94 決死の覚悟
「もうすぐ夏休みだな」
智子の口から出た「夏休み」というキラキラワードに生徒たちは色めき立った。
「みなさん、小学校生活最後の夏休みを、どうお過ごしになるおつもりですか?」
突然の智子の敬語に生徒たちはざわついた。
「夏は海や川の事故が毎年多発しておりますので、くれぐれもご注意ください。そ
れはそうと、8月5日から7日まで林間学校だな」
目まぐるしく変わる口調と内容に、生徒たちはついていくのがやっとである。
「あれ? みんな楽しみじゃないの? ここで盛り上がると思ったんだけど」
「盛り上がりたいんですけど、気になるんですよ」
「なにが?」
「なんですかその口調は。マイブームですか」
「敬語のこと? 懇親会ごっこだよ」
「……なんですか、それ」
「懇親会の時に保護者が学校に来るだろ? さすがに大人の人相手の時は敬語で話
すだろ? それだ」
「……そうですか」
朝陽は面倒なのでこの話題を深追いはせずに受け流した。
「それでは林間学校に関しての注意事項を伝える。といっても、大事なことは全部
プリントを通して保護者に伝えてあるから、それに従ってくれればいいんだ。プリ
ントなくした者はいるか? いたら改めて渡しておくぞ」
「ともちゃん先生」
「なんだ、新山」
「寝る時は長袖の上下が望ましいって書いてあったんですけど、夏なんだし半袖で
よくないですか?」
智子は、「やれやれ」といった様子で首を振る。
「そう思うだろ? それは子供の浅知恵だ。山はな、夏でも朝晩冷えるんだよ。半
袖だと次の日、熱出すぞ」
「そうですか。あと、歯ブラシと歯磨き粉を持参するようにって書いてあったんで
すけど、川の水で歯磨きするってことですか?」
「いや、水道だけど……」
川の水で歯磨きをするつもりだった拓海に智子はドン引きだ。
「水道あるの?」
「あるだろ……お前ら林間学校にどんなイメージ抱いてんだよ」
「寝るのはテントですよね?」
「ああ、そう書いてあっただろ」
「テントで寝起きするのに、水道があるの? トイレも水洗?」
「当たり前だ。じゃなかったら、私行かないぞ。というか、どんなイメージなんだ
よ。林間学校はサバイバル合宿ではないぞ」
「だって、俺たちが見たキャンプ動画では水道なんか使ってなかったから……」
「ああ、ネットのキャンプ動画か。それを見て勘違いしたんだな。さっきから言っ
てるけど、私たちが夏休みに行くのは林間学校だ。そもそもキャンプですらない」
キャンプではないと聞き、がっかりする一部の男子生徒たち。
どうやら彼らは相当な覚悟で林間学校に挑むつもりだったらしい。
「魚が釣れなかったら、道中手に入れたキノコだけの夕食になるんだと思ってた」
「そんな事やらせたら、教職員全員一瞬でクビだな」
「野生のキノコってハエが卵を産むから、中に蛆虫がいるんです」
「それ、どうやって見分けるんだよ」
「見分けません。中の蛆虫も火を通して食べます。『タンパク源だよ』って言いな
がら食べます」
「お前ら、そんなことするつもりだったのか? だとしたら、その条件でよく参加
する気になったな」
「結構嫌だったけど、不参加だと俺だけ思い出が無くてあとで疎外感を感じるかと
思って……」
蓮は深刻な表情で言った。
公立学校の林間学校では命や健康を脅かす可能性のある内容のものは当然、行わ
れない。
それでも、仲間外れをされないために勘違いながらも決死の覚悟で挑もうとした
蓮に、智子は大和魂を見たのであった。




