第20話「風の翼と街の鍛冶音」
白樹堂の窓から差す朝の光は、薬草と綿布の匂いを柔らかく照らしていた。
治療台に寝かされた鳥人の少女は、包帯の下の黒い翼がまだ焦げの色を残している。
リィナが白枝杖ルーメンを胸元で軽く回し、回復の光を糸のように流し込む。
モフは羽根の付け根に手を添えて見守っている。
「脈、落ち着いた。——まこと」
「ああ、わかった」
俺が声を合わせた瞬間、少女の瞼がぱちりと開いた。
「——あ、私死んだ? わーっ、生きてる!? って、誰!? ここどこ!?」
「静かに」
モフが扇で口元を隠しつつ、目だけで睨む。
「ここは白樹堂。治療院よ。あなた、八階で落ちてきたの。動くと縫い目が開くわ」
少女は上体を起こそうとして、翼をぱたぱたさせ——包帯の中で「ギュッ」と軋んで顔をしかめた。
「いっててて! ……あ、でも羽のツヤ良くなってない? すっごく高級なんじゃ?」
「私の《白樹の露珠》の効果です。動いちゃダメです」
リィナがくすりと笑う。
見開いた金の瞳が、今度は俺に向く。
「助けてくれたの、あんた?」
「偶然だ。風の流れを作って、落ちる角度をちょっとずらしただけだ」
「それを助けたって言うんだよ! 私はカラ! 黒翼の風魔法使い! 空も飛べるよ! 食べるの大好き!」
「最後の自己申告は要らないと思うよ」
ミィが尻尾をぴんと立てる。
「いや、重要ね」
モフが真顔で頷いた。
カラはけろりと笑った。
「じゃ、恩返しに仲間になるよ! 塔、次も行くんでしょ?」
「決めるのは早いけど、歓迎するわ」
リィナが優しく言う。
「でもまずは翼の様子を見てから」
「了解! あ、でも魔法の調子は抜群だよ——いくよーー」
「待て、ここで撃つな」
◇
治療院の裏の広場。
石畳の上に白線を引いて即席の練習場を作る。
俺は盾の反響板に触れて風脈のコアを回し、地面沿いに細い風の流れを一本だけ通した。
「まずルールだ。合図なしには撃たない。出力は半分。狙いは風の流れの“中”だけ」
「りょーかい! 半分ね! 《黒雷——」カラの手のひらに黒い火花が集まる。
「待て。言い終わってない」
言い切る前に、石畳がドンと沈み、黒い稲妻が走った。広場の端の木の杭がぱちぱち火を噴く。
「半分って言ったな?」
「半分だよ! たぶん!」
「たぶんをやめろ」
俺は深呼吸した。
「狙う場所は風の流れの中心のここだ。外には撃つなよ」
「まこと、外してもわたしが結界で止めるから大丈夫」
モフが扇を立てた。
ミィがカラの脇に立ち、尻尾で地面を指す。
「ご主人の風の道、ここからここ。この範囲に撃つなら、木も石も焦げないの」
カラは片目をつむって、ぽりぽり頬を掻いた。
「じゃ、もう一回。半分の半分!」
黒雷が細く走り、風の流れの中だけを通って狙った場所へ落ちる。石畳は焦げず、白線も残る。
「……できたじゃない」
モフが目を細めた。
「できた!」
カラが翼をバサバサ。「やればできる子!」
その瞬間、広場の端でギルド員が
「ちょっと!」と叫ぶ。
「最初の一発で杭が——」
「すみません」
リィナが小走りで近づき、白光で焦げを撫でる。
「直りました」
「すみません」
俺も頭を下げる。
「すみません!」
カラも元気よく頭を下げた。
「でも半分上手くいったよ!」
「……それを全体で言うな」
俺は額を押さえる。
「まこと、あなた教育係ね」
モフが決めた。
「俺が?」
「適任です。怒っても声が一定で、最後には笑顔になります。教師の資質があると思います」
リィナからもお墨付きをもらう。
ミィがくすくす笑う。
「ご主人、今日から“先生”だね!」
「勘弁してくれ」
◇
午後、鍛冶屋《グラム工房》。
炉の熱が路地まで滲み、鉄と油の香りが鼻にくる。
分厚い腕のグラムが、片眉だけ上げて俺の盾を指で叩いた。
「おう、盾持ち。……《リフレクトスパイン》、悪くねぇ貼りだ。だが軽くしすぎると“返す”ときブレる。重さは嘘つかねぇ。受けて流すだけなら軽さでいいが、“反射”で送り返すなら盾の重心を考えて受けろ」
「この位置で合ってるか?」
「若干内側だな。腰を安定させろ。腕で合わせるな」
グラムは手早く盾裏の反射板を二箇所打ち替え、微調整する。
「これで面の返りが遅れねぇ」
モフが扇を差し出す。
「初動を縮めたいわ。《静域の札》を扇につけたいの、金具で固定できる?」
「任せとけ。鉄の枠で噛ませて、表から見えねぇようにしとく。熱で歪まねぇ材を使うかな」
カン、カン、と二打。扇の骨に小さな留めが収まり、モフは扇を開閉して感触を確かめた。
「……立ち上がりが、明らかに早い。助かるわ、グラム」
「使い倒してくれ」
ミィは靴を台に置いた。
「ご主人にもっと静かに走れって言われた!」
「ならその《葉走りの紐》だ。通し替えて踵の遊びを削る」
