87 日記はトイレで書くもんなんか
「進介ってまだ日記書いてる?」
休み時間、唐突に朝陽は進介に聞いた。
「書いてない。書く気もない」
「だよなー」
2人は爆笑している。
それを少し離れた場所で見ていた智子は、2人が大笑いをする意味が分からず、
困惑した。
「なにがそんなに面白いんだ?」
智子は単刀直入に聞いた。
「日記です。去年は毎日、赤瀬先生に書かされてたんです」
「ふーん。赤瀬先生は毎日、日記を宿題にしてたのか」
「違います。宿題じゃないんです」
「え? 宿題じゃないの?」
「赤瀬先生曰く、『日記は書いて当然のものだから宿題じゃない』のだそうです」
日記は書いて当然のものという赤瀬の言い分が智子には理解ができなかった。
「ということは、提出の必要もないんだな?」
「あります」
「え? 宿題じゃないのに提出しなくちゃいけないの? しないとどうなるの?」
「めっちゃ怒ります」
「ふっ」
予想通りの答に智子は吹き出してしまった。
宿題でなくても、やはり赤瀬はめっちゃ怒るのだ。
「赤瀬先生って終わりの会の時に宿題も伝えるんですけど、日記って言い忘れる日
があるんです。すると生徒から必ず、『日記はいいんですか?』っていう質問が出
て、それに対する返事が、『日記は書いて当然のものだから宿題じゃない』なんで
す」
「宿題じゃない日記を読ませろっていうのも、考えたら結構すごい要求だよな」
「先生に読まれることが前提なので、思ってることも正直に書けないですし……」
進介は呟くように言った。
「確か久本が1回、視聴覚室ですごい怒られたらしい」
「久本が? 俺、その話知らないなあ」
「賢一から聞いた話。朝陽はその時いなかったんだな」
そう言うと進介は賢一から聞いたという話を朝陽と智子に聞かせた――
5年3組の教室のある階の端に「視聴覚室」はあった。
そこから最も近いのが5年3組ということで鍵は赤瀬が管理し、彼はその部屋を
頻繁に利用していた。
賢一は赤瀬のお気に入りの生徒だったので、赤瀬直々の指名で2学期の委員長の
任に就いていた。
委員長の仕事は主に学級会の進行役とその準備である。
その日の休み時間も賢一と副委員長の女子は赤瀬とともに視聴覚室に籠り、次の
学級会の準備をしていたのだが、その朝はいつもと少し様子が違った。
部屋にはいつもはいない4人目がおり、それが久本結衣だったのだ。
賢一は遅れて入室した赤瀬が結衣を連れていたことに驚いたが、その時点ではま
だ理由が分からず、とりあえずは様子を窺った。
赤瀬は賢一と副委員長に学級会の準備をするように指示を出し、自分は立った状
態で結衣に話を聞き始めた。
賢一は次の学級会の議題を決めなければならないと思いつつ、どうしても2人の
話が気になり意識が集中できなかった。
「この日記はなんだ」
「……自由帳の切れ端です」
「いつもの日記帳はどうした」
「……家に忘れました」
「じゃあ、この日記はなんだ」
「……学校に来てから日記帳を忘れたことに気が付き、それから書きました」
「教室で書いたのか」
「……いえ」
「教室じゃない? じゃあ、どこで書いたんだ」
「……トイレで」
「は?」
「……みんなに見られないようにトイレの個室で書きました」
その日、結衣は日記帳を家に忘れたため、自由帳を手で破りそれに前日のことを
書いて提出していた。
赤瀬はその日記の不自然さに気付き、休み時間に結衣を視聴覚室に呼びつけ、話
を聞いた。
すると、トイレで書いたと自白したのであった。
結衣の話を聞いた瞬間、『赤瀬先生が怒鳴る!』と賢一は思った。
「日記はトイレで書くもんなんか!!」
案の定であった。
話を聞いた赤瀬は赤べこのような顔で、結衣を全力で怒鳴りつけた。
賢一にとって予想外だったのは、赤瀬の怒鳴り文句が面白フレーズであったこと
だった。
真顔で怒る赤瀬と真剣に怒られる結衣の手前、ここで笑い声を上げるわけにはい
かず、賢一は必死で堪えていた……。
「――ということがあったそうです」
その話を聞いた朝陽は呆気にとられ、智子は爆笑した。
「ひっひっひ、『トイレは日記で書くもんなのか!』だってよ」
「日記はトイレで、です」
「どっちでもいいよ、もう!」
「ちなみに久本はその問いに、『違います』って答えたそうです」
「律儀だな!」
生徒を叱るのが趣味ではない智子には赤瀬の気持ちは微塵も理解ができない。
爆笑をしながらも智子の中で結衣の評価ポイントが1つ上がった。
結衣には悪いが智子にとってはそんな幸せな瞬間なのであった。




