第23話「天空回廊・風路を描く盾」
夜明けの塔前は、白と藍の境目だった。
九階《天空回廊》の入口は雲の上、空そのものが舞台になる。
「ご主人、紐ぜんぶ結べたよ」
ミィがハーネスの留め具を指差す。
踵には《フォールミュート・パッド》、靴紐は《葉走りの紐》に替えてある。
「結界は初動スピードが最短になるように調整済みよ。……まこと、風音が“消えたら”止まるのよ」
モフは扇に《静域の札》を仕込み直し、尾を一度だけ揺らす。
「回復は任せてください」
リィナの白袖には《白樹の露珠》が淡く光った。
「雷!かわす!薬! 覚えた! ——えへへ、今日はバンド付けてるから“バチバチ”出ないよ」
カラが《抑魔バンド》をぽん、と叩く。銅網の輪が朝の光で鈍く輝いた。
「ああ、その三つだけ守ればいい。出るぞ」
俺は《風読笛》を短く一声。
集合の短音が空に吸われ、全員が並ぶ。
風破砂の袋を握る指先に、かすかな振動を感じた。
九階の扉が開く。足元には細い橋、左右は空の海。大気は薄く、陽は痛いほど白い。
◇
風が鳴り、次の瞬間——音が消えた。
俺はすぐ長音を一吹きし、停止の合図を出す。
同時に《風脈のコア》に触れ、盾面を十五度寝かせる。
地面沿いに一本、側壁沿いに一本、Y字の「風の流れ」を引いた。
「流れの縁に置くわ——《結界固定》」
モフが結界を風の流れに沿わせる。
空の上に、目に見えない“溝”ができた。
「ご主人の道、匂いが軽い。ここ、行けるよ」
ミィが無音で先行。フォールミュート・パッドが乾いた板の振動を飲み込む。
「カラ、羽ばたきは“撫でる程度”でいい。バチバチは撃たない。浮力の補助をするんだ」
「はいっ、“かわす”! ——あ、今の“かわす”で合ってる?」
「合ってる。いい子だ」
「えへへ!」
リィナの光が薄く隊列にかかる。酸素の薄さで乱れる呼吸を、白い糸が整えてくれた。
風破砂の震えが収まる。音が戻る。橋を渡り終える前に板が一枚、ふわりと消えた。
「前、板が抜ける」
モフがすぐに結界で色付きの足場を設置。
ミィがさらに結界の足場を使って安全綱を板が無くなった場所に架ける。
俺→モフ→リィナ→カラの順に安全に渡る。
「ミィ上手すぎ。忍者?」とモフ。
「女の子なんだから、クノイチって呼んで!」
「はいっ、クノイチーー!」
渡り切った先に、小さな記録石が立ち上がる。
職札をかざすと〈九階・前半 記録済〉の光字。
ここまでは予定通りだ。
◇
甘い匂いに、わずかなオゾン臭。
前方の裂け目が黒く蠢き、黄色と黒の影が群れて飛び出す。
体長二十センチを超える大型蜂——天空蜂が現れた。
「スウォーム、数多い!」
「俺たちの匂いを惑わす」
盾の受け面の角度を切り替え、匂いの流れを左右へ分けた。
蜂たちは左右のどちらに俺たちがいるのか判断できず、見失ったようだ。
「蜂たちをまとめるわ——《結界固定》」
モフの結界で蜂の群れたちが一カ所に集められた。
「合図“雷”——撃っていい!?」
「モフの結界の“中だけ”。出力は半分」
「はいっ! ——《黒雷》」
カラの掌から走る黒雷が、まっすぐ細く、モフの結界の中まで伸びた。
八割以上のスウォームが感電し墜落した。
しかし、上手く攻撃をかわした一匹の針がこちらに向かってくる——
「反射」
盾の縁で針を来た方向へ返す。
スウォーム自身が針によって弾かれ、空に消えた。
「回復します!」
リィナの白光が傷口に降り注ぎ、跡形を塞ぐ。
「ミィ、残りお願い」
「任せて!」
ミィの影が走り、最後の二匹も絶命した。
空が静かになり、風だけが戻る。
「やった! “雷”、まっすぐに進んだよ!」
「抑魔バンドが利いてる。いい制御だ」
「えへへ、バンド偉い!」
◇
風の唸りが低くなってきた。
葉が螺旋状に舞い始め、空気の圧が変わった。
「無音——来るわ」
モフの耳がぴくりと動く。
「全員、伏せ。橋の外縁から離れろ」
地から天へ、白い壁のような巨大竜巻が立ち上がる。
20mはあるかと思われる竜巻である。
しかし、無音に反応して瞬時に伏せることで俺たちは巻き上げられずに済んだ。
耐えること数分。
竜巻の渦が細って消え、空の道が再び現れた。
◇
樹冠の最上部。絡み合う根が円形に床を作り、中央に一本の巨柱が立つ。その陰に、それはいた。
階層守護者《天翔の魔鷲》。
雷晶の粉を帯びた羽根、鋼のような翼、背中に脈打つ立派な翼。眼は金色をしていて、こちらを射抜くように睨んでいた。