「はーい!」
グラムは紐を通し、踵に薄革を一枚入れてからミィを軽く持ち上げて着地させる。
「……音が消えたろ」
「すごい!ご主人、ミィ、クノイチみたい!」
そこへリィナが袖口を整えながら近づいた。
「《白樹の露珠》、留め具が少し緩んでいて……」
グラムが覗き込み、指で軽く押して感触を確かめる。
「金座の歪みだな。縫いは俺の仕事じゃねぇ。白樹堂のシラに持ってけ。あの針捌きは俺より正確だ」
「了解しました。……座金の方は?」
「そこは俺がやる。銀で新しい座を作っておく。これをシラに渡せ。あとは針で縫い付ければ完璧だ」
銀の小座金が露珠を包み、光を柔らかく返す。
「明日の昼には上がるさ。——次」
最後に、カラが胸を張った。
「私、杖! 黒雷バチバチの!」
「バチバチは街中禁止だ。……これ持て」
グラムは鍛革に銅網を仕込んだ輪を渡す。
「《抑魔バンド》だ」
「それ、何がいいの?」
「魔力の立ち上がりをなだらかにして、暴発を防ぐ。お前みたいに“ドン”と出がちな術者には効く。狙いが安定する」
「へぇ」
「銅網が余剰の魔力を逃がすから、周囲の結界を乱しにくい。それに過充填すると少し熱くなる——“出し過ぎ”の合図だ。訓練にいい」
「デメリットは?」
「最大出力が一段落ちる。だから訓練以外は外せ。街の中と連携練習は付けとけ」
「わかった!」
グラムは最後に俺の肩をコツンと小突く。
「九階は空だろ。肘と肩に負担がかかるだろう。上手く流せ」
「肝に銘じる」
「よし、金を払って失せろ。炉が冷える」
⸻
昼下がり、白樹堂の工房室。白衣のシラが拡大鏡越しに袖口を眺め、グラム製の銀座を指で弾いた。
「いい座ね。……つけるわ。動かないで」
針は速いが、音がしない。白地に極細の糸で露珠の座を縫い付ける。袖口にぴたりと落ち着く。
「焦ったら、この護符を指先で一度撫でて、呼吸を整えてから回復を出すの。ルーメンの光が途切れにくくなるわ」
「はい、ありがとうございます」
リィナが深く頭を下げた。
⸻
商人ギルドで蜂蜜と薄布、薬舗で喉用のハーブと鼻腔を守る香油を購入する。
ミィが香油をひと嗅ぎして顔をしかめる。
「甘いのに鉄の匂いが隠れてる。危ない時の匂いだよ、ご主人」
昼は《串と蜜》。湯気の向こう、肉と蜂蜜の香りが鼻を撫でる。
「ご主人、ミィは串三本と麦粥!」
「私はスープと白身蒸しをお願いします」
「私はハーブ茶がいいわ」
「私はシチューをどんぶりで!」カラが指を突き上げる。
「どんぶりは却下だ」
「じゃどんぶりの半分!」
「普通に大盛りで我慢しろ」
結局、カラの前には山盛りのシチュー。
彼女は羽をぱたぱたさせながら旨そうに頬張る。
「どこに入ってるの、そのシチュー……」
ミィが目を丸くする。
「魔力の燃料!翼ってさ、はばたくとお腹すくの!」
「理屈はよくわからないけど、その笑顔は合格ね」モフが肩をすくめる。
「合図を三つに絞る」
俺はカラに説明する。
「雷、かわす、薬」。俺が一言で出す。“雷”は魔法攻撃。風の流れの中だけ魔法を打つと良いだろう。“かわす”は敵の攻撃をかわせ。“薬”は与える回復ポーションを飲め」
「了解!雷、かわす、薬 わかった。たぶん」
「“たぶん”と言うな」
「……はい!」
⸻
夕刻、ギルドでリサが束ねた羊皮紙を広げる。
「九階の名は天空回廊。空域の渡り廊下が続き、突風と雷雲が頻発。飛べる者がいないと進行困難と記録があります」
「飛べます!」
カラが勢いよく翼を広げ——椅子から落ちた。
「いたたた」
リサが声を落とす。
「“黒雷”の目撃も。接近は——」
「しない」
俺は短く言う。
「カラ。合図を守れないならパーティには入れない。それが加入条件だ」
カラは抑魔バンドを指で弾き、少しだけ真面目な顔をした。
「約束する。……一緒に塔に行きたい」
「俺たちのパーティ名は《未来読む盾》。盾で道を作り、仲間がその道を通る。最後の決めは派手でもいい。でも最初の一歩は落ち着いて行く」
「わかった。静かに、派手に。私、やる!」
⸻
夜、包帯が痛々しい片翼で、カラが短く跳び、すぐ着地する。まだ飛びっぱなしは無理だが、彼女は空を見上げて笑った。
「飛ぶって、気持ちいいよ! まことたちもいつか飛んだらいいのに!」
「その前に、お前の魔法の暴発を無くさないとな」
「ご主人、先生みたい!」ミィが笑い、
「先生、宿題は?」モフが乗せ、
「宿題は“雷、かわす、薬“。口に出してから寝ろ」
「はいっ!先生!」カラは元気よく敬礼した。
雲間が一瞬、紫に光る。遠雷が輪を描き、九階へ続く空の廊が闇の上に薄く浮かぶ。
受けない。流す。必要なら、返す。
そして、繋ぐ。
明日は、空へ。翼のある仲間と、風の上で呼吸を合わせる。




