第59話 中村浩、奈津美に料理を取る
高橋奈津美は柴田武の言葉が少し厳しすぎると感じ、慌てて口を挟んだ。
「兄さん、私は自分で自分を守れますから――」
だが言葉を終える前に、柴田崇が遮った。
「兄さん、奈津美ちゃんは私たち本家の宝物だ。言われなくても当然守る。安心してくれ、私がいる限り、誰にも奈津美ちゃんに指一本触れさせない」
柴田武は悟っていた。奈津美ちゃんを守り、慈しむ気持ちにおいて、兄弟の思いは一致していると。
彼は少し安堵したように頷いた。
「そう言ってくれると安心だ」
二人の言葉に胸が温かくなりながらも、高橋奈津美は過剰な心配をかけたくないと思った。
「武兄ちゃん、崇兄ちゃん、そんなに気を遣わなくても大丈夫です。本当に自分で――」
柴田武は深い眼差しで高橋奈津美を見つめ、重々しく語った。
「奈津美ちゃんの実力はわかっている。だがお前は優しすぎる。ここが『家』だと気を遣い、あの人たちの侮辱にも耐え忍んで来た。だからこそ、これからは崇に守らせる。私も会社の用が片付き次第、この屋敷に移って直接監視する。もう誰もお前に刃向かえなくなるまでな」
高橋奈津美の胸には熱いものが広がり、やがて全身を満たしていった。
「兄さん、本当にそこまでしなくても――」
柴田武はまた遠慮するだろうと察し、先に制した。
「いいか、家族同士、そんな堅苦しいことは言うな。またそんな口を利いたら、本気で怒るぞ」
柴田武のふりした怒り顔に、高橋奈津美の鼻の奥がつんと熱くなった。
しばらくしてようやく感情を抑え、小さく頷いた。
「はい……もう言いません」
柴田武の表情がようやく緩んだ。
「そうこそが家族というものだ」
翌日。
家の用を済ませた柴田武は再び入院した。
高橋奈津美は柴田崇と共に、柴田了の住む本邸の前棟で朝食をとった。
本家、分家、小姑たちはそれぞれ別邸を持っていたが、柴田了だけは中国風の古風な本邸に住んでいた。
他の別邸に比べれば質素だが、伝統的な趣きのある豪壮な造りだった。
普段なら自宅で朝食をとる高橋奈津美が、初めて前棟で食事をしたのは――
昨日の柴田武の威光だろう。柴田了は高橋奈津美を嫌っていたが、長孫の顔は潰せなかったのだ。
柴田崇は高橋奈津美がどこか上の空な様子を見て、そっと耳元に唇を寄せた。
「どうした?ここで食事するのが気詰まりか?だったら一言伝えて、私たちだけで別邸に戻って食べよう」
彼らがここに来たのは、形式的な意味合いが強かった。
柴田家の者たちに「奈津美ちゃんには私たちがついている」と示すためだ。
朝食の場所など、どこでも構わない。
「大丈夫」
高橋奈津美は軽く首を振った。
「ただ退屈で、少しぼーっとしてただけ」
自分を嫌う者たちに対し、彼女もまた好意を持っていない。だから誰の影響も受けない。
「本当か?」
柴田崇は疑い深そうに目を細めた。
「無理してるなら、遠慮なく言え。ここに留まる必要はない」
高橋奈津美は「本当に平気」と言おうとしたが、その前に――
「皆、朝食か?ちょうど良いところに来たようだな」
低く響く磁性的な声に、一同が振り返る。
扉から現れた中村浩の姿に、柴田崇は驚きを隠せなかった。
「浩?どうしてここに?」
食卓に着いていた柴田正美は、中村浩の姿を見た瞬間、胸を高鳴らせた。
「浩お兄さん……」
彼女の声は甘く、わずかに嬌声が混じり、聞く者に鳥肌を立たせるほどだった。
高橋奈津美は思わず柴田正美を一瞥した。
……確かに柴田正美が中村浩に好意を抱いているのは知っていたが、この声は……なんとも形容しがたい。
男はこういうのに弱いらしいが、果たして中村浩の好みなのだろうか。
柴田了も意外そうに眉を上げた。
「浩、今日は君の祖父からの用事か?」
無理もない質問だった。普段中村浩がここを訪れるのは、ほぼ用事の時だけだからだ。
しかし意外にも、中村浩は否定した。
「今日は用事ではなく」
この言葉に、柴田家の者たちの好奇心がかき立てられる。
柴田正美の頬は紅潮し、潤んだ瞳で中村浩を見つめた。
(浩お兄さんが用事ではなく来てくれたなら……私に会うためかもしれない)
その期待が膨らんだ瞬間――
中村浩は柴田了に軽く会釈すると、淡々と告げた。
「祖父の意向で、高橋奈津美さんとの一年の約束を円満に進めるため、これから頻繁に訪れることになりました。今日だけではなく、今後も通います」
そう言い終えると、高橋奈津美の方へ視線を移した。その目には、本人も気付かぬ柔らかな光が宿っていた。
その眼差しを受けて、高橋奈津美はわずかにたじろいだ。
(何だか……いつもと違う視線だ)
しかし具体的にどこが違うのか、言葉にできなかった。
中村浩はすぐに視線を外し、今の奇妙な感じは幻だったかのようだ。
柴田正美は二人の視線の交錯に気づかず、中村浩の言葉に複雑な思いを抱いた。
(浩お兄さんが頻繁に来てくれるのは嬉しいけど……でも高橋奈津美と仲良くなったら?)
高橋奈津美が無能なのは変わらないが、あの美貌だけは否定できない。自分より数段上だ……
柴田正美が妄想に耽っている間、中村浩はすでに高橋奈津美の隣に席を取り、箸を手にしていた。
そして自然な動作で、小皿から骨付き肉を高橋奈津美の茶碗に移した。
「痩せすぎだ。もっと食べろ」
その言葉は、いつになく優しい響きを帯びていた。




