第11話「三つの風印」
風車室の巣を落として依頼を片付けたあとも、五階《風紋回廊》は終わらない。再び翌日に五階へ挑戦した。
通路を抜けるたび、風の音階が変わり、天井の梁がひゅうひゅうと遠吠えのように鳴いた。やがて、壁面に埋め込まれた古い石扉が現れる。扉には円環が刻まれ、〈風印・三〉と古文字。中央部には三つの窪みが並び、どれも空っぽだ。
「ご主人、三つの印を集めたら開くんだね」
「そういうことだ。三つの風から、三つの印を見つければ、扉が開く」
モフが扇をすこし傾ける。三本のもふふわ尾が同じ角度で揺れた。
「まこと、印はきっと“風の道”にあるはず。音、流れ、静けさ。三つ全てを集めないとダメね」
俺は円盾の縁を撫で、風切りリングを半分だけ回した。風の感触が、指先に柔らかく移ってくる。
「音・流れ・静けさ。……順に回ろう」
◇
一つ目の印はほどなく見つかった。風鈴の奉納堂。八角の小部屋の天井から大小の風鈴が何十も下がり、風が通るたびに高低取り混ぜた音が降る。正面の厨子に青磁の小箱——しかし、前に吊るされた三つの風鈴のうち一つが割れて、足りない音がある。
「一音足りないね」モフが囁く。「昨日と同じで中途半端な音を足してもだめみたい。まこと、結界を“薄膜”で張る。あなたの音だけ通る道を作るね」
「ご主人、ミィは印を探してみる。厨子の裏に仕掛けがあるよ」
ミィは爪先で厨子の縁をなぞっていった。油の匂いが薄い。長いこと小箱は開けられていないようだ。
「行くぞ」
俺は円盾を指で弾き、低・中・高と三度、音を刻んだ。モフの結界が周囲の余計な音を吸い、おれの音だけを細く通す。割れた鈴音より音は低いがモフの狐火で補った。狐火の熱で波長をわずかに変える。——合った。
奉納堂の風が一拍置いて止み、厨子の蝶番が音もなく外れた。中には、薄青の小さな札。表に風紋。裏に〈一〉。
「ご主人、やった!」ミィが尻尾をぶんと振る。「音の印、ひとつめ!」
「次は“風の流れ”。風がぶつかって回っている場所がある。風を止める必要がある」
◇
奉納堂を抜けると、高い吹き抜けの中腹に出た。左右に通風孔、中央には風車が据えられている。
「ご主人、右の通風孔、油の匂いが新しい。最近誰かが触ってる。でも左は匂いはしない」
「つまり右は罠がかけられてるってことだ。……左から攻めよう」
俺は円盾を回して受け面を浅く寝かせ、左の通風孔からの流れを天井へ逸らす。モフが扇を返し、狐火を天井近くに細い柱のように置いた。それによって“風が上昇”しているように見える。塔の呼吸が半歩、偽の風に釣られ——生まれた気圧の差で、左の通風孔の流れがほんの一瞬だけ弱まった。
「今!」
「任せて!」
ミィが梁を蹴って風車の軸へ飛ぶ。予想通り左の道には罠はなかった。
風車を止める必要があるが、力任せでは止めることはできない。ミィの指先は風車の歯車の形状を読み取り、タイミングと角度を合わせて力を加えた。カツン、と歯が一本、外れる。回転がゆるむ。俺は盾の縁で軸の中心を斜めに押した。歯車は逆向きに噛み、風車の完全に止まった。
風車が止まると、下層からの細い風が上ではなく横へすべり、壁面の小扉を撫でた。コトリ、と何かが倒れる音。扉が引き戸のように開き、そこに二つ目の印。表は白、裏に〈二〉。
「流れの印、二つ目」
「まこと、残るは“静けさ”ね」
◇
風刃の廊をいくつも越え、最後の印の気配に辿り着いたのは、無音回廊の前だった。床はやわらかい革張り、壁は吸音の黒い織物。通路の奥に、黒曜石のような扉が立っている。取っ手はない。代わりに扉の前の床に、白いボタンらしきものが三つ存在していた。ボタンを踏み抜くにはかなりに衝撃が必要そうだ。
「ここで、音を出したら全部やり直しの気がする」ミィが耳を伏せ、尻尾を丸める。