「合図覚えているか。雷、かわす、薬。……カラ、バンドは?」
「外したい!」
「いいぞ、外せ。条件は合図を守ること」
「守る!先生!」
「先生じゃない」
カラが《抑魔バンド》の留め具を外す。
準備は整った。
「行くぞ。まずレの字の風路を引く」
盾面を三十度。
風の流れがレの字を描き、正面からの風を全て側壁へと誘導する。
側壁には雷晶の地層があり、そこに魔鷲の雷を逃がせば安全地帯になる。
「旋回を歪ませる——《結界固定》」
モフが魔鷲の旋回軌道上に結界を固定する。旋回半径が歪み、狙いがわずかに外れる。
「ミィ、関節を」
「右の翼、ここ!」
ミィの短刃が右翼の関節の継ぎ目を二度刻んだ。
魔鷲が翼を振るい、横薙ぎによる風の障壁と雷の散弾が同時に飛んで来た。
「反射する」
俺は風の障壁を上へ、雷を側壁の雷晶部へ、送り返す。青白い火花が壁沿いに走り、足元の風は静まった。
「合図“雷”!」
「了解! ——《黒雷》!」
カラの黒雷がV字の谷底を走り、装甲の継ぎ目を焼く。羽根の片側がたわむ。魔鷲が一度、空を裂く声で鳴いた。
「来るわ、急降下の前触れ——無音」
モフが目を細める。
風が止まる。次の瞬間、天から矢のような落下。
「着地予測点を結界偽装するわ——《結界固定》」
モフが“偽床”を作る。魔鷲は足を踏み外し、翼が床に擦れた。
「胸核、見えた! 中心の少し下!」
ミィが走りながら叫ぶ。
「反射する」
俺は盾面を合わせる。雷が来て、掴み、押し返す。跳ね返した雷は核の正面へ。
「合図“雷”!」
「了解! ——真っ直ぐ!」
黒雷が風の谷底を貫き、俺の返した雷と重なって核面を叩いた。白いひびが一気に走る。
「今!」
ミィが跳び、裂け目に短刃をひと押し。
「回復、衝撃緩和!」
リィナの白光が衝撃を吸い、ミィを守った。
魔鷲が咆哮し、背中の風袋をすべて開放——暴風が起こる。
「かわす!」
カラが一度だけ羽ばたき、暴風の刃をやり過ごす。次の黒雷は撃たない。我慢できた。偉い。ちょっと右手に傷ができてる?痛い。
「薬!」
「回復します」
リィナがすぐにカラの腕に回復の光を送ると傷はすぐに無くなった。
薬と叫びながらポーションを飲もうと思っていたカラは、無くなった傷跡を目をまん丸にして見つめながら飲むのをやめた。
「仕上げる」
俺はもう一度《反射》で雷を核へ誘導し、モフが旋回を歪ませ、ミィが小刃を芯へ届かせる。
核が割れ、白い光が霧のように散った。魔鷲の巨体は風を吐くように崩れ落ち、羽が雪のように舞った。
◇
静寂。風の橋に、俺たちの呼吸だけが残る。
「……できた! “雷、かわす、薬”守った! 薬は……飲んでない!」
カラが胸を張る。
「大正解。今日はポーション、ゼロでいけた」
リィナが微笑む。
「先生、ほめて!」
「先生じゃない。——でも、よくやった」
宝箱と記録石が現れる。職札をかざせば〈九階・制覇〉の光字が浮かんだ。
箱の中には、四つの品と素材がいくつか。
「指輪、《雷返の輪》」
俺は指に嵌める。雷を返す“猶予”が広がった感覚。
「細糸。《風脈導糸》、結界が風路に短時間追従するわ」
モフが嬉しそうに尾を揺らす。
「これ、羽根の綾飾り!《空翔の綾羽》! 真っ直ぐの魔法、ぶれにくくなるって!」
カラが頬ずりしながら掲げる。
「薄革の爪先、《軽羽の爪革》。横移動の着地の衝撃がもっと減るみたいよ」
ミィが靴に当て、軽く跳ねてみせた。音はやはり、出ない。
雷晶羽、空核片、風晶砂も袋へ入れる。使い道はいくらでもある。
遠く、空に薄い切り裂き風の痕が一本伸びている。紅槍隊の通った道だろう。派手さで切り抜ける彼ら。風路を作って繋いだ俺たち。方法は違えど、辿り着く光は同じだ。
「帰ろう」
俺は風読笛で短音を吹き、隊をまとめる。
「先生! 今日の復唱!」
「誰が先生だ……まあいい。“受けない。流す。必要なら、返す。そして、繋ぐ”」
「はいっ! 雷! かわす! 薬! そして——」
「ごはん、は帰ってから」
「はーい!」
転移の光が足元に満ちる。風はやさしく、雲はほどけていく。十階前の補給層へ、俺たちは降りた。
盾で風路を描き、結界で縁を支え、刃で芯を突き、光で呼吸を繋ぎ、雷で線を引く。
空でも地でも、やることは同じだ。
明日は地に足をつけて、次の準備をしよう。
空は高く、けれど今は、手の届く高さに見えた。




