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第18話「樹海迷宮へ」


 八階の石扉を押すと、むっとする湿気が顔にまとわりついた。湿った土、甘い樹液、乾いた苔。俺たちは口と鼻に薄い布を当て、喉に蜂蜜を一滴落としてから、最初の一歩をそろえる。


「役割の最終確認」

 俺は低く言う。


「俺が盾で“風の流れ”をつくる。もし風向が急に変わったら盾も反転して対応する」


「わたしは結界を風の流れに設置するわ。なるべく薄く、風の道に垣根を作るように」

 モフが扇を立てる。


「ミィは音を立てずに走るよ。木の上は《蔦走り》でいくよ、ご主人」


「私は回復をします。疲れたらハンドサインで教えてください」

 リィナが白枝杖のルーメンを握り直した。



 低く「ミシ」と木が鳴る。葉の向きが一斉に反転し、奥からの風が引いた。風向の急変だ。俺は円盾を十五度寝かせ、受け面をなめらかに反転させる。足元の粉塵が細く流れ、風の道を描いた。

 モフが風の道に薄い結界を沿わすように置いたので、風の道は崩れない。


 倒木の陰を曲がったとき、小さく「チチッ」。ミィが即座に止まる。


「来るわ」

 モフの扇と尻尾が揺れる。


 地表の落ち葉がふくれ、細い蔓が鞭のように伸びた。ツルグラップラー——絡めて足首を引きずり込む罠だ。最短距離で伸びてきた。


「うっ、掴まれた、が、反らす」

 俺は盾の縁を足元に滑らせ、締まる力の向きを横へ反射する。蔓の根元が一瞬露出した。


「結界固定」

 モフが根元と地面とを結界で固定した。それ以上の締めつけが止まった。


「今だ、ミィ」

「にゃっ!」


 短刃によって真っ二つとなった蔓は、力を失って土に伏した。蔓に締められたため俺の足首が紫色に鬱血している。

 リィナが締められた跡に回復の光を落とし、皮膚の色が元に戻る。


「“チチッ→固定→盾→ミィ”、ね」

 モフが小声で繰り返す。


「うん。覚えた」

 ミィは鼻をひくつかせた。

「この先の左、甘いにおいの奥に鉄っぽいのが混じってる。多分危ない」


「なら右だ」

 俺は進む方向を右へ切り替えた。


 やがて森林は乾いた落ち葉で敷き詰められたエリアに変わる。踏むと音が立ち、危険な敵が襲ってくると言われている場所だ。


「この先は、音で気づかれやすいです」

 リィナが布越しに囁く。


「ミィ以外は俺の作る道を通れ、モフ、結界固定」

「わかったわ、まこと」

 俺は盾の縁でわずかに地面を撫で、落ち葉を結界付きの風の流れで左右に寄せた。葉のない細い蛇道が一本できる。


 ミィ以外はその葉のない道を選んだ。一方、ミィは落ち葉の上を走っても音がしない。タイミング良くモフがミィの足元に結界を張っているおかげだ。ミィが索敵を行いつつ先に進む。



 倒木のトンネルをくぐると、青白い光の柱が立っていた。《塔の記録石》だ。職札を掲げると〈八階・前半 記録済〉の字が浮かぶ。脇の宝箱を開けると、薄緑の絹の紐が一本入っていた。


「《回復の絹紐》」

 リィナが目を細める。「ローブ内側の紐をこれに換えると、回復の呼吸がぶれにくくなる……私がいただいてもいいです?」

「ああ。もちろん」


 記録を終え、さらに奥へと進む。湿り気が増し、根が複雑に絡んだ広場に出た。中心に、直径三メートルの根の塊。四方に触手のような蔓が伸び、周期的に低い唸りを発している。