「結界で“無音膜”を敷くわ。まこと、ミィ、音は全部、吸収するわ」モフの声は落ち着いていて、尾はふわりと揺れた。
「了解。ミィ、猫の走りで俺に続け」
「うん、ご主人」
俺は一歩、二歩、三歩——ボタンを細心の注意を払ってトン、トン、トンと踏む。無音膜の結界を施しているとはいえ、音が立たないよう重心を調整する。盾を構えたままでも、重心をずらせば音は消せる。モフの結界が足元に薄膜を作り、俺の体重が最初に触れる瞬間だけ、音が立たない。ミィはそれに合わせ、指の肉球だけが床に触れるように運ぶ。尾は振らない。
2人の三拍が揃った瞬間、扉の黒色が一段薄くなった。何も鳴らなかったが、扉が開いたのが分かった。奥の祭壇に、最後の印。表は深い緑、裏に〈三〉。
ミィが指で印をつまみ、俺たちは三つの印を携えて石扉へ戻った。窪みに一、二、三と嵌めていく。風の音階が部屋じゅうで揃い、扉の円環がゆっくりと回る。石扉はかなりの重量であるはずなのに、羽根のように軽く音もなく開いた。
「ご主人、来るよ。匂いが……濃い」
扉の向こうは広い風のホール。四方の通風孔から渦が吹き込み、中央の空間に見えない柱が立っている。羽根の油の匂い、鉄を鋭く擦ったような風の匂い。梁の影から、それが降りてきた。
◇
階層守護者《風裂の翼王》。
脚は細く、翼は骨張り、羽根は銀灰。眼は鋭く、喉の奥に風が常に満ちている。翼根から尾羽にかけて一本の“風道”が通っており、そこを通る空気は刃になる。落下の最中、翼王は一瞬だけ息をため、次いで叩きつけるように翼を振った。ダウンバースト。床の格子がうなり、風が刃の束になって迫る。
「まこと、結界、盾に沿わせる!」
「ミィ、背面から攻撃!」
俺は盾を回し、盾面を斜め上へ。モフの結界が盾の前面に沿って薄い層を作り、風は分割されて層流になった。正面からの風の圧は上へ逃げ、天井の通風孔へ吸い込まれる。
「今!」
「にゃっ!」
ミィが風柱の“切れ目”を嗅ぎ取り、一歩で跳ぶ。尾で微妙なバランスを取る。刃は翼王の右翼の腱へ吸い込まれ、右翼の動きが一拍分遅れる。
翼王は学び、次は横風を絡めた交差の斬風を放つ。盾の側面から切り裂くつもりだ。俺はわずかに足を引き、受け面を寝かせ、さらに寝かせ、風を床面に貼り付けて逃がす。床格子の隙間が低く唸り、斬風刃は足首をなめるように抜けた。
「まこと、上に“陽炎”、下に“空の気流柱”を作ったよ」
モフの狐火が天井近くに細く立ち、床には気流柱の幻が仄かに揺れる。わずかな浮力差を感じ取り、翼王の眼は上を見た——だが偽。狙いが千分の一秒ずれる。その刹那、俺は盾の縁で嘴をすべらせ、肩で胴体を押し、翼王の体勢を崩す。
「ご主人、左の腱、いく!」
「行け!」
ミィの刃が左翼の束を断つ。翼王の滑空は均衡を失い、風柱に絡まり始めた。だが、守護者の名は伊達ではない。翼王は羽根を逆立て、空気を吸い込み、喉の奥で真空の刃をこしらえる。次の一撃は、空を切り裂く音さえ飲み込むと思われる。
「伏せろ!」
俺は盾をわずかに立ち上げた。盾の縁で受け真空波は二枚に裂けて天井へ去る。遅れて梁が二本、ぱきん、と砕け落ちた。
翼王の眼が、俺に釘付けになる。——盾。塔は学習した。“仲間を活かす盾”が、ここでは脅威。俺はわざと半歩、踏み込み、受け面を大きく見せる。おびき寄せる餌。
翼王はきた。
「まこと、一瞬だけ“無音膜”を前面にセットする!」
結界が薄く張られた。翼王の予測システムは、周辺の音から俺の姿勢を読む。だがその音が結界によって消え、予測が狂う。嘴は俺ではなく盾の真横へ来た。
俺は盾の縁を下へ滑らせ、床に誘導。顎が石に当たって跳ね、喉が晒される。
「今だ、ミィ!」
「にゃあっ!」
