第19話「樹冠の番人」
八階の上層、樹冠回廊。枝と根が絡み合って橋のように広がり、遥か下には霧の海が見えた。風が生き物のようにうねり、方向をころころと変える。
「風が落ち着かないね……」
リィナがローブの裾を押さえる。
「木鳴りが合図だ。音がしたら、すぐに風の流れが変わる」
俺は盾を構え、受け面の角度をわずかに寝かせた。地面に沿う風の流れができる。モフが扇でその縁をなぞるように結界を置き、風の道が安定した。
「ご主人、この先で甘い匂いと鉄っぽい匂いが混じってる」
「敵だな。——全員、風の流れの内側に」
◇
前方の樹皮の裂け目から、低い羽音。次の瞬間、黄色と黒の影が十を超えて飛び出してきた。体長二十センチを超える大型の蜂——スウォームだ。腹の先端から青白い電気をまとった針が閃く。
「スウォーム! 数が多いわ!」
「モフ、風の道の外に結界を沿わせろ!俺たちの匂いを横に逃がす!」
盾の反響板を指で回し、風脈のコアを軽く押し込む。盾面の角度が変わり、空気の流れが左右に分かれた。蜂たちは辿る匂いの源を失い、風の外へ逸れていく。
モフが素早く結界を固定し、残りの個体を風の壁に封じ込めた。
「ミィ、今だ。任せた!」
「了解、ご主人!」
ミィは足音を立てずに樹皮の上を駆ける。新しく取り付けられたフォールミュート・パッドが乾いた音を吸い取り、靴底からはまったく音が漏れない。
リィナの白杖が柔らかい光を放ち、刺傷ああの危険を察知すると即座に回復の光を飛ばす。
蜂の針が一斉に放たれる。俺は受け面を立てて受け、針の軌道をスウォーム自身へと戻反射した。
予想外の反射に、蜂たちはそのまま体勢を崩して何匹かは壁に叩きつけられる。
「倒した?」
「まだ数匹。——だが勢いは落ちた」
「あとは任せて、ご主人」
ミィが最後の一匹を短刃で落とし、群れは完全に沈黙した。
◇
少し進むと、足元の感触が変わった。木の板のように見えていた場所が、軽く叩くと中が空洞だ。
「ご主人、ここ、音が軽い」
「落とし穴だ。下は深いぞ」
盾の縁で地面をなでるように叩くと、共鳴音の違いが返ってくる。重く響くところが支えのある部分。俺はそこに風を流し込み、風路を可視化した。前世からの経験による技である。
モフが落とし穴の上の支えのある部分に色付き結界で目印をつけた。
「ミィ、先に行け。音を出すな」
「任せて!」
軽い足取りでミィが目印を渡り、次に俺とモフ、リィナが続いた。リィナのローブが風を受けてふわりと揺れるが、回復の絹紐が動きを支え、揺れはすぐに静まった。
◇
進むにつれて、風の唸りが低くなり、地面の葉が円を描くように舞い上がり始めた。
「ご主人……風が変だよ」
「来るぞ。——全員、伏せ!」
次の瞬間、地面から天へ。巨大な竜巻が樹洞の中心で発生した。渦は木屑と落ち葉を巻き込み、白い壁のように回転している。
「リィナ、呼吸を整えて!酸素が薄い!」
「了解です、皆さんぼ回復を維持します!」
「ミィ、右の枝の上!蔦走りで!」
「にゃっ、行く!」
ミィは竜巻すれすれに外壁を駆け上がり、横梁に飛び移る。フォールミュート・パッドが衝撃を吸収し、木が軋む音ひとつしない。モフはミスト・シールペタルで霧の中でも結界の形を保ち、俺の風の流れを安定させた。
「まこと、ミィ。風を“横”に切れない?」
「やってみる!」
「にゃっ」
受け面の角度を変え、竜巻の側面を盾面でずらす。風が裂け、渦の回転が一瞬だけ乱れた。そこへミィが飛び込み、内部からから一刃。
風が静まり、竜巻は次第に弱まった。
◇
樹冠の最上部。太い根が円形に絡み、中央に一本の巨木がそびえている。根の節の間に光るもの——それがこの階の守護者《樹冠の番人》だった。
