91 和歌山に対する興味はなくなりました
「リンリン! パンダいなくなったってよ!!」
朝1番、智子は教室に入ってくるなりそう叫んだ。
「おい! 中国政府がパンダを世界中から取り戻してるらしいぞ! みんな知って
たか!」
「知ってましたよ。テレビでもずっとやってましたし」
朝陽は冷静に答えた。
「えっ、そうなの? 私昨日の晩にネットで見て初めて知ったんだけど……」
「ともちゃん先生って、テレビとか新聞は見ないんですか?」
「うーん……去年までは見てた気がするけど今年の春頃からなんか興味がなくなっ
ちゃってさ、見なくなっちゃった」
((6才になったからだ。精神年齢が6才だからニュースとか見ないんだ))
生徒たちは自分が6才だった頃を思い出し、ニュースを全く見ない智子のことを
慮った。
「リンリン、残念だったな。お仲間が帰国してて。悲しいか?」
「先生……」
凛は消え入りそうな声で言った。
「私、パンダのことを仲間だと思ったことないです……」
「えっ、嘘だろ?」
「嘘じゃないです……」
智子は、「本当に信じられない」といった様子である。
「じゃあなんで、いつもパンダの服着てるの?」
「着てないです……」
凛はこの日、薄いピンク色の無地のシャツを着て登校していた。
「今日はたまたまだろ?」
「私、パンダの服は着たことないです……」
「ん?」
智子は不思議そうな顔で首を傾げる。
「ともちゃん先生、いつもパンダの服着てるのは涼香ちゃんです」
真美は涼香を指差しながら言った。
注目を浴びる涼香は今日もデフォルメされたパンダのイラストが小さく描かれた
シャツを着ている。
「ほんとだ! パンダのシャツって浜本だったの!? てっきり、芦田のトレード
マークかと思ってた!」
「私のお母さんがパンダ好きだから、私も一緒にパンダの服を着てるんです」
涼香は照れながら、聞いてもいない話を披露した。
「いや、浜本家の事情はどうでもいいんだよ。それより、リンリンなのにパンダを
アピールしないのってなんで? 逆に嫌いになったパターン?」
「私、リンリンて呼ばれてないんですけど……」
凛の発言に智子は目を丸くした。
「そうなの? みんな芦田のこと、リンリンって呼んでなかったっけ?」
「凛ちゃんですね」
凛と仲の良い真美は、はっきりと言った。
「そうなのか……てっきり、芦田は毎日のようにパンダの服を着てて、みんなから
『リンリン』って呼ばれているのかと思ってた」
智子はボー然としている。
「それっていつから思ってたんですか?」
真美の問いに智子はしばらく考え込み、そして答を出した。
「昨日の晩?」
「随分最近ですね……。でも、凛ちゃんが自分の名前についての悩みを告白したの
が昨日の授業中ですから、昨日の晩から勘違いが始まったっていうのは多分合って
ますよ」
「そうなのか……。だとしたら私、すごくない?」
智子は突然、自画自賛を始めた。
生徒たちは当然ながら理解ができない。
「なにがですか?」
「自分の勘違いの始まった瞬間を記憶してるってすごくない?」
「……まあ、言わんとしてることは分かります」
「勘違いの終わりなら分かるよ。でも、始まりはすごいだろ。バブルなんかも大体
そうなんだよ。終わりは分かるけど、始まりは気付かないんだよ」
「そうなんですか?」
生徒たちは智子の言う、「バブル」がいまいちピンとこなかった。
「私、すごくない?」
「まあ、すごいってことでいいんじゃないですかね」
「でしょ? すごいよね? だったらみんな、『自分の担任はすごい人だ』って周
りに自慢していいよ」
「……」
「よし! さっそくみんなで和歌山県に手紙書くぞ!」
「は? なんの手紙ですか?」
あまりの展開の早さに生徒たちは戸惑った。
「手紙だよ。和歌山の人に、『パンダがいなくなって和歌山に対する興味はなくな
りましたけど、どうかみなさんがんばってください』って書けよ。あとで私が知事
か誰かにメールで送っておくから」
「……それって、和歌山の人のこと馬鹿にしてません?」
「なんでだよ! わざわざメール送るんだぞ! こっちだって暇じゃないんだよ!
喜べよ!」
「……」
生徒たちは仕方なく手元のタブレットに文章を打ち込み、智子に送信した。
果たして智子は、生徒たちの書いたその適当な文章を本当に和歌山県知事に送る
のであろうか。
自分の書いた文章の行方が気になって仕方がない――生徒たちにとってはそんな
憂鬱な朝なのであった……。




