとうございます」
外へ出ると、午前の風は乾いていた。
「次は?」とミィ。
「モフ、狐火の稽古だ。森では火を使えなかったが、前回も使ってないだろう」
「そうね。ずっと結界で合わせてきたから、狐火で皆んなと合わせる練習もしたいわ」
◇
裏町の奥に、小さな庵がある。《狐灯庵》。
出迎えたのは、灰色の耳を伏せた狐人の老練者・古灯。目は細いが、み目に宿る光は強い。
「モフか。おまえの狐火は偏っておる。“見せる狐火”を覚えよ。熱は要らぬ。街でも森でも使える」
古灯は扇を一度鳴らし、俺を見る。
「盾の男、風の“筋”を一本引け」
庵の庭に、俺は盾面を十五度寝かせ、地面沿いに細い“流れ”をつくる。
流れによって落ち葉が連なる道を作った。
「モフ。そこへ狐火の糸を重ねろ。《狐火・導紗》だ」
「……やってみる」
モフの指先に小さな灯が生まれ、流れの縁をなぞる。熱はない。影は薄く、光だけの細い帯が、俺の風の道に重なっていく。
「おおお! 光の道!」カラが翼をばたばたさせる。
「静かに」モフが尾で鼻先をつつく。
古灯は頷いた。
「それでよい。狐火は“灯り”にもなる。では次、《狐火・写》」
「写?」
「走る者の残像を三秒だけ残す。匂いも熱もない残像だ。追う者は惑わされるだろう。盾の“返し”と相性がよかろう」
「ご主人!」ミィが前屈みになる。
「走ってくる!」
ミィが庭の端から端まで、無音で駆ける。
モフが扇を返すと、遅れてもう一人の“薄いミィ”が走った。
「これは騙されますね」
「ふふ」
古灯の口角がわずかに上がった。
「最後、《狐火・標》だ。音を立てず、点の光で“目印”を置く」
庵の石畳の端が落ち口になっている。
モフがそこへ小さな灯を一つ、ぽんと置く。
光は瞬かず、ただ“示す”。
ミィがその光を触ってみたら、するりと抜けた。
「これなら、落とし穴も音を出さずに示せるね!」
ミィの尻尾が跳ねる。
「導紗・写・標。見せる/騙す/目印を打つ。三つの狐火を使えるようになれ」
古灯は静かに目を伏せる。
「……黒雷を見ることがあっても、近づくんじゃないぞ。光は遠くからでも見せられる」
カラが元気よく手を挙げた。
「はいっ! 遠くから見せる! 近づかない! あと、お腹すいた!」
「最後はいらない」
俺とモフとリィナが同時に言って、カラがへへ、と笑った。
◇
昼過ぎ、冒険者ギルドで軽い依頼を受けることにした。
「夜の空回廊で仮設灯のテストです。突風と灯りの相関を取りたいんです」と受付のリサ。
設営補助は昨日やった。今度はログ取りだ。
黄昏。空の回廊に薄灯が並び始める。
俺は短い区間に風の流れを作り、モフが《狐火・導紗》で光のレーンを重ねて設置した。
ミィはレーン上を無音で走り、風と灯りのデータを記録していく。
カラは抑魔バンドONで、羽ばたきだけ。
リィナの白光は細く長く、呼吸の乱れを整える。
稽古をしながら依頼料貰えるという一石二鳥である。
風が一段強まり、灯が一瞬だけ暗む。
「今の“無音”、突風の前触れだわ」
モフが扇の骨を鳴らす。
風破砂の袋が細かく震えた。
そのとき、藍の灯へ空鼠の群れが集った。
拳ほどの翼のある小動物だ。
「光が好きなの」
リィナが短く告げる。
「人に噛みつく危険は低いけど、灯を壊すと思います」
「モフ、《写》で偽の灯りを作れ」
「了解。《狐火・写》」
回廊の脇に、もう一本の灯の列が現れる。
偽の灯りは本物より強い光を発しており、空鼠の群れは目標を偽灯へ切り替え、そちらへわっと流れた。
「ミィ、保安の網を」
「任せて、ご主人!」
ミィが支柱へ走り、結わえられていた保安用のネットを解放。
偽灯へ突っ込んだ群れが自分で網に入ってくれる。
カラは撃たない。
羽ばたきだけで今回は出番なしだ。
「掠り傷、回復します」
リィナの白光が作業員の指先を撫で、血をすぐに止めた。
空鼠はほどなく森の暗がりへ散った。
「良いデータ、取れました……! ありがとうございました!」
リサが安堵の笑みで手帳を抱えた。
◇
「カラ、黒雷は——」
「出してない! でもちょっと撃ちたい! ちょっとだけ!黒雷!」
……抑魔バンドがじんわり熱くなった。
「あちち!」
「そういう合図だ。そこで止める。よし、偉い」
「えへへ。半分我慢できた!」
「半分じゃない。今回は全部我慢だろ」
◇
夜、気象寺。
廉風が灯の最新データと風の記録を並べる。
「なるほど。無音→突風→灯の周期の乱れがはっきりした。……十階の噂も入ってきたよ」
「噂?」
モフが目を細める。
「名は《鏡紋回廊》とも。《光の反射》で偽の道を作り、《影》の中に穴を隠す。足音の反響で罠の位置が変わるとも」
モフの扇に仕込んだ《風脈導糸》が、微かに鳴った。
「私は狐火の光で影を照らして、偽の道を炙り出すわ。落とし穴には標で目印をつけるわ」
「私は回復を細く長くして、皆んなの体力を安定させます」
「ミィはモフの目印を見るね。《標》があれば、落とし穴も怖くない」
「私、導紗のレーンの中に黒雷を撃つ! 先生、見てて!」
「先生じゃないし、打つのは敵がいる時だけだぞ」
廉風は笑って頷く。
「無音は前触れ。空でも地でも同じだ。音が消えたら止まり、見て、呼吸を揃えろ」
◇
帰り道、空回廊の出口で最後の確認をする。
俺は風の流れを一本作る。
モフが《狐火・導紗》を重ねる。
光の道と風の道がぴたりと一致し、夜の道が細く浮かぶ。
「ご主人、これなら“偽の道”があっても、本物の道が見える」
ミィが鼻先を上げ、足元の《標》をひとつ、点す。
リィナが肩の力を抜きながら話す。
「でも、鏡の前では光が嘘をつくの。……気をつけて」
「うん! 嘘の光はカラが殴る!」
「殴るな。見るんだ」
雲の切れ目が、遠く紫に瞬いた。稲光の余韻。
カラの拳に力が入るが、モフが扇でそっと下げさせる。
「近づかない」
「……はい。遠くから見るだけ」
俺は短く頷き、《風読笛》で集合の短音をひと吹きした。
「受けない。流す。必要なら、返す。——そして、光で繋ぐ」
細い導紗が、風の溝の上で揺れた。
十階《鏡紋回廊》へ向けて、道はもう見えている。
あとは、呼吸を合わせて踏み出すだけだ。




