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96 ちょうどよかった

 昼休みが終わり、5時間目の授業が始まる。


 6年1組の生徒たちは着席し、周りのクラスメイトと無駄話をしながら智子が来

るのを待ち構えていた。


 智子はいつもより少し遅れて教室にやってきた。


 教壇の前に立った智子は誰の目から見ても不機嫌そうな顔をしていた。


 生徒たちは何事かと思ったが、とりあえず様子を見ることにした。


「起立! 礼! 着席!」 


 挨拶が終わったあとも智子の表情は硬いままだ。



 数秒の沈黙後、智子は重い口を開いた。


「明日からプールの授業に教頭先生が加わることになった」


 智子の言葉に生徒たちは、「だからなに?」という感想しか抱けなかった。


 しかし、智子は歯を食いしばり悔しそうな顔をしている。


「ともちゃん先生、それがなにか問題でもあるんですか?」


 真美は様子のおかしい智子に気を遣い、尋ねた。


 智子は一拍置いてから真美からの問いに答えた。


「前回までは教頭先生いなかっただろ。クラス担任3人と特別支援学級の佐藤先生

を合わせた4人だけだった。それが明日からは教頭先生も加わる」

「つまり、どういうことですか?」

「つまり、私が信頼されていないということだ……」

 

 そう言うと、智子の目からは涙が零れ落ちた。



 智子の涙には大きく分けて3種類ある。


 1つ目は不安の涙、2つ目は笑い涙、そして3つ目が悔し涙である。


 1つ目の不安の涙は、子供にありがちな精神力の弱さが原因の涙である。


 2つ目の笑い涙は、笑い上戸の智子が笑っている時に自然と流れる涙である。


 問題は3つ目の悔し涙だ。


 一般的に人が涙を流すのは、悲しいことがあった時がほとんどであろう。

 しかし智子の場合、悲しくて泣くことは滅多にない。

 

 智子の涙のほとんどが悔し涙なのである。


 智子がくだらないことで悔しがって泣いていた場合、生徒たちは気にも留めず、

むしろ微笑ましいとさえ思っている。 


 しかし、本気の悔し涙の時はそうはいかない。

 智子の表情や雰囲気から、今回の涙はそれだと生徒たちは思った。


 生徒たちも自分自身が涙が出るほど悔しい経験をしたことがあるため、どう声を

かけてあげればいいのかが分からなかった。


 この日の智子の態度からは、本気の悔しさが滲み出ていた。


 

「監視役の先生が4人では足りないから、もう1人加わるということですよね?」

「うん……」  

「それって大事を取ってということではないんですか? 本当にともちゃん先生が

信頼されてないからですか?」

「うん。だって、『湊川先生では頼りないのでもう1人補充しましょう』って菊池

先生が職員室で言ったもん」

「ともちゃん先生のいるところで?」

「うん……」

 

((あの、まばらハゲが!!))


 2組担任の菊池(51)は、頭頂部がハゲている。

 潔くハゲていればいいものを、サイドから髪を持ってきて頭頂部を隠すいわゆる

「バーコード頭」という状態にしており、その部分の髪がまばらに見えるため、口

の悪い生徒たちから、「まばら」というあだ名を付けられていた。


 そのまばらが智子のいる前で智子のことを「頼りない」と言ったというのだ。


 生徒たちは、気分屋でかわいい女子を依怙贔屓するまばらのことがそもそも嫌い

だったこともあり、智子に対する「頼りない」というデリカシーのない発言に腹が

立って仕方がなかった。


「ともちゃん先生は頼りなくなんかないぞ!」

「そうだ! 普段はちゃんとクラスで俺たちに勉強を教えてくれている!」

「そうだ! プール以外の体育の時だってちゃんと見てくれている!」

「そうだ! 6年1組は学級会をしなくてもいいくらい良いクラスだ!」

「そうだ!」

「そうだ!」


 生徒たちは口々に智子のことを褒め称えた。


「お前ら……」


 智子は生徒たちの「愛」に感動し、涙がとめどなく流れ落ちた。


「俺、昼休みに校長室に行って計画を変更するように説得してくる!」

「俺も行く!」

「俺も!」

「私も行く!」

「私も!」


 朝陽を中心に生徒たちは結束した。


「ありがとう、みんな……」


 智子は止まらない涙を両手で拭う。

 智子は子供なのでハンカチなどという面倒臭いものは持っていないのだ。


「ともちゃん先生、これ使って」

「神田、ありがとう……」


 教卓の前の席の瑞穂からポケットティッシュを受け取った智子は、それで涙と鼻

を拭いた。 


「でも、菊池先生はなんでいきなりそんな酷いことを言ったんだろう。性格の悪い

やつだっていうのは聞いてるけど、先生が相手の時はいつもにこにこしてるのに。

ともちゃん先生のこと、舐めてるのかなあ」


 菊池を批判する瑞穂。

 智子は涙を拭いながら、それに答える。


「いきなりじゃないぞ。菊池先生は前回のプールの授業で、私が佐藤先生の膝枕で

居眠りしてたのを見てて、それで職員会議で議題にしたんだ」


「「!」」


 生徒たちは耳を疑った。

 佐藤先生の膝枕で居眠りをしていた?

 それを聞き、彼らの興奮は一瞬にして収まった。


「ともちゃん先生、プールの授業中に居眠りしてたの?」

「うん。だって、この間のプールの日って風があってちょっと涼しくってちょうど

よかっただろ?」

「……ちょうどよかったってなにがですか?」

「ぽかぽかしてて、ちょうどお昼寝日和だっただろ?」

「……」

「プールサイドの南の端っこって、屋根があって日陰になってるから、多分気温も

30度もなかったよな。それに風もよく通るからちょうどいいお昼寝日和だったよ

な。あれ? みんなどうしたの? 急にテンション落ちてない?」



 みんなの心が1つになったのはほんの数分前。


 それがこんな簡単に音を立てて崩れ落ちるだなんて……。


 生徒たちはまた1つ、智子のおかげで素晴らしい人生経験を積んだのであった。 

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