第10話「初依頼」
朝の城下町は、塔の影がまだ長い。石畳の間を涼風が抜け、露店の布がはためいた。冒険者ギルドの扉を押すと、酒と革油の匂い、ざわめきと笑い声が一斉に押し寄せる。掲示板には羊皮紙がぎっしり。新しい赤紐の札に目が留まる。
「《風車室の巣撤去》……五階か。報酬、矢避け用の古布と銀貨十枚」
「ご主人、行こ! ミィ、こういうの得意だよ」
「依頼受ける前に、ほんの少しだけ“贅沢”していい?」モフが扇で口元を隠し、目だけで笑う。「まこと、朝は甘いものがいいわ。集中力が増すの」
俺は肩をすくめ、掲示板の札を外して受付に預けてから、三人で通りの食堂「串と蜜」へ向かった。焼き台の向こうで蜂蜜を溶いたバターが湯気を上げ、香ばしい匂いが胃をくすぐる。
「干し肉のバゲットと蜂蜜バターを三つ。スープは塩を控えめで」
「ご主人、甘しょっぱ最高!」ミィは尻尾をぴんと立て、かぶりついた。パン屑がぽろぽろ落ちるたび、俺の皿に器用に尻尾で寄せる。
「ミィはパン屑、落とさないで。……ほら、まこと、口元」モフが布ナプキンを差し出すしぐさが妙に板についている。狐火の使い手は、所作まで炎のようにしなやかだ。
食後、薬屋で回復ポーション二本と毒消しを一本だけ補充する。棚には色とりどりの瓶が並ぶが、手は伸ばさない。俺たちの武器は、角度と間合いと、少しの先読みだ。
◇
武具通りで鍛冶屋グラムが待っていた。鼻髭に煤を絡ませ、分厚い指で俺の円盾を叩く。
「言われた通り、縁に“風切りのリング”を取り付けた。指でここを回すと、表面の風量が変わる。矢風を散らすのに向くだろう。ついでに裏に陶板を設置して、金属部分は減らした。五階は風だって話だろ?」
「助かる」
「盾は受け止めるものじゃねぇ。“逃がす”もんだ。今回はお前の要求通り“逃がす”をいつも以上にやりやすく作った。意見が合うねぇ、大事にしてくれよ」
グラムのいつもの口癖に、思わず笑う。盾の重さを感じつつ、俺たちは塔前広場へ。職札を《記録解放:五階》の台へかざすと、床紋が青く脈打った。内臓が一度だけ浮く感覚——視界が反転し、冷たい風が頬を撫でた。
◇
五階《風紋回廊》。壁は白灰色の漆喰で、ところどころに風窓が穿たれ、見えない唸りが通路を満たしている。足元の石は磨かれて滑らか、角を曲がるたびに風の音階が変わった。遠くで、羽音がかすかに混じる。
「……いろんな風の匂いがする。乾いた石、鉄、油、鳥の羽根」ミィが鼻をひくつかせる。「こっち、壁の中に空洞がある。呼吸してるみたいに、ふーって」
「内壁の風の道だな。回廊に通風孔と繋がってる。塔が自分で“息”をしてる」
俺は壁の漆喰を爪で軽く削り、掌に白粉を集めた。指でつまんで宙へ撒くと、粉は細い糸になって風に乗り、通路の上方へ吸い上がっていく。見えない“道”が浮かび上がる。
「ご主人、それ面白い!」ミィも真似して、猫の手でぱっ、と舞わせる。粉の筋が左の通風孔に吸い込まれ、右の暗がりに流れがないことを示す。
「今回は音が扉の鍵だ。風鈴の音の音程とリズムを合わせないと、罠が動く」
曲がり角の向こう、壁の高い位置に組み込まれた風車室の丸窓が見えた。扉にはハーピィの羽根が挟まっている。あの先が依頼の現場だ。
「ミィ、壁の中に歯車の音がしないか?」
「ある。ここから三歩くらい先かな、ご主人、ここの鍵を開けるから待ってて」
ミィは鍵穴の覗き込み、磨耗具合を読んで、ピンを用いて回転させた。カチッという金属音もなく、すぐに鍵が開いた。
「解除。ご主人、どうぞ」
「助かる」
階段を上ると、風車室の前には格子扉。風鈴が三つ、微妙に音程の違う短冊を揺らしている。モフが扇を閉じ、左の手のひらを壁に当てた。
「まこと、一瞬だけ結界で“無音”を作るわ。まことが盾で“鳴らす音”だけ通すように調整するわ」
「リズムは俺が作る」
俺は円盾を指先で軽く叩いた。呼応するかのように「ゴン」という短い低音を壁が返す。さらに風鈴が高い音で応える。心地よい輪唱を奏でるかのように風鈴の音が続いてくる。風鈴を揺らす風は格子の向こう側まで届いていた。モフの結界が周囲の雑音を吸い、俺の打音、壁の低音、風鈴の高音がハーモニーをなす。
