第32話 奈津美は本当に柴田崇の妹さんだ
「本当よ、柴田崇は私の兄なの。私がこんな大事を冗談にしたことある?」
高橋奈津美の表情と口調は確信に満ちており、思わず信じたくなるほどだった。
阿部遥も一瞬、本当かもしれないと思った。
だが、こんなことは簡単に冗談にできることではない。
「奈津美……やっぱり近くの脳外科に行きましょう。推しに会いに行くのはやめて」
彼女は本当に、親友が妄想症にかかっていると思った。
すぐに治療しなければ……
このままでは、どれほど悪化するかわからない!
「遥……」高橋奈津美はまたため息をついた。
今日、何度目のため息だろうか。
「冗談じゃないわ。前に話したでしょう?私の実家が東京四大名家の柴田家だって。柴田崇は柴田家の長男の息子、だから本当に私の兄なの」
それでも阿部遥は首を振った。
むしろ高橋奈津美の肩に手を置き、真剣な眼差しで言った。
「奈津美、高橋家から追い出されたショックで、実家が柴田家だとか、推しが兄だとかの妄想をしてるんでしょう?でも……いつかは現実を受け止めないと。このまま妄想に浸ってたら、きっと取り返しのつかないことになるわ!」
高橋奈津美は深く息を吸い、親友の疑念に向き合いながら、確信に満ちた表情を崩さなかった。
声をわざと強めて言った。
「遥、柴田崇は本当に、本当に私の兄よ」
阿部遥が返事をする前に、通りかかったファンが高橋奈津美の言葉を聞き、嘲笑した。
「柴田崇の妹になりたくて頭がおかしくなったのね!現実逃避もほどほどに!」
「夢見るのはいいけど、叶わないわ。だって私たちだって推しの妹になりたくて仕方ないんだから」
「家で妄想してればいいのに、人前で言うなんて恥知らずね」
周囲の嘲笑はますます大きくなった。
阿部遥も居たたまれなくなり、高橋奈津美の袖を引っ張って小声で促した。
「奈津美、早く行きましょう。推しのファンに囲まれるつもり?」
これは軽く見逃せる問題ではない。
普通の人なら気にしないかもしれないが、熱狂的なファンは違う。
事態を収拾するためには、すぐに離れるべきだった。
「私の言葉は全て本当よ」高橋奈津美の声は冷静そのものだった。
阿部遥が呆然とする隙に、高橋奈津美は彼女の手を握り、楽屋へと引っ張っていった。
阿部遥は慌てて制止しようとした。
「奈津美、ちょっと待って!落ち着いて!」
しかし高橋奈津美は聞く耳を持たず、前へ進み続けた。
先ほど嘲笑していたファン数人も、面白そうについてきた。
「行こうよ、スタッフに断られる姿を見届けよう」
「1分もかからずに撃退されるわ」
「とにかく楽しみだわ」
高橋奈津美が楽屋に着くと、案の定スタッフに止められた。
阿部遥はこめかみが疼くのを感じた。
「奈津美、ほら、入れないって言ったでしょう?」
高橋奈津美はまず阿部遥の手を優しく叩いて落ち着かせ、スタッフに告げた。
「柴田崇に、高橋奈津美が来たと伝えてください」
スタッフは最初無視しようとしたが、この少女のどこか気品ある佇まいに押され、頷いた。
「伝えておきます。ですが柴田さんが会うかどうかは……」
「ありがとう」高橋奈津美は礼儀正しくお礼を言った。
スタッフが柴田崇を呼びに行く間、高橋奈津美と阿部遥は入口で待った。
ついてきたファンたちも待機し、嘲笑の目を向けていた。
阿部遥は彼女らの視線に気づき、小声で言った。
「奈津美……手の平が汗でびっしょりよ」
「大丈夫」高橋奈津美は彼女を見て、安心させるような眼差しを向けた。
「恥をかかせたりしないわ」
阿部遥は深くため息をついた。
「もうこうなったら、恥をかくのも仕方ないわ。私がついてるから」
高橋奈津美は責めるどころか慰めてくれる親友に心が温まった。
「信じて。絶対に失望させないから」
阿部遥が返事をする前に、スタッフが戻ってくるのが見えた。
きっと柴田崇に拒絶されるに違いない。
恥ずかしいが、これで高橋奈津美も現実に戻れるだろう。
周りのファンたちも同じことを考え、嘲笑の視線を向けていた。
しかし、予想外の展開が待っていた。
スタッフは高橋奈津美の前で恭しくお辞儀をした。
「高橋様、こちらへどうぞ」
高橋奈津美は軽く頷き、阿部遥の手を引いて中へ入っていった。
それを目撃したファンたちは、口をぽかんと開けたまま固まっていた。
驚きのあまり、言葉も出ない。
まさか……
あの女性の言葉は本当だったのか?
彼女は本当に柴田崇の妹なのか?




