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84 気付いてくれよ

 梅雨も明け、本格的に暑い季節が到来した。

 頭上には青空が広がり、それを見ているともうこれから永遠に雨など降らないの

ではないかと勘違いをしてしまいそうだ。

 そんな、ただただ蒸し暑い夏がやってきたのだ。


 教室内はエアコンにより温度調整がなされているため不快になることはないが、

だからといって一日中部屋の中で過ごすわけにもいかない。

 だから智子は高温多湿のこの季節が大嫌いだった。



 智子は昨日の仕事終わり、予約をしていた馴染みの美容院で髪を切っていた。


 智子は決まった髪型は持たないものの、暑い夏だけは毎年必ずボブヘアにしてい

る。 

 理由はもちろん涼しいからだが、長髪よりも似合うと言ってもらえることもあり

年を取ったら1年中この髪型でもいいかなと思っている。



 夏の恒例のヘアカットをした翌日、智子は機嫌が悪かった。


「ともちゃん先生、髪切ってる」


 朝、教室に智子が入ると涼香は真っ先に智子の髪型に触れた。

 挨拶のあとも女子生徒たちは口々に智子の髪型を褒め続けた。

 しかし、智子は喜ぶことなく不機嫌な顔でじっと教卓に置いた自分の手を見つめ

ている。


 無反応な智子に気付いた生徒たちは次第にしゃべるのをやめ、智子の態度を不思

議がりながら彼女の出方を窺った。

 

 数秒後、智子はようやくその重い口を開いた。



「昨日の夕方、仕事終わりに美容院に行って髪を切ってもらったんだ。その店は、

もう10年以上も通っている馴染みの店なんだ」


 智子はよく晴れた朝とは思えないほどの低いテンションで話す。


「椅子に座って、『いつものボブで』って伝えたら、『いつもの?』って言って美

容師に笑われたんだよ。私がボブにするのは夏だけだから、それでいつものってい

うはおかしかったかなあと思ってその時は気にしなかったんだよ。そしたら――」


 智子は急に目を吊り上げ、怒りの表情になる。


「カットが終わって会計をしに行ったら、その店員真顔で、『2200円です』っ

て言うんだよ! 本当は4400円なのに!」 


 そう言って不満をあらわにする智子なのだったが、生徒たちは智子の言う「本当

は」の意味が分からず困惑した。

 店員が2200円と言うのなら、それが本当の値段なのではないのか?


「ともちゃん先生は安い値段を提示されて腹を立てたということですか?」

「そうだよ! なんで私が2200円払わなきゃならないんだよ! 4400円だ

ろ!!」


 生徒たちの頭上に「?」が浮かんだ。

 自分たちの担任は2200円多めに代金を支払いたいということか?


 教室中に?マークが飛び交っていたその時、真美があることに気が付いた。


「ともちゃん先生の言う4400円って、大人料金のことなんじゃない?」


 それを聞いた朝陽も気付く。


「そうだ。ということはその半額の2200円は……」


 ここまでくるとクラス全員が答に気が付き、そして智子の方を見た。

 生徒たちに注目された智子は叫ぶ。


「子供料金だよ! 48才にもなって、子供料金を請求されたんだよ!!」



 響き渡る智子の怒鳴り声、そして悔しそうな顔。


 生徒たちは皆、「ともちゃん先生がまた理解不能な怒りを胸に抱えている……」

と思った。



「安いのならいいじゃないですか」

「値段の問題じゃねえ! 子ども扱いされたのが許せないんだよ!」

「でも、ともちゃん先生って見た目6才児ですよ?」

「馴染みの店なんだよ! 10年以上通ってるんだよ! 分かるだろが!!」


 生徒たちは再びみんな揃って首を傾げた。


((42才若返ってるのに分かるかなあ?)) 


「ともちゃん先生、前にその美容院に行ったのは落雷前ですよね?」

「そうだよ」


 朝陽の問いに智子は不機嫌そうに答えた。


「落雷後、見た目も声も42才若返りましたよね?」

「そうだよ。お前も私を馬鹿にしてるのか」

「してません」

「じゃあ、なにが言いたいんだよ」

「身長からなにから全て変わってるんですから、新しく来た子供のお客さんだと思

われても仕方ないように思うんですけど」


 智子は朝陽をギロリと睨んだ。


「名前が一緒だろうが!」

「……たかが名前じゃないですか」

「智子はよくある名前だよ。でも、『湊川』は違うだろ! 湊川だぞ! 湊川! 

全国に1000人もいないような苗字なんだよ! そんな珍しい名前なのに、この

町に同姓同名がいてたまるか!」


 智子は肩で息をし始めた。


「もしかしたら、いるかもしれないじゃないですか」

「いねえよ!」

「じゃあ、その美容師さんはどうすればよかったんですか?」

「気付いてくれよ!」


 智子の声が教室内に響いた。

 生徒たちはなぜかそれが智子の心の叫びのように感じた。


「10年以上も通ってるんだから、『あれ? 湊川さん少し感じが変わりましたよ

ね? 髪型のせいかなあ……もしかして、ちょっと背が縮みました?』って言って

くれよ!」


((さすがにそれは無理だろ……))


 ほんの10秒前、智子に同情しかけた生徒たちだったが、やはりこの人の考え方

にはついていけないと改めて思った。


「……で、結局ともちゃん先生はいくら払ったんですか?」

「2200円……」

「子供料金ですね」

「しかも、ボンタンアメもらった……」

「え? ボンタンアメ?」

「うん……」


 朝陽は智子の口から突然、お菓子の名前が出てきたのが理解ができなかった。


「美容院の話ですよね?」

「うん。美容院でボンタンアメ……」

「なんでですか?」

「なんでって、みんなはもらわないの? ボンタンアメ。子供がカット終わったら

くれるでしょ?」


 生徒たちはお互いの顔を見合わせた。


「みんなはもらったことあるの?」

「俺、1000円カットだから、そういうのはない」

「俺も」

「私は商店街の中の美容院だけど、もらったことはないなあ」

「カフェの隣の? わたしもそこ。ボンタンアメなんてもらったことないよね」 


 生徒たちは誰一人としてカット後にボンタンアメをもらったことがなかった。

 

 40年前の子供の頃から、子供はカット後にボンタンアメをもらえるのが当たり

前だった智子は、自分が10年以上通い続けている美容院が昔ながらの店だったこ

とを知り驚いた。


「私の通ってる美容院が昔ながらのやり方ってこと? 外観も内装もあんなにお洒

落なのに……」



 それは別にボンタンアメとは関係がないんじゃあ……。

 生徒たちはお洒落な店構えにもかかわらず、ボンタンアメを子供に配る美容院に

ショックを受ける智子のことを奇異な目で見ていた。

 

 智子の見た目は6才児でも、やはり中身は48才なんだなあと再確認する生徒た

ちなのであった。

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― 新着の感想 ―
家の近所の理容店はカットが終わった後タバコを差し出してくる。吸わねえよ
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