「もう一つ高い音……」
「まこと、ここ」モフがわずかに指で示す。狐火が豆粒のように灯り、風鈴の短冊の端に熱の揺らぎを足した。熱によって空気の密度が変化して音程が半音上がった。
決まった。鎖がほどけ、格子が横に滑る。
風車室は広く、格子から回廊の下層も見える。巨大な風車がうなり、軸に油が光る。梁に巣、巣、巣。灰色の羽根がわさりと動き、青い目がこちらを見た。
「ご主人、来るよ」
ハーピィの群れが風に乗って落ちてくる。鋭い鉤爪、嘴。通常であれば最短で脆いものへ——つまり後衛のモフに。だが、彼女は扇を一捌き、狐火を天井近くにひらりと置いた。
「まこと、上に“熱柱”」
「了解」
俺は風切りリングを指で回し、盾の面から出る風の量を調節する。正面からの矢風(羽根の切り裂き)を斜め上へ逃がす。天井の狐火によってハーピィは天井との距離を読み違えた。天井に激突。勝手にダメージを受け、自滅した。
「今!」
「にゃあっ!」
ミィが風車の軸へ駆け、爪で風車の歯車の噛み合わせを外す。回転が一瞬ゆるむ。梁に止まっていたハーピィがバランスを崩し、下へ。俺は盾の縁でそいつの爪を滑らせ、床へ叩きつける。喉が晒され、ミィの短刃が吸い込まれた。
残りのハーピィは高所を旋回し、こちらの死角に入ろうとする。モフが扇の先で空気を払う。薄く、透明な結界が風と一緒に広がり、薄い層を作った。風の流れを薄い結界で制御した結果、風は壁に沿って回廊へ流れ、群れの行動範囲をさらに狭める。
「まこと、上が詰まる」
「なら、下に誘導する」
俺は盾で床格子の端を叩いた。コン、コン。反響板が応え、格子の下の風路が開く。足下の風は吸いこまれる“穴”に変わり、ハーピィの一羽がふらつきながら落ちた。そこへ盾の縁で鼻梁を削ぎ、顎を床へ押しつける。ミィが喉を断つ。さらにモフの狐火が残りの個体の視界を一瞬奪う。
数分で、室内はハーピィの羽根と血の匂いだけになった。ミィが梁を伝い、巣から布を降ろしてくる。
「ご主人、これ見て。巣材に“矢避け布”が混じってた。多分、風車室で働いてた人が置いていったんだよ。ほら、織りの品質が全然違う」
「回収してギルドに渡そう」俺は頷いた。「依頼もこれで完了だ」
回廊に出ると、通風孔の音階がわずかに変わっている。塔が息を整えているのだ。
◇
風の道は一筋縄ではいかない。高い天井の梁、壁のレリーフ、床石のわずかな段差——風はそれらに沿って曲がり、溜まり、時に刃になる。俺は漆喰の粉を撒き、風の糸を可視化するたびに、風切りリングを微調整して「道」を作った。
途中、低い唸りとともに矢雨の罠が起動した。壁の隙間から、見えない矢が風に乗って押し寄せる。矢そのものというより、風圧で押されてくる刃の波だ。正面で受ければ、盾ごと押し流される。
「ご主人、左から鉄の匂い。矢の罠だらけだよ。右は無いかな」
風切りリングで風量を調節して、流れを上下に割る。盾面から風は二筋に分かれ、天井と床へ抜けて行く。モフは右手側に結界膜を薄く沿わせ、風の流れを“壁”に向け、風の刃を壁伝いに俺たちの後ろへ誘導した。風の刃は背後で弱まって消えた。
「ミィ!」
ミィは低い姿勢で走り、矢孔の内部機構へピンを差し込む。——ぱちん、と鍵が外れ、風の流れは止んだ。
「助かった」
「ふふん、罠はミィの大好物だよ!」尻尾が得意げに弾む。
曲がり角の向こうで、扉が一枚。風鈴の短冊が一本折れている。折れた風鈴分の音が足りないためであろう、扉は半開きで固まっていた。
「まこと、扉の裏に“音の受け皿”がある。風鈴の音のように澄んだ音を鳴らす必要があるわ」
「盾でやる」
盾の表面を小刀で軽く叩く。乾いた澄んだ音が響く。結界の薄膜が周囲の雑音を抑え、俺の音だけが受け皿に注がれる。正しい音の高さには微調整が必要だ。足りない半音分は、狐火の熱で風鈴を熱膨張させて補った。音程が合った。扉はゆっくりとした動きで開いた。