「……中ボスだわ」

 モフが扇を伏せる。


「ルートラルという名前だったはずです」

 リィナが呟く。

「ルートラルは、蔓で掴んでの引き込みと根の塊による叩きと、風に合わせて胞子を飛ばすという3つの攻撃方法を持ってます」


 低い木鳴り。森の呼吸が裏返ったかのような音である。ルートラルの蔓の触手が地中からせり上がり、足元を狙ってきた。


「右足、くる!」ミィが跳ねる。


 俺は盾の縁で蔓の向きを回廊側へ滑らせた。

 引き込みは空を切る。


「行くよ!」

 ミィが《蔦走り》で側壁→倒木→背面へ。嗅覚で“樹液の濃い継ぎ目”を見つけ、そこに一撃を与えた。


 ルートラルの上部から“根の塊”が振りかぶられる。棍棒による攻撃のようだ。


「上だわ!」

 リィナが指差し、光でミィの足首を軽く押す。


「反らせ」

 俺は肩で受け、盾で反射。攻撃の方向を側壁へ誘導する。


「踏み台結界よ!」

 モフがミィの進路にほんの一瞬、結界を“置く”。ミィはそこで角度を変え、背面へ回り込む足場を得た。


 次の瞬間、木鳴り。風が逆向きになり、ルートラルから白い霧が吐き出された。甘い匂いに鉄が混じる、危険な胞子だ。


「胞子です!」

 リィナが蜂蜜を喉に回し入れ、声を整える。


 俺は盾面を立て、俺—ルートラルの核—側壁を一直線に結ぶ風の流れを作った。モフがその両縁に結界をタイミング良く設置する。胞子は一カ所に溜まらず外へ、風の流れの内側は澄み始めた。


「匂いの薄い方から行くよ!」

 ミィが右へ抜け、主根の裏へ刃を入れた。


「喉を回復します」

 リィナの白い光が俺とミィとモフの喉の奥をそっと往復する。


 広範囲に広がっていたルートラルの触手が一斉に収束し、再び引き込みを狙う。地面がうごめき、締め付けの力が足首に絡む瞬間——


「返す!」

 俺は反射でその締めを主根の継ぎ目へ押し返した。力は元の主へ戻り、自分自身の弱いところを締め上げる形になる。


「境界で止めるわ!」

 モフが継ぎ目に薄膜を置き、逃げ道を消す。


「今だ!」

 俺は根による棍棒攻撃の角度を肩で変え、継ぎ目に“反射する”。鈍い割れ音。


「にゃあっ!」


 ミィの短刃がその裂け目に吸い込まれ、芯まで届いた。低く長い唸りが、やがて消える。蔓は力を失い、広場に静けさが戻る。


 根の塊の脇に、薄い板片がころりと落ちた。掌に載せると、木紋が光を返す。


「《リフレクトスパイン》」モフが覗き込む。

「盾に貼ると反射のタイミングが速くなり、盾の重さも軽く感じるようだわ」


 宝箱も現れた。中には薄茶色の踵革と、苔の小包み。


「この踵革……《フォールミュート・パッド》だ」

 俺は踵に重ね、軽く踏む。乾いた葉の上でも音が消える。

「ミィ、これならさらにスピードを上げられる」


「こちらは《ミスト・シールペタル》。わたしの扇との相性が良さそうだわ。毒の霧の中でも結界が安定するようだわ」

 モフは嬉しそうに尾を揺らした。


「私は《森息の絹紐》をローブの内側に……よし、発声がぶれにくい」

 リィナが胸元に触れ、安堵の息をひとつした。


 広場の端の副祭壇が開き、小型の記録石がせり上がる。職札をかざすと〈八階・中間 記録済〉。休める、という合図でもある。


「ご主人、少しだけ水飲んで」

 ミィが瓶を差し出す。

「助かる」


 立ち上がろうとした時だった。風が一度、上から下へ吸い込まれた。さっきまでの急変と違う。森全体が、逆さに呼吸したみたいに。


「……今の」

 モフが扇を半ばで止める。


 頭上、高い樹冠の隙間から、黒く細い羽が一枚、ゆっくりと舞い落ちてきた。焦げた匂いと、乾いた薬草の匂いがほんの少し混じる。耳の奥で、低い詠唱が一度だけかすめた。


「ご主人、空から“匂い”が落ちてきたよ」

 ミィが見上げる。

「焦げと薬草。上にいる」


「風の向きを逆さにした誰かが、いるわね」

 モフの尾がふわりと揺れる。


「……上に、誰かが」

 リィナは白の袖を握った。



「行こう」

 俺は上層へ伸びる梯子の向こうを指し示す。樹冠の光が脈打っている。


 受けない。流す。必要なら、返す。八階の後半は、そこからだ。

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