樹皮が鎧のように重なり、両腕はしなる枝の金槌、いや木槌である。背中には袋のような空洞がいくつもあり、呼吸するたびに空気が吸い込まれていく。
「来るわよ」
モフが扇を広げた。
番人が腕を振るう。木槌を横に薙ぎ、衝撃波が走る。俺は盾を構え、受け面を斜めに。力の流れを読み、横へ反射。衝撃が風の道を抜け、空へ逃げた。
「リィナ、今の衝撃、届いたか?」
「はい、でも問題ありません!」
次に、番人の背の風袋が膨張し、鋭い葉っぱの刃を数十枚射出してきた。
「葉っぱ! モフ、道の縁、固定!」
「わかったわ!」
結界が風の道を縁取る。俺は盾面を立てて風を二つに割り、葉刃を左右の壁へ流した。
ミィは匂いの薄い筋を辿って懐に飛び込み、素早く二連撃を入れる。樹液が飛び散り、番人が低く唸った。
両手の木槌の蓮撃を反射で上へ逸らす。空打ちとなった腕が万歳の形で一瞬止まり、隙が生まれる。
「今!」
モフが短く声を上げ、結界を足場としてミィが跳躍。背中の葉群に刃を突き立てた。リィナの光が追従し、ミィの足首を包むように支える。
怒り狂った番人が両腕を天へ振り上げ、背中の風袋を全て開いた。轟音と共に暴風が吹き荒れる。根が揺れ、俺たちの足元が軋んだ。
「風の流れ、反転するぞ!」
盾の角度を変え、反射で風圧を天へ押し戻す。
モフがその縁を結界で支え、リィナが回復も光を調整する。
ミィは暴風の中を横走りし、背面の核を視認した。
「見えた、ご主人! 中心少し下、光ってる!」
「核を狙う。モフ、結界固定、二つだ!」
「はい!」
結界が二重に張られ、風の道が一点へ収束する。俺は盾をその流れに合わせて押し出し、反射の力で木槌の一撃を核へ誘導した。枝が折れ、木片が散る。ミィの短刃がその裂け目に吸い込まれ、リィナの光が一閃。
番人が咆哮し、体全体が震える。風袋が次々と破裂し、暴風が止んだ。巨体が傾き、根の輪の中央に崩れ落ちる。
◇
静寂。森の息だけが残る。
中央に宝箱と、淡く光る板片が現れた。俺は板片を手に取る。
「《風脈の指環》……風の流れが指先で感じられる」
モフは箱の中から薄札を取り出す。
「《静域の札》、結界の初動が早くなるわ」
ミィは靴紐を結び直す。
「《葉走りの紐》! 横の動きがもっと安定する!」
リィナの手には白い珠があった。
「《白樹の露珠》。回復の光を、少し早く出せます」
記録石に職札をかざすと〈八階・制覇〉の文字が浮かぶ。これで塔前へ帰還できる。
◇
その瞬間だった。風の向きが変わった。今度は音もなく、静かに。
上空の梢の隙間から、黒い羽が一枚、ゆっくりと舞い落ちた。焦げた匂い、薬草の匂いが混じる。
「ご主人……誰か、上にいる」
ミィの耳が動く。
続いて微かな詠唱の声、そして閃光。黒い稲妻が走り、遠くの枝が崩れ落ちた。
そして小柄な影が落ちる。翼の片方が焼けた鳥人の少女だった。
俺たちは駆け寄る。
「リィナ、応急を」
「はい!」
白光が少女の胸に落ちる。微かに呼吸が戻る。唇がわずかに動き、かすれた声が漏れた。
「……黒を、見たら……近づくな」
言葉を残し、彼女は意識を失った。焦げた羽が風に流れ、森の匂いに溶けていく。
「黒……ヘイム?」
モフが眉を寄せる。
「風向きを変えたのは、この子だろう」
俺はうなずき、鳥人の体を慎重に抱き上げた。
「帰る。塔の外で治療だ」
盾を立て、風の流れを帰還の方向へ通す。結界が道を形づくり、霧の奥に転移の光が灯った。
風は静まり、夜の森は息をひそめた。
胸の鼓動だけが、まだ少し速い。
八階は終わった。だが、新しい嵐の予感が、風の向こうで息を潜めていた。