その先は、吹き抜けの大回廊だった。左右に風窓、上は梁が走り、床はところどころ換気用の風の抜け道がある。下層の風が上へと吸い上げられ、中心には透明な柱が立っているかのよう。柱の上端で風が渦を巻き、白い羽根がいくつも舞っていた。
「……大きいのがいる」ミィが耳を伏せる。「羽根の油の匂いが濃い。たぶんここが巣の根っこ」
「依頼の延長戦だな」俺は盾を握り直した。
◇
回廊の端、風の柱の向こうに、ハーピィの王の影が見えた。翼の長さは人の背丈を優に超える。背中の羽根に染み込んだ油の匂いは、人間の俺でも強く感じる。
「まこと、結界を“薄膜”で盾に沿わせるわ」
「頼む。ミィ、風の“切れ目”を見つけてくれ。俺の合図で背後へ」
「任せて、ご主人!」
王は一度上に跳ね、翼をひるがえして急降下してきた。風が尖り、刃のように唸る。俺は盾を回し、盾面をわずかに寝かせた。上昇する風と翼の起こす竜巻がぶつかる地点を、斜め上へ盾で押す。モフの結界が盾の前面コーティングされているので、風は層状に剥がれて細く弱くなる。3mほどの竜巻が子猫サイズまで小さくなった。
「いまだ、ミィ!」
「にゃっ!」
ミィは風の柱を軽やかに、一歩、二歩、三歩——跳んだ。羽衣の肩掛けが尾からの風を受け、体がふわりと上がる。王の背中の油の匂いを目印に、刃が吸い込まれた。右翼の根元が切れ、王の苦痛に満ちた雄叫びがこだまする。
王は風を震わせ、今度は翼を畳んで槍のように落ちてくる。先ほどより速い。俺は足を半歩ずらし、盾を逆に回した。受け面をわずかに立たせ、流れを床へ逃がす。床の格子が唸り、風が下へ落ちる。衝撃で背骨に鋭い痛みが走ったが、まだ耐えられる。
「まこと、上に狐火、下に幻の気流柱。見え方を“ずらす”わ」
「頼む」
上に薄い熱柱、下に偽の上昇気流。王は最短の浮力を選ぶ。——だがそれは幻。翼が一瞬、無駄に上下し、王はバランスを崩した。俺は盾の縁で嘴の軌道を滑らせ、頬に風をぶつけ、王の体勢が傾いた瞬間に肩で押す。押された王は大回廊の柱に翼を擦られ、短い悲鳴を漏らした。
「ご主人、左翼も狙う!」
「任せる」
ミィが駆け、風の切れ目を見切り王の前まで辿り着く。狐火が王の視界に“自分の影”を一瞬だけ重ね、嘴の向きを奪う。ミィの刃が左翼も切った。王は翼の均衡を失い、風柱に絡め取られた。羽根が散り、床へ落ちる前に、俺は盾の縁で滑らせて、床へ誘導し、王は盛大に床面に顎を打ちつけた。沈黙。
風が、少しだけ穏やかになった。
◇
回廊の端に、小さな祠がある。祠の中に古い布束が保管されていた。矢避け布だ。これで依頼の証も充分。
「ご主人、この布とっても珍しいデザインで綺麗」
「ギルドが喜ぶな」俺は頷き、肩に盾を背負った。
その帰り道、通風孔の脇の隙間から冷気が漏れているのをミィが見つけた。
「ご主人、ここ、“隠し風道”だよ。匂いがとっても新鮮だよ……多分、まだ誰も気づいていない」
「……行くか?」
「今は戻ろう」モフが首を横に振る。「まこと、依頼をきちんと終えよう。ちょっと疲れたわ」
言い切る声音に、俺は小さく笑った。帰り際、記録石に職札をかざし、五階の“開始点”の紋が静かに灯るのを確かめる。
◇
転移陣を抜け、夕方の風に顔を晒す。ギルドに戻って矢避け布と羽根袋を受付に渡すと、ざわつきが起こった。
「巣を落としたって?」「盾で?」「狐と猫の子たちも?」
銀貨の袋を受け取り、帰りに「串と蜜」で塩焼きの鶏を一本ずつ。ミィは尻尾をぶんぶん振って頬張り、モフは扇の陰で口角を少し上げた。
「まこと、風は見えない。でも“見え方”は作れる。盾と、狐火と、香りと。まことは盾で風のむきを作れるし、わたしは狐火で幻の風を作れる。そしてミィが香りで“本物”を見つける。三つ揃えば、風の道を感じ取ることができた」
「ご主人、塔の風、気持ちよかった。怖いけど、好きになれそう」
俺はうなずいた。盾の縁を指で撫でる。風の感触がまだ残っている。受けるのではない。流す。逃がす。ためて、返す。
その夜、窓辺に灯を落とし、盾の動きと、モフの結界の“張り”、ミィの足音の拍の詳細を帳面に記した。塔は学習する。なら、こちらはもっと学ぶ。次は五階の奥だ。
また新しい“隙”が見つかるはずだ。




