第18話 高橋奈津美は奈津美名医?
高橋七海の偽善的な態度に、高橋奈津美の瞳は冷たさを増し、嫌悪感が溢れんばかりだった。
「養育の恩だとか、そんな汚らわしい言葉で私を縛ろうとしないで。そんなの通用しないわ」
言葉が終わると同時に、高橋七海は突然驚いたように、怯えた子兎のように後ずさりし、目元をぱっちりと赤く染めた。
「私…ただ両親があなたに注いだ年月を思うと切なくて…それすらも悪いことですか?」
高橋奈津美は冷ややかに鼻で笑い、整った眉目に嘲笑が浮かんだ。
「両親を思う気持ち自体は別に構わないわ。誰も止めてないでしょう?でもそれが、私を不快にさせたり『養育の恩』で縛ったりする理由にはならないわ」
それに、高橋家の養育に対する恩返しは、とっくに彼女がこの数年で彼らを普通の家庭から東京の一小豪門に押し上げた時点で完済していた。
だから今更、養育の恩などと言って彼女を縛ろうとしても無駄なのだ。
高橋七海は理屈をこねて、あたかも両親の不公平を訴えるように抗弁した。
「私はあなたを道徳的に縛ったりなんかしていない!ただ事実を述べているだけ。それに、何が『道徳的縛り』だっていうの?私の両親は本当に18年間あなたを養ったんですよ?これが養育の恩じゃないなら何なの?
高橋奈津美は耳をほじりながら、そっけなく彼女を見た。「で?そんなに長々と言いたいことは何?」
「私…別に深い意味はないわ。ただ、お兄さんが両親を怖がらせたんだから、せめて謝罪くらいは…補償とかは求めないから、ただ誠意を見せてくれれば…」
高橋七海の言葉は一見、両親の気持ちを慮りながら高橋奈津美の面目も保っているように見えた。
しかし実際は、高橋奈津美と次兄を窮地に追い込むための罠だった。
聡明な高橋奈津美にそれがわからないはずがない。彼女は遠慮なく皮肉たっぷりに言い返した。
「高橋七海、自分が今どんな姿かわかってる?」
高橋七海は思わず聞き返した。「どんな姿よ?」
高橋奈津美は彼女の目をじっと見つめ、一語一語区切って言った。
「白いサギの妖怪みたい。全身から白いサギの臭がプンプンしてるわ」
「あんた――」
高橋七海が目を見開いて反論しようとした瞬間、高橋奈津美は悠然とした声で先制した。
「ちょうどいいわ。今の私の家にも、あなたみたいな二面性のある女がいるの。紹介しましょうか?似た者同士だから、きっと良い友達になれるわよ」
高橋七海の目はさらに赤くなり、今にも零れ落ちそうな涙が目尻に溜まった。
高橋玲子はその様子を見て胸が痛み、まずは高橋七海の手を優しく撫でて落ち着かせると、突然鋭い視線を高橋奈津美に向けた。
「ろくな言葉も吐けないガキ!覚えておきなさい!」
そう言うと、再び袖をまくり上げ、大股で高橋奈津美に向かって突進していった。
しかし、高橋奈津美に近づく前に、すらりとした長身の影がさっと前に出て、高橋奈津美をしっかりと背後に護った。
「彼女に手を出してみろ!」
その声は冷たく刺すようで、高橋玲子は思わず震えが走り、足が自然と止まった。
柴田崇は声だけでなく、視線も氷のようにつめたい。
「警告したはずだ。勝手な真似はするなと。お前が奈津美ちゃんの育ての親でなかったら、とっくに不躾な真似をしていたぞ」
傍らの高橋七海はこの状況を見て、慌てて柴田崇の腕をつかんだ。
「どうしてそんな風に母さんに話すの?今すぐ謝りなさい!でなければ警察を呼んで、あなたが故意に騒ぎを起こしたと言うわよ」
柴田崇は滑稽に思えた。この家族は一人残らず道理をわきまえていない。奈津美ちゃんがどうやってこんな環境で18年も過ごせたのか不思議だ。
「お前の母親がこっちに手を出そうとして、逆にこっちが警察に捕まると?いいだろう、わざわざお前が呼ばなくても自分で警察を呼ぶ。到着した警察がどちらを逮捕するか、見ものだな」
高橋七海は突然言葉に詰まり、反論できなくなった。
柴田崇が本当にスマホを取り出し、通報する素振りを見せた瞬間、高橋奈津美がさっと制止した。
「崇兄ちゃん、やめて」
「どうした?もしかして、まだあの女を気にかけてるのか?」
柴田崇は動作を止め、不思議そうに彼女を見たが、すぐに何かを思い出したようにうなずいた。
「…まあ、どんなにひどくても18年間育ててくれたんだ。気になるのも無理はないな。わかるよ」
しかし高橋奈津美は首を振り、高橋玲子を横目で一瞥すると、目には冷たさしかなかった。
「違うわ。そんな人間のためにエネルギーを無駄にする価値がないと思っただけ」
柴田崇が反応するより先に、高橋玲子の甲高い声が爆発した。
「『そんな人間』って何よ!はっきり言いなさい!」
再び高橋奈津美に詰め寄ろうとする高橋玲子を、高橋洋佑がすぐさま引き止めた。
「いい加減にしろ。こんな場所で騒ぎを起こすな」
高橋玲子が振り向いて睨みつけると、高橋洋佑は小声で諭すように言った。
「ならず者とそんなにやり合ってどうする?本当に揉め事になってオークションに入れなくなったらどうする?小事にこだわって大事を失うな」
高橋玲子はよく考えてみるとその通りだと気づき、深く息を吸ってようやく胸中の怒りを抑え込んだ。
