第10話 高橋奈津美の婚約者が来た
柴田誠はよく考えてみると、確かにその通りだった。
奈津美名医のオークションでの診療権の開始価格は高くないが、必ず名家の大物たちによって天井知らずの値段まで吊り上げられるのだ。
それに、高額なだけでなく、奈津美名医はしばしば追加条件を付けたり、風変わりな質問をしたりする。
最も重要なのは、彼女の質問には正解がなく、回答の正誤は全て奈津美名医の気分次第で決まることだ。
しかし、誰もがこのことに慣れっこになっている。
奈津美名医の実力が本物だからこそ、傲慢になる資格があるのだ。
どれほど条件が阿部しく、質問が意地悪であろうと、彼女を崇め奉る人は後を絶たない。
だからこそ、柴田崇がこの診療権を手に入れられないと確信していた。
仮に運良く落札できたとしても、他の条件を満たせなければ、奈津美名医を招くことなどできはしない。
柴田誠はここまで考え、心に決断を下した。
そして顔を上げ、高橋奈津美に向かって作り笑いを浮かべながら言った。
「同等の賭け金を出すことに同意しよう! お前たちも自分の言葉をよく覚えておけ。負けた後に約束を反故にするんじゃないぞ!」
柴田崇はそれを見て、静かに前に出て高橋奈津美を背後に守るように立った。
「念の為に誓約書を書きましょうか? おじさんの安心のために」
柴田誠としては柴田崇に誓約書を書かせたいところだった。
だが彼らは一族であり、これからも同じ屋根の下で暮らす身。やりすぎはよくない。
そこで大様に振る舞い、手を振って言った。
「誓約書など要らん。お前の言葉を覚えていてくれればそれでよい」
柴田崇の表情は平静で、大きな感情の起伏は見られなかった。
「中村子の一言は駟馬も追い難し。繰り返すが、私が約束したことは決して破らない」
そう言い終えると、柴田誠の返答を待たず、さっと顔をそらして高橋奈津美に優しく声をかけた。
「こちらの用事は済んだ。中村の部屋を見せに行こう」
高橋奈津美は軽く頷き、柴田崇の後について歩き出した。
柴田誠らは二人の後姿を見ながら、皆満足気な表情を浮かべていた。
有頂天になった様子は、まるで既に柴田崇が賭けに負け、長男が財産を譲る場面を見ているかのようだった。
柴田崇には柴田誠たちの心の中は分からない。
柴田崇は高橋奈津美を二階へ案内しながら、気軽に話しかけた。
「奈津美ちゃん、俺が負けるんじゃないかと心配しているのか?もしそうなら、安心していい。負けたとしても、俺や他の三人の兄貴たちの実力があれば、たとえこの財産を相続できなくても何の問題もない。これからは俺たちのそばで、のんびり暮らせばいい。きっと白くてふっくらしたお姫様にしてあげるから」
「うん、心配してないよ」高橋奈津美は口元を緩め、心が温かくなった。
「今の話が少し大げさに聞こえたかもしれないが、全て本当のことだ。一番上の武兄貴は非常に優れた人物で、ビジネスの世界では手のひらを返すように事を運ぶ。彼が取り逃がすプロジェクトなどない」
「そして三番目の健兄貴はさらにすごい!今は部隊を率いて国境線で華夏を守り、最も堅固な防衛線を築き上げ、国民の安全を守っている。四番目の智兄貴については……」
ここで彼は少し言葉を詰まらせ、複雑な表情を浮かべた。
「四番目の兄については…どう説明すればいいか、すぐにはわからないな。会えばわかるだろう」
「わかった」
高橋奈津美はそう言われて、これ以上尋ねるのも憚られた。
ふと何かを思いついたように、彼女は軽くまばたきした。
「じゃあ、崇兄ちゃんは?」
透き通った瞳で柴田崇をじっと見つめながらそう言った。
彼の顔立ちは精悍で、長い髪を高いポニーテールに結んでいても、女性的というよりはむしろ鞘から抜けんとする刀剣のよう。颯爽とした印象を与えていた。
高橋奈津美はそれを見て、突然ぼんやりとした映像が頭に浮かぶのを感じた。
そして柴田崇を見る視線が次第に深まっていった。
前に感じた通り、この兄ちゃんにはどこか見覚えがあるような気がする。
だが具体的にどこで会ったのか、もう記憶にない。
「俺か?」
柴田崇は笑った。
「彼らに引けを取らないくらいには活躍しているよ」
「それじゃ――」
高橋奈津美がさらに尋ねようとした時、ふと外から近づいてくる人影が視界に入り、声がぴたりと止まった。
彼女の変化に気づいた柴田崇は、自然とその視線の先を見た。
居間に入ってきた中村浩の姿を目にし、思わずたじろいだ。
「さっき浩を自宅まで送り届けたばかりじゃないか? どうしてここに?」
階下。
柴田正美は中村浩が突然訪ねてくるとは思っておらず、目に喜びの色を浮かべた。
「浩お兄さん」
優しくそう呼びかけると、すぐにドレスの裾を手で押さえながら中村浩の方へ走り寄った。
近づけば近づくほど、中村浩の整った顔立ちが彼女の瞳にはっきりと映る。
くっきりとした輪郭の美しい顔をまっすぐ見つめ、彼女は鼓動が早くなるのを抑えられず、頬に紅潮が浮かんだ。
しかし、中村浩の前に立った途端、まだ何も話す間もなく――
中村浩は彼女を一瞥するだけで、無表情で視線をそらし、そのまま柴田了の方へ歩き出した。
二人は一瞬ですれ違った。
まるで空気のように扱われた柴田正美の表情はこわばり、唇を噛んで恥ずかしさを堪えるしかなかった。
階段の上に立つ高橋奈津美はこの光景を面白そうに見つめ、優雅に眉を上げた。
さっきまで、柴田正美は中村浩との婚約を守るために、自分に向かって泣き喚き、騒ぎ立て、まるで中村浩に深く思いを寄せ、彼以外受け付けないかのような態度を見せていた。
その時は、柴田正美と中村浩が幼なじみでお互い想い合っているのだと思い、自分の出現で二人が引き裂かれるのを恐れてあんなに取り乱したのだろうと考えていた。
だが今見る限り、中村浩は柴田正美にそのような思いはないようだ。柴田正美の一方的な思い込みで、冷たい態度にまですり寄っていっただけのようだ。
おそらく高橋奈津美の視線があまりにも露骨だったのだろう。柴田正美の上にしばらく注がれると、彼女は顔を上げ、高橋奈津美の方向を見た。
視線が合った瞬間、柴田正美は高橋奈津美の目に浮かんだ嘲笑を感じ取った。さっき淮琅兄様に無視されたことを嘲笑っているようだった。
それに気づくと、柴田正美はさりげなく高橋奈津美を睨みつけ、目に警告の色を宿らせた。
しかし、その警告を受けても高橋奈津美は控えるどころか、むしろ口元を緩め、柴田正美に向かってさめた笑みを浮かべた。
これには柴田正美もすっかり腹を立て、頭に血が上り、拳を固く握りしめると、怒りに任せて高橋奈津美の方へ歩み寄った。