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第2話「猫の鼻、罠の匂い」


石畳の市場を抜け、城門に続く大路を歩く俺の後ろから、ひょいと軽い足音が付いてきた。さっき狼を倒した猫獣人の少女だ。

金色の瞳が陽光を反射し、黒に近い灰色の毛並みの耳がぴくぴくと動く。尻尾は鞭のように揺れ、機嫌を隠そうとしているのがよく分かる。


「ねえ、隊長。なんでわたしを“呼んだ”の?」


声は高めで、少し鼻にかかっている。いたずらを仕掛ける前の子供みたいな調子だ。


「呼んだ? ああ……『右二、猫背面』ってやつか」

「そうそれ! すごく自然に、わたしがそこにいるって分かってたみたいだったよ。なんで?」


俺は笑って肩をすくめた。


「二十年、こういうのばかり見てきた。敵が次にどこへ動くか、仲間がどこに潜むか。それを読む癖がついてる。君の匂いも、音もした。呼んでみたら……来てくれた」


少女は一瞬、耳を伏せてから、ふふんと鼻を鳴らした。


「じゃあさ、隊長。わたしのこと、もっと可愛い呼び方で呼んでよ」

「可愛い呼び方?」

「そう。だって『猫背面』じゃ、まるで駒扱いでしょ? 名前で呼んでほしいし……できれば特別なやつ」


言いながら、耳を伏せて尾を小さく揺らす。あざとい仕草だ。けれど彼女の本能的な軽さが、それを演技っぽくさせない。


「じゃあ……《ミィ》。猫の鳴き声みたいだが、短くて呼びやすい」

「ミィ、かあ……ふふっ、悪くないね! じゃあこれからは隊長専用の呼び方にしてよ。他の人が呼んだら噛みつくから」


ミィ、と呼ぶと、彼女は耳を立ててにやりと笑った。



衛兵に連行され、俺たちは城下の外れにある巡察所に案内された。尋問というよりは「職札が盾なのか?」と訝しむ視線ばかり。

衛兵たちが去ると、ミィは机に腰を乗せ、足をぶらぶらさせながら退屈そうに言った。


「ねえ、隊長。さっきの戦い、わたしが攻撃できたのって……隊長が盾で隙を作ってくれたからなんだよね?」

「気づいたか」

「うん。狼がこっちに背中を見せるなんて、普通ありえない。わたし、あんなに楽に致命打取れたの初めてだった」


彼女の目がきらきらと光る。狩猟本能に火が点いた肉食獣の輝きだ。


「盾なんて、ただ硬いだけの木の板だと思ってた。皆そう言ってたし。だけど……隊長が持つと、変わるんだね」


俺は頷いた。


「盾は面じゃなく、角度が重要だ。敵の“最短”をずらして、味方に“最短”を渡す。そういう使い方をすれば……仲間はもっと安全に斬れる」

「……いいね。それ、すごくいい。わたし、そういうの好き」


彼女は机の上で軽く跳ね、猫のようにくるりと宙返りして床に着地した。

その仕草ひとつとっても、軽快で自由で、見ているだけで退屈が消えていく。


「隊長。わたし、あんたについて行くよ」

「いいのか? 報酬は肉串三本だったはずだが」

「んー……肉串も大事だけど、もっと面白そうなにおいがする」


鼻をひくひくさせ、彼女は俺の胸を指差した。


「塔のにおい。挑戦のにおい。隊長の盾があれば、きっと今までの誰も届かなかった階まで行ける。わたし、そういうのに目がないんだ」



塔の話をすると、彼女は尻尾を大きく揺らした。

この世界では最高到達階は四十。どの攻略隊も、火力押しだけで突破を試み、学習する塔の守護者に蹂躙されてきた。


「皆、もっと強い剣を、もっと大きな魔法をって欲しがる。でもさ、塔の敵は頭がいいんでしょ? だったら同じこと繰り返しても意味ないじゃん」

「その通りだ」

「ふふ、やっぱり隊長は違う。盾で守って、その間にわたしが喉を切る。……ああ、想像しただけで気持ちいい」


彼女は猫のように身体を伸ばし、窓枠に座り込んだ。瞳は夕暮れの光を受け、宝石のように煌めく。


「隊長、わたし、あんたを“ご主人”って呼んでいい?」

「ご主人?」

「うん。だって、隊長はわたしにとって新しい狩場をくれる人だもん。餌場を見つけてくれる人。猫にとってそれは、ご主人なんだよ」


思わず笑ってしまった。

ミィ——いや、ご主人と呼びたいと言う彼女の真っ直ぐな眼差しが、少しだけ胸を温める。


「好きに呼べばいい。ただし、俺は君を駒扱いはしない。仲間として呼ぶ」

「ふふ、それなら安心だね。隊長……いや、ご主人?」


語尾を上げて茶化すように言う。だが、その耳は真っ赤に染まっていた。



その夜、宿を取り、俺とミィは塔に挑む準備を語り合った。

彼女は罠の仕組みに詳しく、嗅覚で隠し扉や毒の存在を見抜ける。指先は器用で、鍵を開ける音すら猫の呼吸のように静かだ。


「塔の一階から十階までは、罠の迷宮みたいなもん。普通は罠にやられて消耗して、ボスにたどり着く前に終わり。……でも、ご主人となら違う」

「俺が敵を引きつけて、君が罠を外す。安全に進める」

「そうそう! わたしが道を開いて、ご主人が盾で敵を誘導してくれたら、絶対勝てる!」


彼女は尻尾を立て、まるでご褒美をねだる猫のように両手を差し出してきた。


「ねえ、ご主人。ご褒美の頭なで、して」


頭を差し出す仕草は、どう見ても猫そのもの。

俺は苦笑しつつも、その毛並みをそっと撫でた。柔らかく、少し温かい。彼女は目を細め、喉を鳴らす。


「にゃ……ふふ、悪くないね」


こうして俺とミィは正式にパーティを組んだ。

不遇職と呼ばれる盾と、猫の本能を生きるローグ。

この組み合わせが、やがて百階の塔の常識を塗り替えることになるのだと——このときの俺たちは、まだ知らなかった。

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