猫の短刃が、風の王の喉の膜を裂いた。風は血にまみれ、刃になりきれずただの空気となる。翼王は最後の抵抗に翼で風を放つが、その風は自分の乱れを増幅するだけだった。俺は円盾を肩で押し、王の胴を斜めに転がした。床の格子の上で体勢を崩し、翼王は長い息を吐いて倒れた。
静寂。
ただ、回廊の通風孔が、呼吸を整えるようにゆっくり鳴った。
◇
やがて、ホールの端に石碑が立ち上がる。青白い光を内側から湛えた《塔の記録石》だ。俺たちが職札をかざすと、ひやりと冷たい指で撫でられたような感覚がし、〈五階・記録済〉の光字が浮かぶ。
「ご主人、これで五階もクリアだね。やったー!」
モフが扇を閉じ、小さく微笑む。「まこと、今日は上出来。ぴたりとハマってた」
同時に、床の格子が静かに持ち上がり、苔むした宝箱がにゅっと顔を出す。ミィは尻尾を弾ませ、俺を見上げる。
「ご主人、開けていい?」
「ああ。頼む」
ミィの指先が宝箱をなで、音もなく蓋が開く。冷たい風といっしょに、二つの品が姿を見せた。
一つは、青白い核石。まるで小さな渦が封じられているみたいな模様。
「《風脈のコア》だな」俺は手に取り、円盾の裏に視線を落とす。「盾の反響板に組み込めば、攻撃の散らしがもっと滑らかになるだろう」
もう一つは、薄羽のような軽い肩掛け。縁に細い刺繍で風紋。肩にかけるだけで、布が勝手に風向きを読み、体の重心をふっと支える。
「ご主人、これ、本物の《羽衣の肩掛け》!」ミィが目をきらきらさせる。「……尾に当たる風が、優しい」
「似合ってる」
「ふ、ふふん! ご主人、褒められると強くなる!」
モフは核石を覗き込み、尻尾でそっと俺の手首を突いた。
「まこと、盾で“散らし”効果が上がるのはいいけど、それに頼りすぎたらダメよ」
「わかってる」
石碑の脇に寄り添うように転移紋が灯る。俺たちは軽く頷き合った。
◇
塔前広場へ戻ると、すでに夕暮れ。ギルドに向かう道すがら、ミィは肩掛けをひらひらさせて跳ね、モフは扇を閉じて尾の毛並みを軽く整える。
ギルドの扉を押すと、カウンターの向こうの受付嬢が手を上げた。
「おかえりなさい。依頼の続報、聞きましたよ。巣の撤去、ついでに風印を三つ? ……噂は早いんです」
「記録石も五階に登録できた。これでペースが上がる」
「評判も上がるわ」モフがさらりと言う。「まこと、掲示板に“風鈴の音合わせ”のメモ、残しておきなさい。有益な情報よ」
俺は黒板に、音合わせの情報を記入した。覗き込む冒険者が、半笑いのまま真顔になる。こういう細い情報は、命を救う。
ギルドからの帰り道、三人で「串と蜜」に寄った。串に刺さった鶏皮がきつね色に焼け、蜂蜜の焦げる香りが甘い。ミィは一口ごとに尻尾をぶんぶん振り、モフは塩をひとつまみ落としてから「まこと、今日は許してあげる」と微笑んだ。
夜、宿に戻ってから、俺は《風脈のコア》を円盾の反響板に当て、グラムの言葉を思い出す。盾は受け止めるものじゃねぇ。“逃がす”もんだ。
核を嵌め、指で軽く叩く。返ってくる手触りが一段、やわらいだ。散る。流れる。逃げる。盾の感覚が良くなったと感じた。
「ご主人」
背後で、ミィが肩掛けを外して畳み、そっと俺の隣に座った。
「明日も、ミィ、いっぱい頑張る。ご主人の隙、ぜったい見逃さない」
「頼りにしてる」
「まこと」
モフは扇を枕にして横になり、ふわりと尾をかけて目だけをこちらに向けた。
「風は気まぐれ。次は森よ。胞子は風より扱いづらい。結界は薄く、角度は鋭く。……あなたについて行くわ」
「ああ」俺は盾を壁に立てかけ、灯を落とした。「守って、攻める。」
窓の外で、塔の風が静かに鳴いた。五つ目の階は、確かに背中を押していた。次は森の匂い。音ではなく、匂いで道を作る階だ。