そして手元の普通招待状を見て、こめかみが脈打つように痛み始めた。
「でもこの招待状では二人しか入れない。本当に三人のうち誰かを帰らせるわけには…そんな恥ずかしいことできないわ」
高橋洋佑も頭を抱え、どうすればいいかわからない様子だった
二人が途方に暮れていると、高橋奈津美のならず者兄貴が彼女を連れてオークション入口へ向かい、紫金招待状を提示した。
次の瞬間、入口の警備員たちが揃って腰を折り、恭しく中へ招き入れる光景が繰り広げられた。
高橋玲子は目を丸くして、自分の目を疑った。
「あの高橋奈津美の兄貴…ならず者じゃなかったの?どうして紫金招待状が?」
高橋洋佑はうつむいて考え込んだが、いくら考えても答えが出ない。
「わからん」
高橋七海は呆然と立ち尽くす両親を見て、高橋奈津美たちが去った方向を一瞥すると、急いで促した。
「お父さん、お母さん、紫金招待状なら人数制限ないんでしょ?早く一緒に入りましょう」
高橋玲子と高橋洋佑は顔を見合わせ、すぐに意を悟った。
そして高橋玲子は警備員の前に進み出て、高慢に宣言した。
「さっき紫金招待状を見せた二人と私たちは一緒よ。すぐに入場させなさい!」
警備員は確かに遠くから彼らが話しているのを見ていた(内容までは聞こえなかったが)。関係があると思い込み、何よりあの人物の身分を考えると疎かにできず、急いで恭しく招いた。
「どうぞお入りください」
高橋玲子はようやく面目を保ち、顎をしゃくり上げた。
「いい?さっき入ったのは私の娘よ。私たち3人の顔をよく覚えておきなさい!次回また入場を阻んだら、ただでは済まさないからね!」
警備員は慌てて頷いた。「はいはい、かしこまりました」
オークション会場内──
高橋奈津美が崇兄ちゃんと会場に入ってすぐ、奥井翔からメッセージが届いた。
【奈津美名医、お手すきでしたらバックステージまでお越しくださいませんか?今回のオークションについてご相談したいことが…】
【待ってて】
返信を終えると、高橋奈津美は柴田崇に向き直って言った。
「崇兄ちゃん、ちょっと待ってて。トイレに行ってくる」
柴田崇はすぐに答えた。「案内するよ。会場が広すぎて迷いそうだ」
「大丈夫、わかるから」高橋奈津美は手を振り、柴田崇の返事を待たずに、廊下の左側へ慣れた様子で歩き去った。
柴田崇はその様子を見て、大きな疑問符が頭に浮かんだ。
なぜ奈津美ちゃんはここに詳しいのだろう?前に来たことがあるのか?
ちょうどその時、視界の端にすらりとした人影が近づいてくるのが見えた。
それは他でもない、中村浩だった。
柴田崇はすぐに嬉しそうに手を振った。
「浩、浩!こっちだよ」
中村浩は長い脚を運んで近づいてきた。
「ちょうどいいところに来たな」
柴田崇:「?」
「どういうこと?」
「ちょうど情報を耳にしたんだ。オークションの責任者が奈津美名医とバックステージで会うらしい」
柴田崇の目が輝いた。「じゃあ急いでバックステージに行って運を試そうぜ!もし本当に奈津美名医本人に会えたら最高だ!そうすれば診療権を落札できる確率も上がるだろう」
「ああ」中村浩が先に歩き出した。
「行こう」
柴田崇は急いで後を追い、二人は前後に連なってバックステージへ向かった。
一方、バックステージの廊下の角では、高橋奈津美がすでに奥井翔の前に到着し、彼から渡されたリストを受け取っていた。
「奈津美名医、こちらは今回のオークションで得た資金を活用する予定の孤児院と老人ホームのリストです。ご確認ください」
高橋奈津美はざっと目を通すと、すぐに奥井翔に返した。
「あなたが決めておいてください」
少し離れた廊下では、中村浩と柴田崇が当てもなくバックステージを歩き回っていた。
突然、柴田崇が何かに気付き、興奮した様子で中村浩に指差した。
「浩!あの人はオークション責任者の奥井翔じゃないか?」
中村浩がその方向を見る。
「そうだ」
奥井翔と高橋奈津美は廊下の角に立っていたため、壁に遮られて高橋奈津美の姿は見えず、柴田崇たちからは奥井翔が誰かと話しているようにしか見えなかった。
二人がそっと近づき、様子を探ろうとした時、奥井翔の声が聞こえた。
「ところで奈津美名医、もう一つ重要な件が…」
この言葉を聞き、二人はぴたりと足を止め、顔を見合わせた。互いの目に喜びが浮かんでいた。
何も言わず、すぐに奥井翔のいる方向へ急ぎ足で向かっていく。
その時、高橋奈津美はまだ次兄と中村浩が別の廊下にいることを知らず、奥井翔の質問に耳を傾けていた。
「奈津美名医、これまでのオークションの流れでは、最後まで競り勝った三名様に平等に質問する機会を設けておりましたが、今回はどのようなご質問をお考えでしょうか?」
高橋奈津美は軽く顎に手を当て、しばらく考え込んでから言った。「そうね…」
ところが言葉を続けようとした瞬間、視界の端で二人の人影が慌ただしく近づいてくるのが見えた。
物音に思わず顔を上げ、目を凝らすと――
こちらに向かってくるのは他でもない、柴田崇と中村浩だった。
柴田崇と中村浩もまた高橋奈津美の姿を認めた。
瞬間!
六つの目が互いを見つめ合い、皆が呆然とし、瞳を震わせながら、長い沈黙が流れた。